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どなたもそうだと思うのですが、ペットが死ぬと結構堪えます。
タロウの場合、可愛がっていたという感は私にはなくて、毎日が戦争状態だったのですが、(→●)いざ、居なくなると寂寥感と言うより、罪悪感?そんなものが私を襲いました。 可愛がってやれなかった この思いで一杯になり、「寂しかったんじゃないだろうか」とか思ってしまって悲しくなってしまったんですね。 娘に任せっきりだったわけですが、最後の4年間はその娘も家を離れ傍に居てやれなかったわけで、タロウとしても寂しかったのじゃないかと思うんですよね。 家の中の人間以外の人間全てを憎んでいるかのように、毎日誰かがインターフォンを押すと臨戦態勢を取っていた猫です。 家の中の人間も、娘以外の人間がちょっとでも横になると襲いかかってきます。 毎日毎日、何かに怯え、何かを憎み、いつも闘争していた猫です。 心が安まった事があったのだろうかとも考えてしまいます。 本当に心から、今度はもっと穏やかに、もっと色んな事を許せる心を持って、生まれ変わって欲しいところです。 PR |
きょう、虚無状態へ乗車された!
Re:きょう、虚無状態
下車しました。
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僕も14年間一緒だった愛猫を亡くした晩は 真っ白な彫刻のようになってしまった遺骸へ 涙ながらに添い寝して過ごしました。
死 というのは 逝く者にとっても遺される者にとっても あらゆる束縛からの解放だと惟うんですね。勿論後者にとってはそればかり と言うか それどころではありませんが 死に逝く者の傍で暮らす日々には 実際キレイゴトでは片づけられないものがあります。 現実には 逝く者は苦痛から 遺される者は疲労から 先ずは解き放たれるんだろうと惟います。 どれだけ愛してどれだけ永く共に生きても 死別の刻 人は常に名残惜しく 後悔も尽きないもの——ガルダ殿も 先ずは自分の心身を休ませてあげてください。 Re:解放
ありがとうございます。
今まで、何度もペットとの別れを経験していますが、1度として慣れることはないですね~。 愛情もそれぞれに違いますし、思い出も勿論違う。 引きずる事は逝くものにとって辛いものになるだろうから、ひとしきり泣けば終わりにするように心がけています。 両親の時はなかなか抜け出せず、時が緩和すると思っていても、逆に時と共に思い出すことが多くなってしまって、「どうして居ないんだろう・・・」とか思うことも未だにあったりしますが(苦笑) いずれにせよ、「死」は「生」と背中合わせで自然なことなのに、「かかわった」者の中に「生き続けている」と言うのは毎回実感します。 |
ナナ・・・乗車で銀河鉄道思い出したけど、タロウの魂は虚無とかじゃなくてちゃんと往くべきところへ往ったと思います。
誰もインターフォンを鳴らさない所で、どうか安らかに眠れますように。 Re:無題
ありがとうございます。
もう、「怖い」と言う心も感じることなく、安らかな日々が送れていると思いたいです。 |
そうねぇ、タロウにしかわからないことだけど、現実的な話、ただ怯えるだけのかなしい猫生なら、15年も生きられなかったと思いますよ。
他のお家なら保健所行きだったかも知れないし(^^;) 飼い主としてのガルダさんは、もし私が猫だったら、今すぐ近鉄電車に無賃乗車して、ガルダさんちに押しかけ『私を飼え!拒否権は無い!夕食はモ○プチ!!』と言います。 飼ってくれなきゃタタリます。 飼ってもタタリみたいなもんだけど、気にしなくていいから(←違)。 名前かっこいいのつけてね♪
【2007/12/14 15:49】| | ごるごん #9b11f484cc [ 編集 ]
Re:無題
ありがとう御座います。
長く生きれた事は良かったのか否か、これも実は分かりません。 「生きていくこと」は次なるスキルアップの為の「修行である」と言う考えが私にあるので、タロウはタロウなりに実に頑張って「修行」を積んだのではないかとも思えます。 「えにし」があったればこそ、ここで15年近く居たわけで、彼の「修行」の助けを少しでも出来たのなら、「本望」とも言えますね~。 ごるごんさんが次ぎに猫として生まれることは無いにせよ、「えにし」は充分感じるので(笑)いつでも「ドンと来い」ですわよ(笑) |
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