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【2024/04/26 01:39 】 |
大和郡山(観光編)

話が長くなりそうだったので観光編と称して第2弾です(苦笑)

とにかく、雨が尋常ではなかった(汗)
どうしてこんな日に来なければダメだったのか、まったくの謎です。

これは城に行く前に、どうしても寄りたいと言っていた「大納言塚」へは先に行くべきだろうと考え、近鉄「大和郡山」に降り立ちまずは西へ。

事前にNETで確認したものの、地図を持ってくるのを忘れてしまい、「だいたいこっち」と(苦笑)歩き始めました。
奈良にはよくある事ですが、駅前通りといえど道が狭い。
しかも、奈良の人も「歩くより車派」が多いらしく、そして雨。その為に交通量も
大変なもの。
そんな中をテクテク歩いている私たちって・・・、とか思いながら、とりあえず覚
えている方角を目指して歩いて行きました。
どのくらいの時間だったか覚えていないのですが、さほど遠いとも思えない所で大
通りに出ました。
「たぶんここから右」
南に少し行くと「←大納言塚」と言う看板を発見。
凄いと自我自賛(苦笑)方向を示す看板通り細道を行くと、迷うことなく大納言塚
に到着しました。
しかし、ここもまた車がドンドン通って行く。
待ってくださいよ~(涙)車が一台通るのにやっとの道ですよ~?
そこを次から次へと・・・。
歩いているほうは命がけです(苦笑)

大納言塚とは豊臣秀長の御墓と言うか供養塚と言うか・・・。
実際はどっちなんでしょう。400年の時が定かではなくしているのはここだけで
はありませんが・・・。

このあたりに秀長の為に秀吉が大光院を建立しました。
そしてそこに秀長を埋葬したのでした。豊臣が滅びた後、徳川の領地となった郡山
をはばかったのか、藤堂高虎はこのお寺の院主が京都・大徳寺の和尚だった関係で大徳寺の塔頭として移し、彼の位牌を郡山にある「春岳院」で祀ってもらうようにしました。その後この墓は一時荒廃してしまったのですが、春岳院の僧侶の力で再建され五輪塔が建立されたのでした。
地輪には秀長の戒名である「大光院殿前亜相春岳紹栄人居士」と刻まれてありま

 

kouriyama8.JPG

春岳院


実はここ、お願い事が叶うと言うお話が・・・。
塚の横の立て看板には「お願いの砂  大和大納言秀長公は優しく賢く、とても立
派なお殿様で、今の大和郡山の基礎を築かれたお方であり『学問の智将』とも言われています。今日お参りで来たお礼を申し上げた後『自分の名前』と『願い事』を言いながら、門前の石の箱へ、三回お砂を通しますと、きっと願い事を聞いてくださいます。 合掌礼拝 平成八年三月吉日 大和大納言奉賛会」と書かれてありました。

kouriyama4.JPGそれがこれ。

秀長さんも大変です。死んでもまだ皆の為に頑張らなければならないのですから(苦笑)

kouriyama5.JPGその後、盆梅展を兼ねた多聞楼内部公開の為にお城に。子供の頃、郡山城にお城らしきものはなく、ただ石垣だけがあったと記憶していたのですが、どうやら復元されたようでした。
昭和62年に復元されたとか・・・。
天守閣の復元はと考えたのですが、なんと、天守閣があった場所は柳沢神社になっ
ております。
喪中のために神社の中には入れず全貌を見ることは出来なかったわけですが、神社
になってしまっているのならどうしようもないでしょうね~・・・。
五代将軍綱吉の時代に城主は柳沢家になったという話は前回に書きましたが、柳沢
の歴代の城主を神にして神社にしてしまうとは・・・。さすが明治政府(苦笑)なんだか明治政府だけが盛り上がっているようにも思える所業です。
そして、城の半分は学校になっており(郡山高校)「近鉄大和郡山駅」の西側に位
置するお城ですが、実は城内に入るにはいったん東側に出て、わざわざ線路を渡ってでなければ入れない状態になっております。
なんだかややこしい・・・。
西にあるから西から入れる場所もありますけどね。そこから入ると遠回りになるん
でっすよね~。

