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【2020/03/31 23:19 】 |
安土
a1.jpg好きな場所の一つです。
滋賀県・安土町。
特急も急行も止まらない、普通電車しか止まらない小さな町ですが、私はここのロケーションが凄く好きです。
なんと言うか、あるのは安土城跡とこの博物館群だけなのですが、それが田園風景とマッチして、実に開放的になるんです。

その安土町、今、揺れに揺れていますね・・・。
なんでも近江八幡市と合併してしまうとか。世の常なのかもしれませんが、住民の反対をよそに、8月に合併しそうですよね。

a3.jpg

ここは言うまでもなく、【天下布武】の印鑑を使った織田信長にとっては、ここを拠点に世界へと目を向けていた場所。
謎の城・安土城のおひざ元。





a2.jpgこの復元された安土城上層部はここに「信長館」として存在しています。
今年の「信長まつり」はインフルエンザの為に中止され、さぞや住民はショックだったでしょう。
安土城跡を彫刻公園にしてしまおうとか、本当に、がっかりするような提案ばかりする役人たちは、採算が合わないから観光人口の多い近江八幡と合併したらいいんじゃない?と安直に決断したんでしょう。ま、お隣ですけど・・・。

今年の秋に上映されるこの映画。




ヒットしたら良いなと心ひそかに願っています。
観光客が増えたら、なにかしら変わるのでしょうかね・・・。

おまけです。

城と言えば、この映画も気になってます(笑)



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【2009/06/10 18:57 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック(0)
唐招提寺 うちわまき
utiwa3.jpg昨日は薬師寺に納経して、写経したあと、唐招提寺に行ってまいりました。
『うちわまき』だったんです。
招待状を頂いたので、せっかく頂いたのですから、以前から一度は行ってみたいと思いながら、平日はどうしても出る事が出来なかった身分でしたので、行くことができなかった為、これも何かの縁と考え、行くことにしました。

心配したお天気も晴れて、暑くもなく寒くもなくと、良い日和となったので助かりました。

utiwa4.jpg本日の舞台はこの「鼓楼(国宝)」。
ここに100本のハート形のうちわが設置されており、これをお坊様がこの鼓楼から撒くんです。
100人限定の整理券が出されたのはまだ金堂の策が取れていないため。危険ですからね。大暴れして怪我してもつまらないでしょう(笑)参加年齢の上限が60歳なはずでしたが、見るからに超えている方が多い気が・・・(苦笑)
インフルエンザなどなんのその。このうちわで薬害退散って事でしょうか。
自称60歳なんでしょうか(笑)しかし、人数分のうちわなのに「2本取った」とか言う声を聞くと、取れない方も多かったのかしらね。まぁ、以前の記事で散華の話もあったように、奪い合いも熾烈だったのでしょう。


utiwa2.jpg「うちわまき」と呼ばれるこの行事は本来は梵網会(ぼんもうえ)と言います。
薬害退散など、厄除けの意味で今では持って帰っておりますが、本来は不殺生の戒律を守るためのもの。どちらかと言うと虫よけ(笑)
5月19日と言うのは覚盛上人の命日です(余談ですが私の義母の命日でもあります)不殺生の戒律を守り、蚊にさされるがままであったとされる鑑真和上に習って、覚盛上人も刺されっぱなしだったのを見て、法華寺の尼僧があれはあまりにも惨いと、せめてこれで蚊をはらってくださいと「うちわ」を奉納した事が由来なんだそうです。

