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【2017/10/20 12:23 】 |
節分の御祈祷
昨日は娘の誕生日でした。
毎年毎年、節分生まれの三番目はまともにその日の誕生日をしたのは小学生まで。
節分のイワシと恵方巻を食べるだけでお腹いっぱいになるので、誕生日は日を改めてと言う事になっております。

今年は何を思ったのか、大神神社から貰った誕生日祈祷ハガキを見て、行くと言うのでバイトを休んで奈良県三輪まで行く事になりました。

節分行事で賑わう大社の中を縫って祈祷所まで行き、娘だけを送り出し私は外で待っておりました。

粛々と執り行われる節分の行事をぼんやりと見ていると、いきなり人が増えだし、何事?と思うと豆まきが始まりました。

setubun2.jpgいやはや、その勢いに怖気づいて後退していると、まかれる豆は餅入り豆。
それを奪おうと高齢者たちのウェーブが始まりました。




遠目で気づかなかったのですが、写真を見直すと、これは?
もしかして?
setubun1.jpg岩下志麻さんでは??

気づいていればちゃんと見てれば良かった(苦笑)
でも、こうしてみても美しい方ですよね~。

豆まきが終わると前の方で頑張っていた人が手にいっぱい福餅を持って得意げにお帰りになっていたのですが、中には欲張らずに二個以上手にした人が分け与えてらっしゃっていましたが、やはり袋に何個も入れて自慢する方の多い事多い事・・・。

分け与えた人の方がよい福が来る気がしたのは私だけでは無いような・・・。

豆まきが終わると怒涛のように祈祷所に人が流れ込んでいました。
苦しい昨今、みんな必死なのかもしれませんね。

そうこうしているうちに娘が祈祷所から戻って来ました。

「祈祷所の待合室は床暖房で、眠りそうになった」とか・・・。

祈祷所では数人が集まり同時に祈祷されるのですが、それぞれ名前を呼ばれて年齢を言われ「あ、今日、お誕生日なのですね。おめでとうございます」と言われたそうな(笑)

この時期何処でも節分祭を取り行っているのですが、豆まきは神社で鬼追い式はお寺でするのですかね。
鬼追い式とか護摩木焚きはどうして夕方からの開催が多いのでしょう。
時には深夜にしますよね。

不思議です。

やはり鬼=魔=夜のイメージなんでしょうか?
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【2010/02/04 12:56 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック(0)
京都の人情
ukiyo.jpg偶然見つけたこのお店。
営業時間は「朝起きてから寝るまでの間」と書いてある(笑)
「ただし、休みたい時は休みます」と注釈入り(笑)

場所は建仁寺勅使門のまん前。

偶然見つけたとはいえ実はこの店、以前TVで観た事があると思いだした。
関西ローカル番組「よ~いどん」と言う情報番組。
「となりの人間国宝さん」と言うコーナーがあって、円ひろしさんが紹介していたと思う。

小さな浮世絵美術館。

店主は、今ではここではもはや彼だけではないかと思われる浮世絵の刷り師。
浮世絵とは下絵を描く、今でも名が残る写楽等の絵師。
その絵を使って板を彫る彫り師。
そしてその原版を使って絵師の指示通りに色をつけて行く刷り師があって、初めて浮世絵が完成するのだが、その刷り専門の仕事をされている方だった。

色んな絵やハガキなども即売されていて、娘のテンションがダダ上がり(笑)

あれこれと話していたらしく、ハガキを2-3枚購入して出ようとした時、手作りのぽち袋に5円を入れて「これも何かのご縁です」と貰ったそうだ。

なんとも、懐かしい対応だ。
昔は結構こういうお店があったが、最近は見かけなかった。

お近くに寄る事があれば、一度覗いてみては如何だろうか。
個性的な職人っぽい御爺さんが、小さな町家でお出迎えしてくれるだろう。
【2010/01/20 21:18 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック(0)
唐招提寺落慶法要での憤り

7da4c0d2.jpegちょっと憤りのようなものを感じてます。
唐招提寺にではなく、観光客の方にですね。
「一般にも見せろよ! 東大寺では見せてたぞ!」
憤慨が聞こえました。

まぁ、気持ちはわかるんですが。

京都では「拝観不可」と言う形を取りますが、奈良は「知らずにお越しいただいた方に申し訳ない。寺の大事な行事ですので見せる事は叶いませんが、他の場所の見学は出来るようにしたい」と言う意向が、裏目に出たような感じですよね。

東大寺も檀家寺のないお寺で拝観と言う形でお金を集めないと、維持すらままならないのは一緒ですが、そこと唐招提寺とを同じ視点で見るのは気の毒だと思うんです。
東大寺は奈良の顔と言える大仏様をお持ちで、奈良市内にあって地の利もよく、観光の中心部にあるわけです。
観光客の数は唐招提寺とは比較にならない。