kouriyama6.JPG

「秀長」と名付けられた盆梅


見事な盆梅を鑑賞した後、「柳沢文庫」と言う文字にひかれて行ってみることにし
ました。
kouriyama7.JPG昭和35年、元毘沙門郭のあった場所に開設され、柳沢家から引き継がれた史料や
書物を保存している場所です。
ちょうど小さな展示会が行われており、「郡山城・城下町の歴史(3)」と言うタ
イトルでした。古写真などが興味深く、小さな展示会ですがなかなか内容の濃い展示会でした。そして小規模ながら本を自由に閲覧できるようになっており、名字辞典が結構揃っていて、思わず自分の名字を調べてしまいましたよ(苦笑)

その後、ここの「警察署はお城」と言う情報を聞いていたので「マジですか?」と

kouriyama9.JPG向かってみれば確かにお城(笑)



このお城の(笑)横にあった観光地地図を見て、藍染工房を目指すことにしました


kouriyama10.JPG郡山にはまだまだ江戸期のお家が点在しておりこの和菓子屋・菊屋もその一つ。そ
の当時の商店がそのまま残っております。ここには秀吉が名づけたと言われる「御城之口餅」が今も売られています。→クリック




kouriyama12.JPGさて、藍染工房「箱本館・紺屋」
元・染物屋をそのまま受け継ぎ資料館として経営している傍ら、藍染の体験が出来
る場所です(要予約)
見学ができると言う話でしたので染めの現場を拝見。
藍染って葉っぱを発酵させたものを使うのですね~、初めて知りました。
独特な香りの充満する工房で、そこの職員のがおっしゃっていました。
「生き物でしてね~、20人も一気に使うと死にかけるんですよ~」と(笑)
「もう無理!と言われるので慌てて蓋をして違う窯の染料を使う事をお勧めします
」とおっしゃっていました(笑)
染料が作られている窯は全部で6つ。それを会話しながら使うのですって。
結構長い間おしゃべりさせていただきました。雨だったのでお客さんも私とその染
物をされていた方の3人のみ。
その為か、工房の方のみならず、受付の人とも会話し続けて時間が・・・(苦笑)
「この雨の中を大納言塚まで行かれたのですか?」と驚かれたのですが、迷うこと
なく行ったと告げると、
「それはよう来たなと言われたんですよ」とおっしゃっていました(笑)
「だって、その傍にある金魚資料館に来るはずだった先生が雨の為に道に迷って中
止になったんですよ~?」と・・・。
そっから戦国武将の話で盛り上がり・・・(苦笑)
まずいまずい、ヲタまるだしですやん・・・・。

クリック

ところで「箱本」とはなんぞやと申しますと、郡山町中の自冶組織の事です。
税金免除の特権を与えられた内町13町(本町・今井町・奈良町・藺町・柳町・堺町
・茶町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町・綿町・紺屋町)で始まり、その任務は治安維持・消火・伝馬(公用の為に使用する馬を提供すること)などがあります。
この制度は町が交代でさまざまな対応が出来る住民自治の先駆と言われています。


そしてその後、傍で見かけた「おみやげ処 こちくや」に寄り道。
ここには金魚すくい道場なるものがありました(笑)
さすがにしませんでしたけど(笑)
戦国武将の名前が入ったお酒を集めている私はここで「秀長」と「順慶」を発見(
笑)思わず購入してしまいました。
そう、郡山は毎年「金魚すくい選手権」が行われる場所です。→クリック

HPを発見しました。CMがある!なんとローカル(笑)→クリック

「こちくや」の小竹とは秀長の幼少期の名前なんですって。
柳沢家ではなく筒井順慶と豊臣秀長をリスペクトしているのに好感触(苦笑)
kouriyama11.JPG


お店のテントには「秀長くん」が・・・(笑)このデザイン、確かNHKの「忍たま」
の絵を描いている方がしたとか・・・?






