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枯らしただけでは飽きたらず 駐車場にしたとは信じ難い所業です。駐車場を造ったとて それで其処を慈しみに来る人が無くなれば無用の長物 本末転倒ですよね。
京都ですらそんな有様なのですね。残念です。残念がるしかない自分にも残念(苦笑)。 Re:酷い話ですね……
駐車場事態は神社の持ち物ではないのですよ。多分月極で何処かが所持しているのだと思います。
水道からポンプで水を満たすことも考え、そうしていたこともあるのですが、しかしその水は下水に流れて行き、とても水道代を払いきれないと今ではなされていません。水脈を探し当て、水を引こうにも神社の資産では追いつかず、なんだか由緒ある神社にもかかわらず、寂れていくばかりだそうです。 京都自体は府長だか市長だかが代替わりして、昔の京都再生をめざしています。高さ制限も今ではあります。(昔はあったんですよ。軒の高さも制限がありました。しかしそれも15年ほど前に無視されて、京都らしさが損なわれました)しかし、一度認可されてしまった近代化の高層ビルは取り壊すことも出来ず、景観は昔に戻るというのは難しいところです。 |
怒らない事を祈ります。
水脈が切られるという事は、血管が切れているのと同じ事でしょう? 地脈・水脈を切られて、平然としている神社も大概ですね。 ところで蚕とあったので、もしや?と思っていたら、やはり養蚕は秦氏なんですね。 奈良だけじゃないんだなぁ・・・と、思いました。 Re:龍神が
>怒らない事を祈ります。
ひょえ~。京都は水神様で持っているような街ですのに~(汗) >平然としている神社も大概ですね。 ですよね~。平安時代はここの信仰は大変厚かったと聞きます。下鴨(糺の森)に移っても独自の信仰心を集めていましたのにね~。 『蚕ノ社』は「元糺の森」と言われています。お社を守る人が、そう、熱心ではなかったと言うことでしょうか、当時の政府が古いものに関心が無く、聞き入れてくれなかったのかも知れません。 その辺りは定かじゃないですが、どうも、この地域の人の言葉を聞いていると「仕方がない」と諦めてしまっている声が多いですね。「お上には逆らえない」という風です。 >奈良だけじゃないんだなぁ・・・と、思いました。 私が聞いたところによれば、秦河勝が最初に拠点としたのはここ、京都だったそうです。京都は地質学的に言えば大きな水瓶の上に出来た街だそうで、当時、湿地帯で人が住めると言うにはふさわしくない街だったそうです。それを今のようにしたのが、秦氏と和気清麻呂なのだそうで、今では普通に信仰の対象とされている八幡神社・稲荷大神・松尾大社などは、本来秦氏の神様だったそうです。 |
枯渇した湧水は現代人が便利さと引き換えにしたもの。
為ろう事なら是非復活してほしいですが、・・・京都の形容として用いる『山紫水明』も不適合ですな。
【2007/11/12 18:11】| | アキックス #28a4d4382e [ 編集 ]
Re:山紫水明
本来、京都はこうあるべきたとえですよね。確かにおっしゃるとおり、便利さと引き替えに多くを失いました。
古いものが全て良いとは思わないのですが、それでも裏千家のおうちでは今でも懇々と湧き続ける水をおうちの中にお持ちだそうで、それで茶の湯を建てていらっしゃるとか。 やろうと思えば出来たかも知れない共存を、明治政府と当時の京都政府は無視したと言う事ですよね。 残念です。 |
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