唐招提寺を訪れた方が一様に「静かで良いお寺」とおっしゃいます。
それは言いかえれば観光客が少ないのではないかと思うんです。

そんな中で寄付などをして貢献されている方を大事にしたいと思う気持ちはよくわかります。
膨大な地所を維持するのはとても大変な作業。
お金も相当かかると推測されます。
税金は免除されてもそれだけでは足りないほどの金銭がかかると思われます。
国家の財産を守らねばならないわけで、なくすと言うわけには行かないでしょう。

1300年もたっているのに、まだ東大寺との因縁が消えないのかと思うと悲しくなります。
鑑真和上が5度の難破を経て、6度目にやっと日本を訪れた時、既に東大寺が建立されており、和上は都の果てに追いやられた形になりました。
大事なお弟子さんを36人も死なせてしまった心の傷を負いながらの渡来です。

どんな場所でも戒律を施せる場所があればそれでよいと平城京のお下がりの建物を拝領し、それを講堂にして唐招提寺が始まりました。
今の金堂が建立されたのは和上が亡くなった後の話。

和上の偉業を、何故1300年経った今でもこうして無意味な因縁で汚されなくてはならないのか、とても残念で仕方がありません。


 

【2009/11/03 10:12 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック(0)
奈良県立美術館「神話」
失敗したなぁと思ってます(苦笑)
この展覧会、最終日(11月12日)は無料だったんですよね~。
行っちゃいました(苦笑)

今年、天皇即位20周年になる為に開催されている「正倉院展」は通常より3日長く展示されます。
その最終日(11月12日)は無料なんですよ。
それは知っていたんですが、こっちもそうだとは・・・、気づきませんでした。

もっと脳みそを働かせて考えれば解りそうなものですよね。
「古事記」に基づいた「神話」を題材にした絵画の展覧会なんですが、そうですよね、天皇に関係がありますよね。
それもめちゃくちゃ関係がある(苦笑)

江戸後期から明治にかけてこういう題材で描かれた絵画が結構存在します。
いつかは観たいと思っていたものでウッキウキで出かけて行ったんですよ~。
天孫降臨を全く信じていませんが、なかなか夢のある題材ですよね。
中には神話と言う仮面をつけた本当の話もあるに違いないと思ってはいますが。

小さいころから「ヤマトタケル」とは一体誰なんだろうって思っていたんです。
お墓も点在しており、スサノオ自身も「ヤマトタケル」と呼ばれている事もあるわけで・・・。
しかし、熊襲を征伐に向かったのち、東方も行っている「ヤマトタケル」とは同一人物ではないわけです。

誰だったか忘れたんですが、「ヤマトタケル」は一人ではなく「役職名」ではなかったのか?と言う仮説を出している方が居て、なるほどそうかもしれないと思いました。
また、日本の英雄伝説を一つにまとめて一人の人物を作り上げたとも言われております。

「ヤマトタケル」とは系譜がありまして、12代天皇景行天皇と倭姫命との間に生まれたとされております。
「ヤマトタケル」を「倭建命」とも書く事もあるそうなんですが、「倭」とは以前に書いた事もありますが、他国による日本を蛮国であると言う意味で使う文字であると言う事もあり、あまり書きたくは無い文字なんですよね。

ま、そんな事はどうでもよくて、この「ヤマトタケル」はスサノオが八岐大蛇の尾より取りだした草薙の剣(天皇の三種の神器の一つ)を母より受け取り征伐に向かうと言うくだりがあります。
日本統一って事でしょうか。
以後、天皇を頂点として国家が成り立ってゆくと言う話に繋がって行きますが・・・。
まぁ、真実はどうあれ、それは揺るぎのない事実で、他国では見られない国家であり、それがあるからこそ、創業1000年以上と言う、世界に類のない会社が存在するわけです。
昭和天皇は124代で平成天皇が125代目って事ですか?
四天王寺現管長が111代管長だそうで・・・、いずれにせよ気の遠くなる系譜です(苦笑)

ますます話がそれてゆく(苦笑)

倭姫命が何故「草薙の剣」を所持していたかと言うとですね、八岐大蛇を退治したスサノオがその尾より取り出し、姉であるアマテラスに献上したわけです。
そのアマテラスを祀っているのが伊勢神宮。その伊勢神宮の初代の斎宮だと言われている人です。
(倭姫命のお墓は伊勢にあり宇治山田陵墓参考地の尾上御陵だと言われています。彼女を祀った神社も伊勢にあり現在も『倭姫神社』として存在しております。)

ま、そんな日本神話を見にいったんですが、一つ・・・。中にとんでも絵がありまして。
八岐大蛇退治を題材にして描いていたんであろうとは思うんですよ。思うんですけど、その大蛇の絵の上からカンバスを破って顔を突き出す犬の絵を描いてあるものがあり、まさに「なんだこりゃ」な絵になってます(笑)
作者は途中で飽きたんでしょうかね(苦笑)または、気に入らなくてこんな絵を描き加えたのか・・・。

もう一つは外人のような浦島太郎の絵。
水晶が人魚(人魚じゃなく竜宮城の女官かも)の胸に掲げてあって(水晶じゃなくシャボン玉?水しぶき?)何も描かなくてもいいとは思ったんですが・・・、人魚の乳首をクローズアップしているとか・・・。描きたかったんでしょうかね~。