その他、焼き物も盛んに行われ、今に伝わる「赤膚焼」はここの名産です。
クリ
ック
赤膚焼の絵付け作品は、子供のころそんなに好きではなかったのですが、最近あの素朴さに魅入られています(笑)
なんとも癒し系な絵付けです。

雨は昼には上がり、あの雨はなんだったんだと・・・(苦笑)
赤膚焼も体験できるそうですよ。
今回行かなかったんですが、情報だけ。

クリック

そしてもうすぐ始まる「お城まつり」

期間は3月27日~4月10日まで

詳しくはこちら→クリック

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【2009/03/13 20:03 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
<<講談師と遊ぶ真田幸村(?)のイベントです。 | ホーム | 大和郡山(歴史編)>>
有り難いご意見
やはり?(笑)
 なんとなく・・・、ですけど、続きがある予感がしておりました(苦笑)。そうでしたか・・・。今日もそうですけど、雨の中、お疲れ?さまでした・・・。でも、カンがあたって良かったですね(^^;;。私も、自分のエッセイで書いてますけど、玉造駅で降りて、玉造稲荷に行くのに、不意に迷って、今は真夏だし・・・、バテたくない、どうしよう?と思っていたら、道路の標識でまっすぐ行くと、深江と書いてあったのを発見して、ああ、じゃあここを左ね、と、わかった事がありますが・・・。もっとも深江を知っていればこそ、ですが・・・。

 さて、う~ん、秀長ってこうしてみると、すごい?人だったんですね。勉強?になります。「こちくや」さんのCM、よかったです。いえ、もちろん全国を見渡せばいくらでもあるのでしょうけど、金魚すくい、が、何とも言えず・・・(笑)。でも、こうして読ませていただくと、一文一文が歴史の重さを感じて、本当にガルダさんには、いつも感謝いたしております。藍染工房「箱本館・紺屋」さんも、いいですねえ。奈良方面もしばらく行っておりません・・・。今すぐは無理でも、また行きたいものです。「赤膚焼」も、味わいがありますねえ。と、感想だらけになってしまいましたが(苦笑)。梅は・・・、もう咲いていますでしょうか・・・?
【2009/03/13 20:46】| URL | MU!! #529676c3e1 [ 編集 ]
Re:やはり?(笑)
はい、久々に観光らしい観光を致しましたので(苦笑)
機会があればぜひ奈良にお越しください。
なんだかここは昔に都があったにも関わらず、どこかゆったりとしている場所です。
もちろん奈良市内は人が多いですが・・・。
梅はもう終わりかけています。ものによっては満開ですが。
【2009/03/16 16:15】


蛇足ながら・・・、
先日、ZAQのプレゼントで、フリースブランケット、当たりましたよ(苦笑。小さいのですけどね。
【2009/03/14 16:32】| URL | MU!! #5296770014 [ 編集 ]
Re:蛇足ながら・・・、
あ、いいですね~。あたたかそうです。
【2009/03/16 16:16】


無題
すごい!
さすがガルダさん、歴史オタク(笑)
最近読んだ「関西の●●旅」って新書本の大和郡山の章(8ページ)よりも詳しい。(笑)ま、視点は少々違う訳ですけれども。
でも、そんな凄いコンテンツを惜しげも無く無料で公開というのがまたすごいですね。楽しく読ませていただきました。
【2009/03/17 12:25】| | みにょ #9377f4ded4 [ 編集 ]
Re:無題
郡山は子供のころから馴染みの場所ですので(笑)
一点集中型?
まぁ、行き当たりばったりな感は否めませんが(苦笑)
観光雑誌は広く浅くが基本ですからね~(笑)
得てしてそういう雑誌で行ったとしても、面白さというのは伝わりません。
自分で行って、その場所に住んでいる人を見たり、また話をしたりするのが醍醐味で(笑)
道を聞いたりお勧めスポットを紹介してもらったりと、そっちの方が断然面白いです。
それをお伝えできたのなら、書いた甲斐があるってものです(笑)
【2009/03/22 17:23】


貴重なご意見の投稿















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