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【2025/08/13 18:30 】 |
美術館カフェ
博物館とか美術館にはレトロなカフェが多い気がします。
ここ、大阪市立美術館(天王寺美術館)のルージュ(瑠樹)も味のあるお店の一つ。コーヒーが380円。こんなお店では安い方でしょ?



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【2009/04/18 14:15 】 | 携帯から | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
自動販売機
最近は様々な自動販売機があるけど、四天王寺の休憩所には、募金のできる自動販売機があるんですね。10円募金と100円募金の2種類。缶ジュース同様、ボタンをおすと、商品は出ない代わりに、「募金ありがとうございました」と声がしました(笑)



【2009/04/15 11:29 】 | 携帯から | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
これぞ限定?
タイトルがなければなんだって言えるかも知れない、又兵衛桜キユーピー。



【2009/04/11 12:48 】 | 携帯から | 有り難いご意見(17) | トラックバック()
今年最後
又兵衛桜です。この桜もこれで今年も見納めでしょうね。



【2009/04/11 11:55 】 | 携帯から | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
一心寺のお話
以前、「日帰りコラム」を持っていたころに書いたのですが、管理も面倒になりやめてしまったのでその文章もNET上でご紹介できなくなりました。
ので、あらためて・・・・(苦笑)
 
 
issinji1.JPG


大阪天王寺の一心寺さんと言えば、「骨仏さんのあるお寺」として有名です。
そこには仏教の基本姿勢である「全ての人に広く浄土の門をあける」と言う姿勢をここでもなされています。
四天王寺は唯一無二の「和宗」なので宗派に関係なく墓地を提供しておりますが、一心寺さんは一応浄土宗ですが、希望があればどなたでも納骨ができます。
そして、墓地の管理が難しい、あるいは金銭的に無理という方にはありがたい方法で故人を供養できます。

issinji8.JPG10年に一体の観音様を作り上げます。その観音様には10年分の納骨されたお骨が練りこまれています。
観音様そのものが故人であるのです。ですので、ここに納めたお骨は家が途絶えても多くの人に供養されるわけです。
写真は骨仏さんが納まっている納骨堂。
そしてもう一つ有名なのはお墓ですかね~。



以前のブログでも書いたと思いますが、(→クリック)この他にもいろいろいらっしゃる。ので、もし行かれたら受付などで「一心寺墓碑銘々伝」と言うパンフレットを貰えば解ります。

この一心寺、上の写真でもお分かりかと思うのですが実に斬新な仁王門でも有名(笑)
これを造ったのが前住職。今の長老です。
住職としては変わった経歴の持ち主でして、工学博士で建築家と言うもう一つの顔を持ってらっしゃっていて、日本建築家協会関西建築家大賞や大阪市文化功労賞等を授与されている方です。
issinji2.JPGしかし、本堂はご覧の通り普通です(笑)
行事の無い時はこのように市民の憩いの場所にもなっております。

1186年の事、ここに浄土宗宗祖・法然上人が『源空庵』と言う草庵を建て、【日想観】を修めた事に始まります。
【日想観】とはなんぞやと言いますと、
簡単に言いますとね、西方浄土の事です。
つまり、落日の方角に極楽浄土があるのだよと言う考えですね。
大阪はこれがメインです(笑)ですので以前にも書いたように、四天王寺の仁王門より西門が玄関だと思われるのはこの教えから来ております。
西門鳥居に沈みゆく夕陽を見て、「あの向こうに極楽浄土があるのだ」とみんな夕日に向かって拝んでいたんですね。

jyoudo.jpgこのあたりは「夕陽丘」と呼ばれている地域でして、夕日が昔から綺麗だと言われてた場所です。今では大きな建物が邪魔してなかなか見れませんが・・・。
その昔、海がすぐそばにあったんですよ。ですので沈む夕日は海の彼方に消えて行ったんですよ。
大都市で西に海がある場所はなかなかありませんので、余計に夕日が神格化したのでしょうね。
まぁ、その海の向こうに極楽浄土と言う考えが高じて酷い事になった歴史もありますが・・・。(補陀落渡海:これは西ではなく南に向かって僧が生きたまま箱に納められそのまま流されると言うとんでもないお話です)

方角によって守護する仏様が違うのだそうです。

東(瑠璃浄土)    薬師如来
西(西方浄土)    阿弥陀如来
南(補陀洛浄土)   観世音菩薩(いわゆる観音様)
北(北方浄土)    釈迦如来
それで浄土宗は阿弥陀如来なんですね、初めて知りました~。

話は一心寺に戻して・・・。
千体佛堂というのが一心寺にあるのですが、その無料休憩所で面白いものを見つけました。

issinji3.JPGissinji4.JPG









右が「夕陽丘絵図」で左が「大阪絵図」です。
これね、単なる絵図ではなく隠しがあるんですよ(笑)

この絵図の中に太閤秀吉・菅原道真・真田幸村と真田十勇士・秀吉辞世の句
これが描き込まれてあります(笑)
ちょっと頑張れば探せますけどね(笑)一部をご紹介。
issinji5.JPGそれがこれ、「幸村と十勇士」です。

あとはご自分でどうぞ(笑)

このあたりは「大阪の陣」(1614-1615)での激戦地区であったことは昨日でご紹介しましたが、陣屏風がただいま大阪天守閣で公開されています。
それを見ますとね、「冬の陣」では大阪商人の商魂を垣間見る事実が(苦笑)
このあたりに徳川家康の陣があったのですが、実は屋台が出てたりとか武士相手に必要なものを売ると言う商売をしていたんですよ。ビックリですよ(苦笑)
しかしながら、「夏の陣」ではそんな余裕もなく、町の人々は逃げ惑う姿だけでなく、若い女性がレイプされそうになっているとか、とんでもなく地獄絵が展開されています。

issinji6.JPGその主要の陣があったのがここ、天王寺公園内にある茶臼山古墳。一心寺の真横にあります。古墳と言っても古墳であったか否かはまだ定かじゃないそうですよ。聞くところによると和気清麻呂がこの地域の整備に伴い、出てきた土をここへ盛ったと言う話もあるんですよね。この赤い橋、その名も「わけばし」と言います。「和気橋」と書きます。
この茶臼山は冬は徳川、夏は真田が陣を張っていた場所ですが・・・。
issinji7.JPGこんな看板が立っていました(笑)
なんともコメントしようのない絵、ですけどね(笑)





「荒陵」と書き「あらはか」と読むのですが、この周辺を昔はこう呼んでいたそうです。これはたぶん、この茶臼山を指していたのでしょうかね。
四天王寺の別名は「荒陵寺」と言うのだそうですよ。
余談ですが、最近の発掘で四天王寺は最初玉造にあったようです。それがこの地に移転されたようですね。

てなことで・・、こんなものでしょうか・・・?
まだ、書き忘れている気もしますが、まぁ、それはまた機会があれば・・・。

issinji9.JPG



追加です(苦笑)

茶臼山の傍にある北朝鮮在日仏教連盟が管理する統国寺と言うお寺があるのですが、大阪では老舗料亭と言われる阪口楼の隣のお寺ですね、ここに意外なものを発見しました。
issinji10.JPGベルリンの壁です。

平和を願ってここに置かれているのですって。こんなものがここにあるとは思いませんでした~。
 

 

【2009/04/10 18:10 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
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