今、奈良国立博物館で今月24日まで「鑑真和上展」が行われておりますが→クリック覚盛上人坐像は現在こちらにあります。
すみません(汗)私、寺内でお見かけしていたのを忘れておりました(汗)回忌ですものね、お帰りになってらっしゃるのは当然でした。覚盛上人坐像の展示期間は17日まででした。ですので、19日の時点ではちゃんとお寺にいらっしゃっておりました。
鑑真和上については有名なので書く事もない気がしますが、覚盛上人について御存じない方も多いかと思うのでちょこっとだけ。
命をかけた授戒潅頂を伝来した鑑真和上でしたが、時の流れと言うのは無常でして、今も昔も変わらない、「流行」と言うのに押されて「戒律」そのものがないがしろになって行ったのでした。
しかしながら、「戒律」と言うのは僧にとっては「資格」。
これがあるのと無いのとは国内では気にされないとしても、中国・朝鮮等、外国では通用しない。
こんな事では一大事になると、当時、すでに戒律の方法すら知らない人がほとんどで、それを覚盛上人が復興したのが鎌倉時代の事だったのです。

utiwa1.jpg覚盛上人760回忌である今年も滞りなく行われました。聞くところによると、以前は餅も撒かれたらしく、今年もまだ狭いという理由でうちわのみのようです。
しかし・・・、これ、金堂のフェンスが取れた来年、怖いほど人が集まりそうですね(汗)とてもそんな闘争に勝てる自信がありません(苦笑)
ちなみに、招待客は参戦権利がございません(笑)普通にタダで1本頂いて帰れます。闘争に負けても頂きたい場合は、事前にうちわ整理券なるものをゲットすれば頂いて帰れます。さらに、それもだめだった方、1本1000円でお買い求めて下さいませ(笑)
utiwa5.jpg「1000円は高いやろ~」とぼやいている方がおりましたが、最近は普通では?
確か・・・、四天王寺「どやどや」の牛王宝印は柳の木に挟まれ、やはり1本1000円でしたよ。まだ、こっちのうちわの方が手作りうちわですので安いと感じましたよ。四天王寺のは柳の枝に札が挟んであるだけでしたもの。
写真は「鼓楼」につるしてある巨大うちわ(笑)この小さいのを貰って帰れます。我が家にも貰って帰ったうちわが1本あるのですが、写すのが面倒(ダメダメ)なので、形状が同じなこの写真をアップしました。

【2009/05/20 13:20 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック(1)
玄奘三蔵会大祭
5月5日

薬師寺・玄奘三蔵会大祭に行ってまいりました。

伎楽です。
あまり馴染みのないものでしょうけど、舞楽・雅楽といったものの、元になったものです。

gigaku1.jpgもともと中国から伝来した仮面の大きな無言劇であったものですが、日本では6世紀頃に、寺社の境内で仏の教えを深く理解させ、仏法を広めることを目的として、盛んに上演されていました。

ところが、飛鳥以降すたれてしまい、正倉院や法隆寺などには、百面を超える伎楽面が現存し、国宝として指定されており、伎楽面は、人顔・妖怪・獅子・金剛など様々ですが、演目については、現存している資料が非常に少なく、詳しいことはあまりわかっていません。

しかし、1000年たった現在、昭和55年に東大寺大仏殿の落慶法要で復活しまして、その後、薬師寺では『最勝会』の一つとして行事化するようになり、現在もなお、1000年前の姿そのままで執り行われています
しかしながら、簡単にはいかなかったようで、薬師寺では当時の染め技術の復活から始まり、衣装の製作、そして、さらに解りやすくするために僧の声明によって解説を入れながらの上演となっております。
これを聞いていますとね、お坊さんも能の謡ができるのではないかと(苦笑)
薬師寺のお坊さんはとにかくなんでもやらなければならないため、なかなか器用な方が多いです(笑)

gigaku3.jpg今年の玄奘三蔵役は狂言師の茂山逸平さん。

薬師寺の玄奘三蔵院伽藍で行われる行事で、残念ながら一般参拝の方には拝見できないようです。
外からなら見れるのかしら・・・。それとも後ろで立っている方々が一般参加の方々だったのかしら・・・。すみません、不確かで・・・。
なにかしら薬師寺と縁を結んでいる方に招待状が届き、それで入堂できると言うシステムです。
とにかく、30年近くぶりの(汗)雨だったもので、伽藍全体に屋根ができていてうまく写真が撮れませんでした。
なんだか雨にたたられてます(苦笑)

