忍者ブログ
  • 2024.03«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » 2024.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/04/20 11:52 】 |
TVからの知識(笑)
古来から、少なくとも「万葉集」の時代から、日本人は人が死ぬと山へ帰ると言う信仰があるのだそうです。
お寺が山の上に多いのはそう言った信仰心も取り込んだ為でしょうか。

高野山がそうだというのは聞いたことがあるのですよね。

そこで高野山にも関係のある熊野。
世界遺産になって観光客が増大した地域ですが、知らなかったのですが熊野には「イザナミ」のお墓があるのですってね。
「日本書紀」での話なので創造されたものであろうとは思えますが、それでも今でも強く信仰されていて、地元では不思議な鎮霊祭が行われています。
花の窟神社と言うのだそうです。
70メートルもある巨石でして、その鎮霊祭の事を「御縄掛け神事」と言うのだそうです。
fimg_11203679664.pngこんな感じで磐の上から大きなロープがつり下げられこの編まれた綱に花を結びつけるのだそうです。この形は朝廷から贈られた錦の旗をかたどっているのだそうです。大きいですよ。これを吊す作業はかなりな力仕事のように思われました。しかし、なんとも古代的な雰囲気があって、ここで舞われる奉納舞は(巫女が舞うのですが)日本書紀にも記載されているそうなので、その歴史は古そうですよね。

で、そのイザナミですが、(「イザナギ・イザナミ」と言う日本創造神の1人ですが)ご存じのように彼女はイザナギより先に黄泉の国へと旅立ち、彼女を追いかけてきたイザナギに自分の醜い姿を見られてしまったことを恥じ、イザナギを追い返してしまいます。そしてイザナギは黄泉の国へと繋がる道をふさぎ、二度と黄泉の国へは行けなくしたというお話しがありますよね?その後彼女は黄泉国の主宰神となるのです。
その彼女の居る国が「熊野」だと言う事で、二人の子供・天照は伊勢で太陽神として君臨していますが、伊勢が現世で熊野が黄泉と言う信仰が根付いたのだそうです。
古来より「熊野」は死んだ人間の魂が集まる場所として存在していて、和歌山県のとある村では「骨(こつ)のぼり」という風習があるのだそうです。
人が死ぬとその遺体の一部を山に葬るという風習でして、山に向かう最初のさわはあの世とこの世の境界線だと考えられていました。
そのさわにある最初の木に草鞋・おむすび・杖をくくりつけます。これが死者が黄泉の国へと旅立つ為の旅支度なのだそうです。
この間行った播州・清水寺。
ここも山の上にあるのですが、この山の麓に「木津」と書いて「こつ」と読ませる地域がありました。
関連性は全く分からないのですが、珍しい読み方だなと思い覚えていただけですが、なんだか似たような風習でもあったのかと思った次第です。

「熊野」と言う呼び名は「隠国(こもりく)」から来ているという話があります。
死者が隠れる場所を「隠野(こもりの)」と言うのだそうです。
この「こもりの」が「くまの」と発音されたという説があります。

しかし、平安時代にはいると「末法思想」が蔓延します。
平安という時代が「末法」であるという考えですね。この世の終わりだと考えたわけです。この考えは釈迦の入滅後、二千年を経過すると、一万年間は釈迦の教えだけが残り、悟りを得る者はいなくなると言うものです。1052年(永承7年)に末法に
入るといわれ仏教界のみならず一般思想界にも深刻な影響を与えたのだそうです。
小栗判官伝説というのがあります。
(詳しくはこちらで→●
熊野は死後、再生の神として崇められたのでした。
kuma.jpg熊野本宮大社は本来五穀豊穣を祀った神だったそうですが、この平安以後「死後再生」の神として崇められ、神仏一体として崇拝された最初の場所だったそうです。
平安時代に大流行した「熊野詣」はこうした背景から盛んに行われたそうです。


熊野は死者の道であったのですが、死後再生の道として崇拝された場所となったそうです。
PR
【2008/02/22 22:25 】 | 歴史 | 有り難いご意見(5) | トラックバック()
<<事件な話 | ホーム | 娘の帰宅>>
有り難いご意見
そうですねえ。
まあ、なんとかやっておりますが(^^;;。「古事記」にも熊野の記述があったような気がするのですが、「日本書紀」を全て読むのはちょっと時間がかかるので、私も全ては読んでおりませぬが(苦笑)、

