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【2024/04/26 02:37 】 |
縁起

「縁を得ても、それを繋げるか否かは己次第。起こすのは自分自身です。縁だけでは何も始まりません」

この話をしていたのは薬師寺のお坊様。

本日、今年最期の写経をして、薬師寺の「お身拭い」行事を見て参りました。

y-nugu1.jpgy-nugu3.jpg



この日の撮影は無礼講なんですね(苦笑)
本当なら堂内は撮影禁止です。仏像にカメラを向けるのは勇気が要ります(苦笑)
この日、午前中に山内の僧たちはお餅をつくんだそうです。そのお湯を使って仏様を拭き清めるのだそうです。
y-nugu2.jpgここで使う布は「雑巾」とは言わず「浄巾」と言うんですって(笑)
ピッカピカでした(笑)
堂内はもの凄い人で、その中にテレビ局にカメラも混じり、凄い事に・・・(苦笑)

今年は脇侍でもある月光・日光観音の二体が東京までいってらっしゃいました。
「都会の垢も拭わねば」とかお坊様が・・・(笑)

新年最初に詣でる事を「初詣」と言いますが、実は元々吉祥天女をお参りするのが始まりとか。
福を授けるこの天女詣でが後に「初詣」と称され、その後、新年の神社参りを指すようになったのだそうです。
で、この薬師寺では古来からの習わしを保持しており、新年から15日間は薬師如来がお休みになって、この吉祥天女がご本尊となり初詣の人々をお迎えします。
ここ、薬師寺には有名な国宝・吉祥天女像(絵画)を所持しており、それがご開帳となり金堂に安置されています。

神仏を無理矢理切り離したのは明治政府で、元々神仏は一体化していた日本です。日本には明治政府の無理難題を受け入れられなかった寺社仏閣も存在しており、この薬師寺もその一つでして、その為にこのお寺では金堂に注連縄が掲げられます。

喪中な私には戸惑うところですが(苦笑)

そうそう、余談ですが荒神さんで関西では有名な「清荒神」。
ここも実は神仏合体しており、神社だと思われがちですがお寺でもあるのですって。最近知りましたよ(苦笑)

なんにせよ、皆様に良い縁が訪れますよう、お祈り申し上げます。

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【2008/12/29 16:47 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
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有り難いご意見
おお!
 薬師寺ですか。私もはるか昔に一度行ったきりで(^^;;。しかし「縁起」とは何かにつけて、よく語られる所ですよね。まあ、私個人的には、仏教伝来以前はどうだったのだろう、と言う所が気になるのですが、ほんとあの明治になってから、先の戦争が終わるまでの、無理やりの神仏きりはなしは、いただけなかったですね。無礼講も、元々何かから来た言葉ではなかったでしたっけ??

 清荒神は、阪急の駅にもありますが、意外にも?難読駅名となっております(^^;;。雲雀丘を読めない人もいますので・・・(苦笑)。中山寺は有名ですが・・・。売布神社と、このあたりは神仏関係の駅が続くのも興味深いですね。私の所にも、伏見稲荷から来年のお札が届きました。あ、そういえば、玉造神社内にも、たとえば厳島神社などがあったりして、なかなかに興味深いですね。年末年始も、何も変わらない我が家ですが??、ガルダ様も良いお年をお迎えくださいませ。
【2008/12/29 20:21】| URL | MU!! #529676ff57 [ 編集 ]
Re:おお!
仏教伝来以前にもあったと思いますよ。勿論「縁起」と言う言葉を使ってはいないと思いますが、似たようなものはあったのではないでしょうか。こうすればどうなるという縁起担ぎ的な所作はあったと思われますね。
無礼講ですが「後醍醐天皇が北条氏打倒の策略を練るため、同士を呼んで
その相談をする際に内容が外に漏れない様身分関係を抜きにしてハメを
はずした酒宴を催した。
勿論これは世をあざむく為の宴にかこつけた協議の場でしたが、
毎日続く常識や礼儀をを欠いた酒宴の様子に驚いた人々が
それを「無礼講」と呼んだと言われます。」
と、調べるとありました。
ここで述べている清荒神は勿論阪急沿線の清荒神の事です。
正式名は「清荒神清澄寺」と言います。
神社の中に別の神社の分社を作る事は珍しい事ではなく、ここにその分社をつくって欲しいという力のある商人や武家によるものが多いですね。
勿論、神社と縁があって分社を作られる事も多いですが。


【2008/12/31 15:53】


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