玄奘三蔵の分骨がこの薬師寺にはございます。
長らく彼のお墓の場所が分からず、遺骨も不明になっていたのですが、戦時中、中国に居た日本兵が発見し、いったんは日本に持ち帰ったのですが、これは中国にお返しすべきものと、平和になってから玄奘三蔵は帰国されました。

その後、発見してくれたお礼だと日本にも分骨され、その一部が玄奘三蔵の教えを伝えている(法相宗)総本山である薬師寺に贈られました。
そしてそんな大事なものを贈られたのだからとこの伽藍が建立されたのでした。

玄奘三蔵と言えば一般に「三蔵法師」と言う名前で親しまれ、あの「西遊記」と言うお話が有名ですよね。
鎖国をしていた長安を後にして、禁を犯し国を出、そしてインドまでありがたいお経を授かりに旅をした三蔵法師は、実際にはたった一人だったという事です。
インド(天竺)への道のりはそれはそれは過酷だったようで、それがあまりにも痛々しいと後の世の中国の人が「彼を助けるお供」を生み出し、「西遊記」が生まれました。

たった一人で過酷な旅をしてインドまでたどり着いた玄奘三蔵は、インドで様々なお教と出会い、勉学にはげみ、そして大量にお経を写経して持って帰ったのだそうです。行きはコッソリと出た玄奘三蔵でしたが、帰りはその功績をたたえられ、鳴り物入りで長安に入ったそうです。
彼が持ち帰ったお教は中国語に翻訳され(玄奘三蔵は翻訳家としても第一人者)日本に伝わったのです。
そして、あの「般若心教」も玄奘三蔵が訳したものです。

そんな彼の旅の様子を伎楽で演じていらっしゃるのです。
gigaku2.jpg伎楽の花形でもある獅子。
 
gigaku4.jpggigaku5.jpg
伎楽奉納の前の散華と大涅槃経の転読

この散華、座っている真上からも落ちるようになってましてね、私の目の前にヒラヒラと舞い降りたものを取ろうとした瞬間、一人、間に挟んだ向こう側に座っているご婦人が身を乗り出して私の手の中に入ろうとした散華を奪い取って行きました(汗)なんだかむなしくなりましたよ・・・。
持って帰りなさいと言われたかのように落ちてきた散華を掠め取られるなんて・・・。
それでも他にも落ちてきたので、1枚だけ頂戴して、後は取る事の出来なかった後ろの方にお配りしました。すると、私の前に座っているご婦人も、後ろに回して下さって・・・。本当は分かち合ってこその散華だと、思うんですよね。
恥ずかしくも、席から駆け寄って演目が行われている最中の舞台近くの三蔵院まで回り込み、数十枚も拾い集める方もいて、お坊様から渡されるのなまだしも、なんだかあさましいというか・・・、そんなに持ち帰って何にするのだろうと思ったり・・・。まぁ、家族に分け与えてお財布にでも入れるのでしょうけど・・・。
以前にも経験したんですよ、こんな風景。
娘がガックリと肩を落とし、醜くて、正視できなかったと。
散華を奪い合うシーンは残念ながら事あるごとに目撃してしまいます。

その後夕食券というものを頂きまして、ちらし寿司の折り詰を頂き、写経道場で頂きました。その整備をしているのが全員高校生。
きっとボランティアなんでしょうね。遅くまでご苦労様でした。

gigaku6.jpg入堂する前に頂いたろうそくは終わった後それぞれこの起き燈篭に点火したものを各自が灯してゆきます。これは玄奘三蔵院伽藍と白鳳伽藍の間に並べられてあります。
私も娘の供養のため微々たるお金ですが協力いたしました。なかなか幻想的になっていました。


『最勝会』とは。

パンフレットには「神仏の国、日本には、勅使の参向を受け行われた幾多の仏教儀式の中でも、とくに重要とされた3つの法会がありました。その一つが500年ぶりに復興された、薬師寺の「最勝会」と言う法会です。最勝会は国家安泰や五穀豊穣などを祈る法会で、僧侶の国家試験の場でもありました。講堂の本尊阿弥陀繍佛のもと盛大に行われてきましたが、享禄元年(1526年)の兵火により焼失し、法会も途絶えておりました。それ以来、最勝会の復興は一山の悲願でありました。
ようやく平成15年、大講堂復興と共に平成の世に「最勝会」は蘇りました(以下略)」

