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【2017/11/22 04:08 】 |
忘れていた龍安寺
以前に「後で書く」と書きながら、書き忘れていた龍安寺のこと(苦笑)
まぁ、どうでもいいでしょうが、一応書いておこうかと。

ryu1.jpg大雲山龍安寺
世界遺産になっているお寺ですね。
最初ここは後徳大寺左大臣実能(さねよし)の別荘だったようで、その後、細川勝元に譲られた所だそうです。お寺とは言い難く、現在の方丈がある場所には、当時、書院があったそうですよ。その後「応仁の乱」にて焼失。長享2年(1488)、勝元の子・政元が再興したのですが、寛政9年(1797)の火災により方丈・仏殿・開山堂などを焼失。現在の方丈は、その時西源院(境内にある塔頭)の方丈を移築したものです。現在の石庭は明応8年(1499)の再興の際に作られたとも言われるが、詳細は不明です。
ryu2.jpgこの石庭ですが、ご覧の通りまるで木々が無く、石だけが点在している庭です。簡素の極み、禅の象徴、茶の心と言われている庭です。相阿弥が造ったと江戸期の書物では書かれている庭ですが、「虎の子渡し」と呼ばれているこの庭は、全国にある禅寺の庭の手本となったお庭です。実はこの庭に、何故木々がないのかは、禅の心の為だった訳じゃなく、勝元が単に毎朝男山八幡宮(現在の京都八幡市にある石清水八幡宮)を拝みたいために、邪魔な木々は植えないでくれと頼んだらしいのです(苦笑)真相なんてそんなもんですよね。でも、ここからまっすぐ南にある男山を眺めることが出来たなんて、凄いですよね。

ryu3.jpgしかし、「皆川淇園」という江戸中期から後期にかけての文学者によると、塀の外の老松が生い茂ってしまっていて、もう男山なんか見えないよ~って書いた書物がありました(笑)最初の思惑はどうあれ、この庭は世界で一番日本の庭として有名な庭。パンフレットには「象(かたち)、集合、離散、遠近、起伏、禅的、哲学的、見る人の思想、信条によって多岐に解されている」と書いてありました。一緒に行った娘など「普通に石にしか見えない」だそうです(苦笑)そんなものです(笑)
ryu4.jpgこれをみて人生のなんたるかを思い描く人は、それなりの苦労を体験した人か、せっぱ詰まって何かに答えを見いだしたい人でしょう。もはや、こじつけと言っても良いかもしれないですよね~、石の解釈。ああ、そうだ。後は自称哲学者って人でしょうか(言い過ぎ?)そしてもう一つ有名なのがこの水戸光圀寄進のつくばいレプリカ(笑)本物は非公開。でも、時折公開されることがあるのですよ。私が見たのは2005年の春でしたかね、その後の情報は気をつけて見ていなかったので不確かです。蔵六庵(お茶室に窓が6個あるというので、こう呼ばれている)というお茶室は庫裏の右奥に存在しております。本物はレプリカより心持ち小さく、「吾れ唯、足りるを知る」と言う文字の刻みも本物の方がくっきりとしていたように思われます。

で、上記の写真も2005年の写真です。ここに来たのは純粋に(?)石庭を愛でる為でもなく、レプリカを見に来たのでもなく・・・。
ryu5.jpg我が家のヲタロード(苦笑)戦国武将巡りの一環でやって来ました(笑)正直、下鴨からここへ行くといのは東西を横断することですし、時間も時間(拝観時間ギリギリ)だったので「行くだけ行って、無理だったら諦めよう」と言う事でバス停に向かったんです。所がバス停に着いた途端「龍安寺行き」のバスが到着し、すんなりとここまでやって来れたというワケ。で、目的はこの写真です。ここは龍安寺塔頭「大珠院」。拝観不可な塔頭です。ですので鏡容池から眺めるしか無いのですが、普段は木々に隠れて見えない場所も・・・。
ryu6.jpg冬枯れと共に中が見える状態に・・・。この場所は知る人ぞ知る、真田幸村の供養碑(腕塚とも言われる)と彼の側室のお墓がある場所。この写真がそれと言うのではありません。これはどう見ても観音像の背中(笑)この離れ小島が大珠院の墓地になっているようです。江戸期にあった名所図にも「幸村の墓」として紹介されている場所でもあります。こんな所を見に龍安寺まで来る客は私たちぐらいなもので(苦笑)その他の方は純粋に「石庭のなんたるか」を真剣に考えている人たちばかりであります(笑)まぁ、もし龍安寺に行かれる機会があるのなら、こんな所にこんなものがあるのだと言うことを覚えていて下さい(笑)
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【2008/03/17 19:38 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(4) | トラックバック(0)
<<太王四神記 | ホーム | 一週間に一度は日光浴を・・・>>
有り難いご意見
いやあ、
うつくしいですねえ、この庭は・・・。私は神社はともかく(苦笑)お寺は、ほとんど疎いんですが、金閣寺と仁和寺の近くなんですね~。石。現代美術が何を表現しているのかに通じる・・・、かどうかはともかく、その解釈は色々とわかれるでしょうね。

 ちょっと調べて?見たのですが、秀吉が1588年ここで和歌を詠む会を催したようですが、誰も庭を詠まない事から、もしかするとその時石はなかったのではないか、とかあれこれ面白い説がありますね。歴史好きと言うと妙ですが?これだから、やめられないんですよね(^^;;
【2008/03/17 20:46】| URL | MU!! #529676db36 [ 編集 ]
Re:いやあ、
> ちょっと調べて?見たのですが、秀吉が1588年ここで和歌を詠む会を催したようですが、誰も庭を詠まない事から、もしかするとその時石はなかったのではないか、とかあれこれ面白い説がありますね。歴史好きと言うと妙ですが?これだから、やめられないんですよね(^^;;

そんなことがあったのですか。
ああ、その時かな?
秀吉はこの寺周辺に「狩りの禁止令」を出してます。
その時に植えられたという椿が今も現存していて、樹齢400年以上なのだそうです。
しかし、説明によるとこのお寺の禅の風景に感動してと言う話があります。だから、私は普通にこの石庭が当時から存在していたのだと思っていました。
【2008/03/19 14:15】


無題
いつもながら読み応えのある蘊蓄。
いっそ本を出してみてはどうだろう?
とか思います。(笑)
【2008/03/19 09:13】| | みにょ #9377f4e078 [ 編集 ]
Re:無題
こんな蘊蓄、ちょっと勉強している方なら誰でも書けますよ(苦笑)
京都検定に毎年どっさりと受験をしに来られる方がいる以上、下の下でしょう(笑)
しかし、みにょさん、この記事の一個前の記事にコメントが来るのかと思っていました(笑)
【2008/03/19 14:17】


無題
>しかし、みにょさん、

(;´Д`)ビクッ!
なんとなく傾向を読み切られてる気が…
って誰でも判りますね。(汗)
日光浴も食玩も大好物な話題ですから。(笑)
【2008/03/20 00:32】| | みにょ #9377f4e078 [ 編集 ]
Re:無題
ああ、早く、家の中で日光浴をしたいです(笑)
【2008/03/20 09:08】


私も^^;
>こんな所を見に龍安寺まで来る客は私たちぐらいなもので(苦笑)

私は、その理由で、1週間に2回行ったことがあります^^;
【2008/03/20 19:02】| URL | 楠七郎 #9b2b024b8d [ 編集 ]
Re:私も^^;
二回とは(笑)
サスガです。純粋にお参りですか?それとも何かを検証に?
【2008/03/21 10:01】


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