>「イザナミ」のお墓がある

これは私も知りませんでした。神社と言いつつ?曼荼羅があったりするのは、神仏習合の典型でしょうが、確かに、

>日本人は人が死ぬと山へ帰ると言う信仰がある

は、何かで私も見た事があります。「末法思想」も当時としては、流行と言うと言葉が良くないですが、文献その他、文学作品でも題材にしたものがありますよね。熊野詣で・・・。いつになるかはわかりませんが、いつか行きたいですねえ。

柿本人麻呂の歌で、万葉集に素敵な?歌がありますね。
「み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど直に逢はぬかも」

 どの辺りかは、忘れましたが(^^;;.。あ、巻第四ですね。
【2008/02/22 23:31】| URL | MU!! #2aa3888043 [ 編集 ]
Re:そうですねえ。
未だに、「古事記」と「日本書紀」がごちゃ混ぜになって訳が分からない私です(苦笑)
ですので、TVから丸覚えで書いたまででして(汗)
平安時代、「末法思想」を言い出したのは誰なのかは知識がないので分からないですが(まぁ、坊主だろうとは思うのですが)これも一種の「流行」と言っていいのだと思います。なにせ1999年にも似たような話がありましたし(苦笑)

魂が山に帰ると言う信仰が「万葉集」にも見受けられると思ったのは
「青旗の木旗の上を通ふとは 目には見れども直にあはぬかも」と言う詩を見つけたからです。倭皇后の詩だそうです。
まだまだ古典的言い回しの意味が理解出来ていないので定かではありませんが、「天皇の魂が、目で見ることは出来ないけど、山を行ったり来たリしているのだろう」と言う意味とか。

この柿本人麻呂の詩は「恋歌」ですか?深く思っているけどなかなか会えないって意味かな・・・?
ハマユウと言えば、昔、何故か実家に植わっていました(笑)
【2008/02/25 12:56】


ちなみに?
私も万葉集を直接開いたのではなく、あるサイトを見て、人麻呂の歌を持って来ただけです(苦笑)。
【2008/02/22 23:35】| URL | MU!! #2aa3888043 [ 編集 ]
Re:ちなみに?
いやいや、万葉集を全部覚えている人など、どれ程いらっしゃることでしょうか(笑)
「そう言えば、こんな詩があったっけ?」的な「だいたい覚えている」で終わるのでは無いでしょうか(笑)
【2008/02/25 12:57】


関係ないんですが(^^;;
全然、関係ないんですが?(苦笑)、なぜか北海道と新潟で地域限定で放送されていて、ソフトバンクのオフィシャルサイトにも出ていない、猫がしゃべるCM、ニコ動、またはYouTubeで、「ホワイトコールCM」で検索すると出てきます(^^;;

 タグを書いたのですが、なぜか失敗してもので(苦笑)。けっこうかわいいです。
【2008/02/23 11:41】| URL | MU!! #1e34a96d02 [ 編集 ]
Re:関係ないんですが(^^;;
猫編見てきました(笑)
え~?これはweb専用CMなのでしょうか(笑)
こんなのがあるのですね~(笑)
【2008/02/25 13:06】


きのうgarud
きのうgarudaと、関係するはずだった。
【2008/02/23 14:06】| URL | BlogPetのナナ #8d381983f3 [ 編集 ]


たびたび、
すいませんです(苦笑)。

熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、幾重にも幾重にも百重にもあなたのことを思っていますが、直接には会えないことだ。

と言う意味だそうです、人麻呂の歌は・・・。そのサイトによれば、ですが・・・。まこと、恋歌ですね。

あと、ソフトバンクのCMですが、理由も目的も不明?ですが、あれこれ調べてみると、なぜか、北海道と新潟限定で、TV放映もされてますが、公式サイトには出ていないんですよね~。不思議です(^^;;
【2008/02/25 14:45】| URL | MU!! #1e34a96cf6 [ 編集 ]
Re:たびたび、
CM、地域限定だそうですね~(笑)
しかし、なんだか世間は猫ブームだそうです。
試しに作ったのでは?(笑)
【2008/03/03 12:12】


貴重なご意見の投稿















虎カムバック
トラックバックURL

前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]