天王寺美術館で開催されている「道教の美術」を見に行ってました。
日本の仏教は如何に日本独自なものに変化したのかよくわかった気がします。
道教の思想や理念は神道に繋がってますよね。
道教もまた創始者が無く、自然におこった宗教で、多神教でもあります。
道教と仏教が同時期に日本に伝わった感があるので、その二つが混ざりあい、日本の仏教と神道に繋がったとしたら、日本において神仏分離は不可能だったのではないかとさえ思います。
しかし道教は正式には伝来しておりません。
鑑真和上を日本に迎えるにあたって、道士もつけろと言う言葉を拒否し、結果、密出国と言う形で鑑真は日本に訪れています。
しかしながら日本における様々な年中行事は陰陽道から起源を発しているものも多く、この陰陽道こそ道教に繋がっているものだといえます。
死生観もこの道教に大きく影響を受けているようにも思えますね。
地獄と言うのはインドにもあった教えですが、そこに道教が合わさり、閻魔大王の裁判・死者の救済神でもある地蔵信仰、餓鬼を神にしていた民間信仰が合わさり、彼岸でもある今この時期に行われる「施餓鬼」等の行事をや信仰を生み出しました。
それまでは死者は即天界に行くと言う浄土真宗の教えそのものの考え方をしていたようです。
だからこそ山に魂が登るのだと信じられていたんですね。
道教の基本信仰は「福・禄・寿」と言う現世利益を得ると言う宗教。
福=幸運
禄=金銭
寿=長寿
七福神信仰などモロ、道教ですね。
とりわけ長寿に力を注いでおり、不老不死を追求している教えなんだそうです。
その代表的なお話が秦の始皇帝ですよね。
彼は不老不死の薬を求めて世界中に使者を送っていました。
結局、そんなものは見つからなかったようですが。
道士の来日を拒んだのは、やはり仏教で日本の体制を整えようとしていた時の権力者にとっては、都合が悪かったのでしょうかね~。
ところで、道教に創始者が居ないと書くと「じゃ、老子は?」って話になりますが、ここで説明されていたのは、後漢末頃、道教は組織的教団と設立したのですが、その時の格付けで担ぎ出されただけだと言う事でした。
もちろん、老子は道教についての本も書いておりますが、決して創始者ではなかったというのが昨今の定説なんだそうです。
道教と日本の結びつきとして他に、
「役の小角(役の行者)」と言う名前はよくお聞きになるでしょう。
修験道の祖として信仰を集めています。
修験道は道教と密教と古来からあった山岳信仰が結びついて成立されたと言われており、日本ではお目にかかれない仙人ですが、この役の小角はまさしく仙人をイメージされますね。
そして絵物語として有名な「浦島太郎」
これもまた道教の影響を色濃く受けています。
浦島太郎と言えば、助けた亀に連れられて、竜宮城に来てみれば 絵にも描けない美しさ♪ ですよね(笑)
しかし、本来の「浦島物語」はちょっと違うのですよ。
浦島太郎は亀を助けたのは助けたのだけれども、悪ガキから助けたのではなく、釣り上げた亀に懇願されて逃がしたんです。
そしてその亀は女性に変化して浦島と夫婦になります。そしてその後、、女体化した亀に連れられて蓬莱山へ行き、そこで暮らしたという話になっています。
中国では蓬莱山は海に浮かぶ神山で、仙人の住む山だとされていることから、「浦島太郎」は仙人伝説として伝えられてきたお話だったようです。
このように、ちょっと探せば道教にぶつかると言う日本。
正式には伝わっていませんが、すでにしっかり浸透していたという事だったんですね。
一番身近なものと言えば、やはり暦でしょうね。
六白金星とか、大安とか、厄年とか・・・。
そういった暦は道教によって成立されたもの。
今では普通に日常に浸透していますよね。
今の日本の仏教は、インドから伝わった正式な仏教ではないけれど、それはそれ(苦笑)
私はそれでも日本人ですので、今の日本の仏教に帰依していきたいと思っています。
何よりも、信じていると楽、なんですよね。
PR