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【2025/02/03 22:56 】 |
風林火山感想
撮れているものとばかり思っていた「風林火山」
途中で作品が切れていたことに驚愕
これはもしや、他にもと思い再び残していた映像をチャック中(汗)

幸い、再放送がなされているので慌てて予約録画する事にしました。

で、見直してやはり「良くできた作品だ」と思う私です。

1,信玄の妻・三条夫人の事

w06_3.jpg今までの作品なら良き妻として描かれていたり、逆に最悪な悪女のように描かれていたりしていた人ですが、ここではちゃんと「成長」をしています。
長い時間をかけて進められている作品だからこそかも知れませんが、このドラマを見て思ったんです。
信玄の妻は公家の出です。
彼女の言う貧困さと言うのは庶民から見れば裕福に映る物。
しかし、基準が違うのか、裕福ではないと実家の事を語る。
このシーンで彼女が「お嬢様」であることが描かれています。
戦に出かける信玄に対して「非情」であることばかり責める彼女は、やはり公家出身の証。その政のなんたるかを理解出来ないのは、直接戦乱の中に身を投じたことの無い人の、素直な感情であろうと理解しました。
公家出身の人間にとって目の当たりにしていない戦場と言うのは、やはり「絵空事」でしかないことなのだと描かれています。
もっとも、信玄が負けて地領を奪われるような事が無かったことが余計に彼女に「真実み」を感じさせなかったのかもしれません。
その事は武田軍の諏訪攻めで描かれていました。
嫁いだ先と実家が戦い、夫を自害へとし向けられた信玄の妹。
彼女の言葉の辛さを、三条夫人が根っこの方で理解しきれなかったと描かれていました。

しかし、ラストで彼女は「雲」であると自分のことを表現します。
風が起これば流されるしかない己のことをそう表現したのでした。
戦国武将の妻が如何なるものか、如何なる覚悟が必要か、彼女はドラマの後半になってきますと、少しづつ変わって来ます。
それでも妻として、母として、口答えのしない「良き理解者」になることはないのだと伝えます。
心を殺してまで、勇み足の夫に仕えることはないのだと伝えます。

戦国武将を描くドラマはその勇猛さを全面に出しがちですが、この世は男女で成り立つ世の中。
女性の言葉に「夢」から「現実」へと下ろされるのはあたりまえに違いないと思える作品でした。
互のぶつかり合いで「和解」を得、そこから色んな方向に進んでいく。
昔も今も変わらないと思いますね。


少しづつ成長する彼女の姿は、今現在の奥様方にも投影されます。
色んな事を経て、人というのは成長する。
何度も歴史は繰り返され、同じようなことをしていても、先人の言葉が存在していても、「経験」しなければ理解出来ない人間の愚かさ。
そんな風に思えて仕方がありません。

2、板垣信方の事

w28_3.jpg主君に命を捧げると簡単に言うけれど、「命」の重さというのは、死んでいく者はそれなりの覚悟と己の思いに酔った状態で死んでいくやも知れないけれど、鍬を槍に変えて己の家族を守る為に戦う農民はそうではないでしょうね。
そして死なれてしまった主君の心は、取り残されてしまった辛さが重石のようにのしかかってくるわけです。死んでいった者の心まで背負わなければならないのですからね。
農民に至ってはそんな感情もあるかも知れないが、先行きの生きる方法が重くのしかかります。

「武士道とは死ぬることなり」なんて、嘘ですよ。
ドラッグ中毒の寝言にしか思えません。

しかしながら板垣最後のシーンは何度見ても泣いてしまいます。
きっとこれは日本人特有の「ものの哀れ」感情がもたげるからでしょう。
なんというか、誰かの犠牲になって誰かを生かすと言う行為は「無償の愛」であるわけで、そんな風に描かれると日本人なら泣いてしまいます。
それは、信玄の弟、信繁の最後にも感じた事柄でした。

板垣信方と言う老将は、信玄の養父のような者で、師匠のような者。
彼の死が信玄にとって大きくのしかかって来たに違いありません。
史実では本物のうつけ者で、担ぎ上げられて主君の座に着いた信玄でしたから、彼の死が信玄の道を変えたのは、確かだったようです。
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【2008/01/20 13:28 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
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有り難いご意見
無題
あの~ガルダさん、『武士道といふは死ぬ事と見付けたり』って、そーゆー意味ではないんですが(^^;)
…まいっか。
【2008/01/20 14:54】| | ごるごん #9b11f484cc [ 編集 ]
説明不足でしたね
「武士道の本質とは死ぬことだと知った。生か死かを選ぶ際に、死ぬ方を選ぶというだけのことである。別に難しいことはない。腹を据えて進むだけである。二者択一で正しい方を選ぶのは、とても難しい。人は誰しも死ぬよりも生きる方がよいものである。だからこそ生きる方を選ぶことに理由をつける。ただ、生きる方を選んで失敗して、なお生きているとすると腰抜けといわれることになる。しかし、死ぬ方を選んで、失敗して死ぬと、犬死にだといわれるかもしれないが、恥ではない。これが武士道の本質である。」
って意味でしょ?
だからこそ、寝言だと言っているんです。
私は人が好きです。恥ずかしくとも一生懸命生きることを選ぶ、そんな人が好きなんですよ。
【2008/01/20 17:14】


無題
いえ、違うんです。長くなるから、今度お会いしたときにでも(^^)
【2008/01/23 15:16】| | ごるごん #9b11f484d2 [ 編集 ]
Re:無題
よく分かりませんが・・・、はい。
【2008/01/24 15:27】


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