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古来から、少なくとも「万葉集」の時代から、日本人は人が死ぬと山へ帰ると言う信仰があるのだそうです。
お寺が山の上に多いのはそう言った信仰心も取り込んだ為でしょうか。 高野山がそうだというのは聞いたことがあるのですよね。 そこで高野山にも関係のある熊野。 世界遺産になって観光客が増大した地域ですが、知らなかったのですが熊野には「イザナミ」のお墓があるのですってね。 「日本書紀」での話なので創造されたものであろうとは思えますが、それでも今でも強く信仰されていて、地元では不思議な鎮霊祭が行われています。 花の窟神社と言うのだそうです。 70メートルもある巨石でして、その鎮霊祭の事を「御縄掛け神事」と言うのだそうです。 で、そのイザナミですが、(「イザナギ・イザナミ」と言う日本創造神の1人ですが)ご存じのように彼女はイザナギより先に黄泉の国へと旅立ち、彼女を追いかけてきたイザナギに自分の醜い姿を見られてしまったことを恥じ、イザナギを追い返してしまいます。そしてイザナギは黄泉の国へと繋がる道をふさぎ、二度と黄泉の国へは行けなくしたというお話しがありますよね?その後彼女は黄泉国の主宰神となるのです。 その彼女の居る国が「熊野」だと言う事で、二人の子供・天照は伊勢で太陽神として君臨していますが、伊勢が現世で熊野が黄泉と言う信仰が根付いたのだそうです。 古来より「熊野」は死んだ人間の魂が集まる場所として存在していて、和歌山県のとある村では「骨(こつ)のぼり」という風習があるのだそうです。 人が死ぬとその遺体の一部を山に葬るという風習でして、山に向かう最初のさわはあの世とこの世の境界線だと考えられていました。 そのさわにある最初の木に草鞋・おむすび・杖をくくりつけます。これが死者が黄泉の国へと旅立つ為の旅支度なのだそうです。 この間行った播州・清水寺。 ここも山の上にあるのですが、この山の麓に「木津」と書いて「こつ」と読ませる地域がありました。 関連性は全く分からないのですが、珍しい読み方だなと思い覚えていただけですが、なんだか似たような風習でもあったのかと思った次第です。 「熊野」と言う呼び名は「隠国(こもりく)」から来ているという話があります。 死者が隠れる場所を「隠野(こもりの)」と言うのだそうです。 この「こもりの」が「くまの」と発音されたという説があります。 しかし、平安時代にはいると「末法思想」が蔓延します。 平安という時代が「末法」であるという考えですね。この世の終わりだと考えたわけです。この考えは釈迦の入滅後、二千年を経過すると、一万年間は釈迦の教えだけが残り、悟りを得る者はいなくなると言うものです。1052年(永承7年)に末法に 入るといわれ仏教界のみならず一般思想界にも深刻な影響を与えたのだそうです。 小栗判官伝説というのがあります。 (詳しくはこちらで→●) 熊野は死後、再生の神として崇められたのでした。 平安時代に大流行した「熊野詣」はこうした背景から盛んに行われたそうです。 熊野は死者の道であったのですが、死後再生の道として崇拝された場所となったそうです。 PR |
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