ところでこの日、一人なのか数人なのかわからないのですが、お写経を一気に一万巻奉納された方が名古屋からいらっしゃいまして、ビックリしました。
一万巻ですよ?
1日1枚書いたとしても10000÷365=27.397・・・
つまり27年間かかるわけです。
卑しい話ですが、金額にすると2000×10000=20,000,000
来られた方のみならず、お坊様も唖然と・・・(苦笑)

世の中には凄い人もいるものだと・・・。

まだまだ、昨日に引き続き、精進せねばと(苦笑)


【2009/05/10 14:07 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック(0)
奈良土産
奈良土産と言えば「奈良漬」
その歴史は古く、平城京の遺跡跡から出土した木簡の納品伝票に記載されていたそうで、当時から奈良漬(当時は粕漬けと言われていたようですが)は高級食材として存在していたようです。

しかしながら、食べた方はお分かりかと思うのですがお酒の弱い人なら、奈良漬のにおいを嗅いだだけで酔ってしまうと言う凄いもの(苦笑)
今では瓜だけでなく、キュウリやナスまでも奈良漬に変化し、そのほかウリ科の瓢箪、ごぼうと種類は様々。
形は変わっても奈良漬は奈良漬、ちょっとならまだしも、あれはなかなか食べきる事ができません(苦笑)

奈良漬に違和感のない私でさえ、残してしまう事もあります。

で、最近「西の京」に月2で行くようになり、必ず買い求めてゆくのがありまして、刻まれた奈良漬に金山寺味噌をあえたもので、ごはんに乗せて食べるのが好きなんですよ~。

「こうふく味噌」(一袋500円)と言います。

同じような手法で作られた「薬師味噌」というものがありますが、こちらは「こうふく味噌」よりも少し奈良漬の配分が多いような気がします。
どちらがお好みかは人それぞれ。
どちらも「西の京」で手に入ります。
「こうふく味噌」の会社は「三楽洞」
「薬師味噌」の会社は「本家寿吉屋」

【三楽洞】の支店でもある【大納言】といううどん屋さんが薬師寺から唐招提寺へ行く道にありまして、お昼を食べるついでに買い求めていきます。

【本家寿吉屋】は薬師寺南門前にあるんですけど、いつも駅から直で薬師寺に入ってしまうので、遠回りになる南門にはめったに出ないんですよね~。
車や観光バスで行かれると、南門から入る事になるのでお店は近いです。

【三楽洞】の本店は興福寺南円堂階段下にあるのですが、本来はお土産品やさんなのかな?
ここに行くともうひとつ買うものがあります(笑)

それは「あかしや」の筆。
写経用筆なんですが、1本1575円します(汗)
しかしこれが書きやすい!!
ほかにもいろいろ試してみました。これより高そうな筆も試しましたが、やはりこの「あかしや」の筆が一番書きやすい。
もう少しお手頃な1050円筆がありますが、どちらも書きやすいです。

あかしやHP→クリック

しかし、筆は高いイメージがあるのでこれでも安い方なんだろうなと思われます。

【2009/03/24 18:11 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック(0)
大和郡山(観光編)

話が長くなりそうだったので観光編と称して第2弾です(苦笑)