そんな「なんだこりゃ」な絵も見れますので、お時間があればお出かけください(笑)

zihan2.jpg話は変わりますが、奈良の自動販売機って、ここだけの寄付金制度があるんですね(笑)





【2009/10/26 21:14 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック(0)
玄奘三蔵伽藍大唐西域壁画殿
033.JPG薬師寺の玄奘三蔵伽藍にある大唐西域壁画殿には平山郁夫氏による大壁画があります。
薬師寺にはよく行くのですがここへはあまり入らない、と言うか、春と秋にしか開かないので開いていても忘れて入らずに帰ってしまう事が多いというのが本当(笑)

この壁画は玄奘三蔵がたどった道を描かれていると言うので有名なんですが、ちょっとここに居た解説して下さるおじさんと話をしていて思わぬ話をお聞きしました。

これ、実は壁画に見せた三尊像だったりするんだそうです。
ビックリです。
「平山氏からの挑戦状?」なんて事を申しておりました(笑)
だってそんなこと何にも書いていないから単に壁画かと思うではないですかね~?

御本尊が中央にあるヒマラヤです。
しかもこのヒマラヤ(平山と書きそうになる(苦笑))中央にドカンとそびえたっているのではなく、谷間から見えるような、現実に見える姿をそのまま描いたもので、本尊とするには変わった描き方だと思ったんですよ。
でも、仰ぎ見る時、谷間からやっと見えた姿と言うのは感動を呼びます。会いたくてやっと会えた人の遠くの姿を見つけた時のような、そんな感じもするので、この描き方も「あり」だなって思っていました。

行かれると解りますが、中央に描かれているヒマラヤはくっきりとしたカラーのはっきりとした絵ですがサイドにある高昌故城の遺跡(現・トルファン)とバーミアンは砂色をしています。これが脇侍にあたるのだそうです。

そして最後に描かれているナンダ-ラにこの壁画群唯一の人物の影が描かれています。
この人物についてはなんのコメントもないのだそうですが、玄奘三蔵と言う人もいれば、高田好胤和尚、その人だと言う話もあります。
平山郁夫氏は高田好胤和尚と共にシルクロードを何度か向かったと言われていますが、このナンダーラは高田好胤和尚が行きたいと言いながらも結局訪れる事の叶わなかった場所だそうで、その地に和尚が絵の中で降り立っていると言われると、「その説の方が良いな」と私は思いました。
月夜のナンダーラ。幻想的な風景が静かにたたずんでいました。

それからここに描かれているバーミアンは破壊前のバーミアンです。たった半日の時間しか取れなかった平山郁夫氏がどうしても行きたいと強行突破をして半日でスケッチしてきた風景が描かれています。

その日。あのバーミアンが爆破されたあの日、平山郁夫氏が激怒していた映像が思い出されました。

宗教に卑賤はありませんが、他宗教を敵視するのだけはやめてほしいですよね。でも話していたんですがイスラムにそんな教えは無いのだそうですね。結局、別れて行った様々な宗派と同じ事で、後世にドンドンその教えの解釈が変わっていき、時には政治や戦略に使われるわけです。
10人いれば10人の考えがあり、10通りの道があるわけです。これがまさしくこの薬師寺の信仰する法相宗の教えなわけです。

余談ですが、「どうして一途な思いだけであのような過酷な旅に出る事ができたのか」と言う質問を投げかけたところ「われわれとは違うのですよ」と言う答えが(苦笑)
そりゃそうでしょうけど・・・、その答えは答えになっていない気が(苦笑)
でもいろいろ話して行くうちに解ってきた事が一つ。一言で言えば玄奘三蔵と言う人は癒し系の人物だったかもと言う事(苦笑)
とにかく一つの事しかできない不器用な人物で、根が素直で明るい人だったから「手を貸してやりたい」と思わせるような人物だったそうで、だからこそ、旅立ちは一人でしたが行く先々で援助を受け、彼は他の僧のように可哀想な末路をたどることなく天竺にたどり着ける事になったようです。
とりわけ、トルファンの王にはお世話になったそうで、帰りにしばらくトルファンでそのありがたい教えを教授してほしいと言われ、約束して天竺に向かったそうです。
天竺に向かって帰国するものは帰りはたいてい船で帰るのだそうですが、玄奘三蔵は約束があるのでと言う事で陸路を取ったそうです。しかし、彼がトルファンに向かう途中、その王国が滅ぼされたという事を知り、ずいぶん嘆いたと言う事でした。
「諸行無常の響き」を聞かれたのですね。

行きと帰りは陸路と言えど違う道をたどったそうです。その帰りの道がこの伽藍では壁画の足元に描かれています。
これがいわゆる須弥壇にあたるのだそうです。

行かれる機会がありましたら、「ああ、玄奘もおバカキャラ的な人だったのかしら(違)」と思いながら見てみては如何でしょう(笑)

最後に、お聞きしたんですが来月から東塔の周囲には柵が出来るのだそうで近寄る事が出来なくなるんですって。
【2009/06/27 23:05 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック(0)
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