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「槐樹」 この漢字が読めなかったんですよ~(苦笑) 「エンジュ」と言うのですってね。 実は名前は聞いた事があったのですが、実際に見たのは初めてかも知れません。 これは「枝垂れ槐樹」 7月に花が咲くそうです。 日本では一般的に「槐」と書いて「エンジュ」と読むようですね。 ちょっと花が咲く頃にもう一度見に行きたいかなと考えています。 場所はこちら。 西大寺にある宝物館「聚宝館」に御座います。(写真は西大寺本堂) 実は、お恥ずかしい話、つい最近まで私はこの西大寺の存在を知りませんでした(汗) 京都の西寺の如く「無くなってしまった寺」だと、どういう訳か思いこんでいて、5年ほど前にTVニュースの「大茶盛式」を見て、「あったのか」と気付いたわけです。思いこみって怖い(苦笑)ちなみに、「大茶盛式」というのは1人では到底もてないほどの大きな抹茶茶碗を3人がかりで持ち上げ点てられたお茶を頂くという行事。(→●) 西大寺は東大寺と共に国家鎮守の為に建立された寺院。 平安時代に衰退したのですが鎌倉時代に復興。しかしその後室町時代に何度も火災を経験し、江戸時代に復興し今現在の状態になっているそうです。 木造騎獅文殊菩薩及脇侍像5躯と呼ばれる文殊様が安置されています。これがまた美しい菩薩様で、乗っていらっしゃる獅子が少し斜めに顔を振っていましてね、その辺りが特徴なのだろうかと思われました。 西大寺までのアクセス 近鉄「大和西大寺」下車、徒歩3分 行ってみて、「こんなに近くにあったのだ」と分かりました(苦笑) 正直、西大寺は都会でして、建物が隣接していてここにこんな伽藍があったのだと気付かなかったのですよ~(汗) 実はこの日、三番目の授業が無い日でして、あまりにも天気が良かったのでかねてより考えていた「写経」を始めようと思い、出かけました。最初に選んだのが「薬師寺」だったのです。 薬師寺は本来僧を育成する機関。ですのでここのお寺では葬式を執り行う事はできません。早い話、ここの僧が無くなったとしたら、ここではなく別のお寺から僧を迎えて葬儀をして貰わなければならないという特殊なお寺です。 その為に檀家を持たないお寺でして、伽藍を復興する事も簡単には行かなかったのです。薬師寺は天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)しかし平安時代に殆どの伽藍を火災で焼失し、その後何度も復興し再び兵火により消失を繰り返していました。今現在国宝とされる薬師如来及び日光・月光菩薩も雨ざらしになっていた事も度々あったようです。 高田 好胤と言うお坊様がいらっしゃいます。記憶に残っていらっしゃる方も多いかと思われます。「タレント僧侶」と陰口を叩かれた事も度々。しかしこの人の心はただ一つ、なんとか失った伽藍を元に戻したいと言う思いで、ただ寄付して下さいというのでは申し訳ない。それならば、写経をして頂き、その金子で復興しようと考えたのでした。一つのお堂を復興するには100万巻の写経が必要でした。世間の人々はそんな事はできないと口々に言ったそうです。その願いの為にこの方はあえて宣伝担当を引き受け、寝る間も惜しんで講演などを重ね、写経のお願いをして廻ったと言います。 高田 好胤はこう言ったそうです。 「菩薩の道は回り道です」と。 1人1人の信心がこのお寺を復興させて行くのです。集められた写経は「おたき上げ」しないで、全て、復興に使われたお堂の上に経堂を設け、そこに末代まで保管されているのだそうです。この先何百年、何千年後、このお寺がどのような方々によって寄付され建てられたのかをしめす為に残しておきたいと、その様な構造で建てられているのだそうです。 薬師寺に本来から残されていたのは東塔と東院堂のみ。復興されたのは西塔・昭和56年(1981)、金堂・昭和51年(1976)。この二つは法隆寺の鬼としてその名を世に知られる宮大工・西岡常一によるものです。そして中門・回廊、大講堂も同時進行で着手されたのでした。 この写真は玄奘三蔵院伽藍です。 この建物は平成3年に建てられたものです。 昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。中国に返還した後、その一部を中国から日本仏教界に分骨して頂き、玄奘三蔵の法相宗を受け継ぐ薬師寺にも分骨され、それを祀る為にこの伽藍が建てられました。この背後の伽藍には平山郁夫の玄奘三蔵の旅を描いた壁画があります。今ではすっかり様変わりしている中国。このスケッチされた景色はもう見る事ができないと説明されていました。 写経をしようと思ったのはただただ己の為。己の気休めかも知れないのですが、運命に逆らって死んでしまった娘の安らかなる成仏を願う為でした。 どうせするなら、お役にも立ちたいと、こんな経緯を聞いていたのでここから始める事にしたのです。私の積む功徳を私に変わって娘に行くよう、お願いしながら・・・。 薬師寺までのアクセス。 近鉄「西ノ京」駅下車すぐ。
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