とにかく、雨が尋常ではなかった(汗)
どうしてこんな日に来なければダメだったのか、まったくの謎です。

これは城に行く前に、どうしても寄りたいと言っていた「大納言塚」へは先に行くべきだろうと考え、近鉄「大和郡山」に降り立ちまずは西へ。

事前にNETで確認したものの、地図を持ってくるのを忘れてしまい、「だいたいこっち」と(苦笑)歩き始めました。
奈良にはよくある事ですが、駅前通りといえど道が狭い。
しかも、奈良の人も「歩くより車派」が多いらしく、そして雨。その為に交通量も
大変なもの。
そんな中をテクテク歩いている私たちって・・・、とか思いながら、とりあえず覚
えている方角を目指して歩いて行きました。
どのくらいの時間だったか覚えていないのですが、さほど遠いとも思えない所で大
通りに出ました。
「たぶんここから右」
南に少し行くと「←大納言塚」と言う看板を発見。
凄いと自我自賛(苦笑)方向を示す看板通り細道を行くと、迷うことなく大納言塚
に到着しました。
しかし、ここもまた車がドンドン通って行く。
待ってくださいよ~(涙)車が一台通るのにやっとの道ですよ~?
そこを次から次へと・・・。
歩いているほうは命がけです(苦笑)

大納言塚とは豊臣秀長の御墓と言うか供養塚と言うか・・・。
実際はどっちなんでしょう。400年の時が定かではなくしているのはここだけで
はありませんが・・・。

このあたりに秀長の為に秀吉が大光院を建立しました。
そしてそこに秀長を埋葬したのでした。豊臣が滅びた後、徳川の領地となった郡山
をはばかったのか、藤堂高虎はこのお寺の院主が京都・大徳寺の和尚だった関係で大徳寺の塔頭として移し、彼の位牌を郡山にある「春岳院」で祀ってもらうようにしました。その後この墓は一時荒廃してしまったのですが、春岳院の僧侶の力で再建され五輪塔が建立されたのでした。
地輪には秀長の戒名である「大光院殿前亜相春岳紹栄人居士」と刻まれてありま

 

kouriyama8.JPG

春岳院


実はここ、お願い事が叶うと言うお話が・・・。
塚の横の立て看板には「お願いの砂  大和大納言秀長公は優しく賢く、とても立
派なお殿様で、今の大和郡山の基礎を築かれたお方であり『学問の智将』とも言われています。今日お参りで来たお礼を申し上げた後『自分の名前』と『願い事』を言いながら、門前の石の箱へ、三回お砂を通しますと、きっと願い事を聞いてくださいます。 合掌礼拝 平成八年三月吉日 大和大納言奉賛会」と書かれてありました。

kouriyama4.JPGそれがこれ。

秀長さんも大変です。死んでもまだ皆の為に頑張らなければならないのですから(苦笑)

kouriyama5.JPGその後、盆梅展を兼ねた多聞楼内部公開の為にお城に。子供の頃、郡山城にお城らしきものはなく、ただ石垣だけがあったと記憶していたのですが、どうやら復元されたようでした。
昭和62年に復元されたとか・・・。
天守閣の復元はと考えたのですが、なんと、天守閣があった場所は柳沢神社になっ
ております。
喪中のために神社の中には入れず全貌を見ることは出来なかったわけですが、神社
になってしまっているのならどうしようもないでしょうね~・・・。
五代将軍綱吉の時代に城主は柳沢家になったという話は前回に書きましたが、柳沢
の歴代の城主を神にして神社にしてしまうとは・・・。さすが明治政府(苦笑)なんだか明治政府だけが盛り上がっているようにも思える所業です。
そして、城の半分は学校になっており(郡山高校)「近鉄大和郡山駅」の西側に位
置するお城ですが、実は城内に入るにはいったん東側に出て、わざわざ線路を渡ってでなければ入れない状態になっております。
なんだかややこしい・・・。
西にあるから西から入れる場所もありますけどね。そこから入ると遠回りになるん
でっすよね~。

kouriyama6.JPG

「秀長」と名付けられた盆梅


見事な盆梅を鑑賞した後、「柳沢文庫」と言う文字にひかれて行ってみることにし
ました。
kouriyama7.JPG昭和35年、元毘沙門郭のあった場所に開設され、柳沢家から引き継がれた史料や
書物を保存している場所です。
ちょうど小さな展示会が行われており、「郡山城・城下町の歴史(3)」と言うタ
イトルでした。古写真などが興味深く、小さな展示会ですがなかなか内容の濃い展示会でした。そして小規模ながら本を自由に閲覧できるようになっており、名字辞典が結構揃っていて、思わず自分の名字を調べてしまいましたよ(苦笑)

その後、ここの「警察署はお城」と言う情報を聞いていたので「マジですか?」と

kouriyama9.JPG向かってみれば確かにお城(笑)



このお城の(笑)横にあった観光地地図を見て、藍染工房を目指すことにしました


kouriyama10.JPG郡山にはまだまだ江戸期のお家が点在しておりこの和菓子屋・菊屋もその一つ。そ
の当時の商店がそのまま残っております。ここには秀吉が名づけたと言われる「御城之口餅」が今も売られています。→クリック




kouriyama12.JPGさて、藍染工房「箱本館・紺屋」
元・染物屋をそのまま受け継ぎ資料館として経営している傍ら、藍染の体験が出来
る場所です(要予約)
見学ができると言う話でしたので染めの現場を拝見。
藍染って葉っぱを発酵させたものを使うのですね~、初めて知りました。
独特な香りの充満する工房で、そこの職員のがおっしゃっていました。
「生き物でしてね~、20人も一気に使うと死にかけるんですよ~」と(笑)
「もう無理!と言われるので慌てて蓋をして違う窯の染料を使う事をお勧めします
」とおっしゃっていました(笑)
染料が作られている窯は全部で6つ。それを会話しながら使うのですって。
結構長い間おしゃべりさせていただきました。雨だったのでお客さんも私とその染
物をされていた方の3人のみ。
その為か、工房の方のみならず、受付の人とも会話し続けて時間が・・・(苦笑)
「この雨の中を大納言塚まで行かれたのですか?」と驚かれたのですが、迷うこと
なく行ったと告げると、
「それはよう来たなと言われたんですよ」とおっしゃっていました(笑)
「だって、その傍にある金魚資料館に来るはずだった先生が雨の為に道に迷って中
止になったんですよ~?」と・・・。
そっから戦国武将の話で盛り上がり・・・(苦笑)
まずいまずい、ヲタまるだしですやん・・・・。

クリック

ところで「箱本」とはなんぞやと申しますと、郡山町中の自冶組織の事です。
税金免除の特権を与えられた内町13町(本町・今井町・奈良町・藺町・柳町・堺町
・茶町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町・綿町・紺屋町)で始まり、その任務は治安維持・消火・伝馬(公用の為に使用する馬を提供すること)などがあります。
この制度は町が交代でさまざまな対応が出来る住民自治の先駆と言われています。


そしてその後、傍で見かけた「おみやげ処 こちくや」に寄り道。
ここには金魚すくい道場なるものがありました(笑)
さすがにしませんでしたけど(笑)
戦国武将の名前が入ったお酒を集めている私はここで「秀長」と「順慶」を発見(
笑)思わず購入してしまいました。
そう、郡山は毎年「金魚すくい選手権」が行われる場所です。→クリック

HPを発見しました。CMがある!なんとローカル(笑)→クリック

「こちくや」の小竹とは秀長の幼少期の名前なんですって。
柳沢家ではなく筒井順慶と豊臣秀長をリスペクトしているのに好感触(苦笑)
kouriyama11.JPG


お店のテントには「秀長くん」が・・・(笑)このデザイン、確かNHKの「忍たま」
の絵を描いている方がしたとか・・・?






その他、焼き物も盛んに行われ、今に伝わる「赤膚焼」はここの名産です。
クリ
ック
赤膚焼の絵付け作品は、子供のころそんなに好きではなかったのですが、最近あの素朴さに魅入られています(笑)
なんとも癒し系な絵付けです。

雨は昼には上がり、あの雨はなんだったんだと・・・(苦笑)
赤膚焼も体験できるそうですよ。
今回行かなかったんですが、情報だけ。

クリック

そしてもうすぐ始まる「お城まつり」

期間は3月27日~4月10日まで

詳しくはこちら→クリック

【2009/03/13 20:03 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック(0)
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