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【2024/04/20 00:24 】 |
関ヶ原

seki8.jpg
石田三成陣跡よりの風景

滋賀県不破郡関ヶ原町です。
ここに行って初めて知ったのですが(実際にはその場所まで行けませんでしたが)ここに、『不破関』(旧中山道)があった事からこの名前が付きました。
『不破関』とは壬申の乱の時に、天武天皇が作った関です。
この時代の話は不得手ですので(苦笑)ウィキペディアにお任せするとして(ヲイヲイ)この関を作った事で東から兵を動員する事が出来、彼は勝利したワケです。

この事から、
不破関の東を『関東』と呼び、西を『関西』と呼ぶようになったと言われている場所です。

昨日の記事でも書いたように、『関ヶ原の乱』は通称・『天下分け目の戦』と言われていますが、二通りの意味があったんですね~。
文字通り、「天下取りの戦」と、「東と西との境目での戦」と言う意味。

『関ヶ原の乱』を今更書いても、ご存じの方も多いので、ザッと概要を・・・・。

seki12.jpg
関ヶ原の乱・開戦地碑



1600年9月15日。
東の大名・徳川家康がかねてより「天下統一」に向かって、豊臣秀吉の死後に起こした戦です。
まぁ、仕掛けたのは秀吉の老後に軍師となった石田三成から仕掛けたのですが、そういう風にし向けたのは家康です。
徳川軍を「東軍」と呼び、石田軍を「西軍」と呼び、それぞれの思惑を載せた戦は、小早川秀秋の動向(裏切り)により「東軍」の勝利で終結しました。

余談ですが、この時秀秋はまだ20にもなっていなかった若い武将でした。その為どちらにつくか迷っていたようで、彼が当初から決めていた「西軍に加勢する」と言う事になったのならば、世の中は変わっていたかも知れません。

とにかく彼の率いる軍の数が相当あったようで、彼の動きでこの戦は決まっていたわけです。所がギリギリになって家康に威され、彼は東軍についてしまった。その為に彼に従った武将も増え、西軍について居た武将の土壇場の寝返りにより「戦局悪し」と西軍についていた九州の大名、島津軍も戦場離脱を果たしてしまったわけです。
まぁ、元より石田三成との相性も最悪だったようですが・・・・。しかし、家康につくのも嫌だと、なんと戦場中央突破という凄い事をして離脱をしたという話が伝わっています。

午後3時に終結したと昨日の記事で書いていましたが、正確には午後2時には決着がついておりました。
僅か6時間で終結した後のこの地は、山のような人馬の死体で埋め尽くされていたそうです(汗)
傍に流れる藤古川と相川は兵士の流す血で真っ赤に染まったと言い伝わっています。

seki9.jpg所で、これ、なんだと思います?(左図)
木、なんですけどね、実はここ首塚なんです。首塚があったところと言った方が正確かも知れません。ここには首実検された武将や兵士の首が埋まっているのです(汗)傍に木があったんでしょうね。いや、後から芽が出てきたのかも知れません。考えるに、生首の養分を吸って、こんなに大きくなったんだろうかとか考えると、ちょっとゾッとします・・・・・。
『東首塚』と言うのですが、東西問わず、兵士の首がここに埋められたのだそうです。
seki10.jpg

勿論、地元の人にこのようにお寺として手厚く葬られておりますが・・・・。


seki11.jpg首洗いの古井戸

『西首塚』と言うのもあるそうです。今回、お参りに行くことが出来なかったのが残念でしたが。こちらは胴塚とも呼ばれているそうです。JRの線路を隔ててあるので、今回行きそびれてしまいました。JRの線路を隔てて北が主に西軍の陣地で南が東の陣地が広がっています。西軍陣地を廻るだけで手一杯でした(苦笑)

seki13.jpg上記にも書いたように、当時、この地にはおびただしいほどの遺体が放置されていたそうです。地元の農民達はそれらを哀れに思い、丁寧に一体一体土に返し、こうして供養塔をあちこちに建てたそうです。
それを今に伝えているのがこの五輪塔。

旧暦9月15日と言えば10月になりますかね・・・・。
だから丁度、この時期に近いのかもしれません。
当時は霧がかかっていたと言いますから、温度が途中で上がったのかも知れませんね。

seki14.jpgこの日の関ヶ原は一面の彼岸花。

400年経ってもこの光景は変わらないかも知れません。
それぞれの思いとそれぞれの夢や希望、そして失望と絶望。
そのようなものが怒濤のように押し寄せて来ました。
年を追う事に明らかになる史実。
彼らの思いは後世の人に、より正確に伝わって行くのだなと思うと、感無量です。

seki15.jpg石田三成の陣跡でもある笹尾山に登った時、一匹の蝶々がずっと私の周囲を舞っていて、それは下に降りるまで傍にいました。
ふと、ここで陣を張って眼下に広がる関ヶ原を見つめていた彼は、「勝てないかも知れない」と思っていたが、心から本当に「勝って豊臣の世の安泰を願っていた」のだろうなと感じました。

兵どもの夢の跡、なのだと分かっていても、切なかったですね~。


seki16.jpg
家康最後の陣内にある、大悲救世観音像




アクセス
滋賀県米原駅より東海道本線へ乗り換え
各停及び準急で3駅関ヶ原下車(約20分)

史跡巡りは歴史資料館でレンタル自転車が便利
4時間500円

関ヶ原資料館

不定期に駅前出張所「観光案内」のお店も開いております。

参考
バス路線図

 

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【2007/10/08 14:57 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
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有り難いご意見
島津は
気合勝ち!みたいな感じですよね(笑)
だれが『両軍激戦の真っ只中を突っ切って戦線離脱しよう!』なんて考えます?
いや、それしか方法がないとわかっていても、できないですよ。
さすがの家康も、島津の領地を削らず、放っておいたみたいですね。
戦になれば勝てるだろうが、犠牲も大きいと考えたのは当然でしょうね(笑)

首塚は霊感の強い人が行くと、憑かれたりしますので・・・
って、ガルダさんは菩薩様なので要らぬ心配でした(爆)

【2007/10/09 13:10】| URL | クラハゲ様 #2aa3e5bf01 [ 編集 ]
Re:島津は
>気合勝ち!みたいな感じですよね(笑)
>だれが『両軍激戦の真っ只中を突っ切って戦線離脱しよう!』なんて考えます?

全くその通りです。
これをしたと言うか、するとは誰も思わなかった所為で、呆気に取られたって気もしますが(苦笑)

丁度、ここにそのシーンの動画があります。

http://youtube.com/watch?v=t4-YmH8c21U&mode=related&search=

本当に凄いです(苦笑)

家康の東照宮が西を向いているのは、島津を睨み付けているという話を聞いたことがありますよ(苦笑)

>首塚は霊感の強い人が行くと、憑かれたりしますので・・・
>って、ガルダさんは菩薩様なので要らぬ心配でした(爆)

ええぇ~!
ゲゲゲ・・・です(汗)
取り憑くのは死して尚恨み続けている将門だけだと思ってましたよ~(汗)
娘は感じる方ですがっていうか、憑依体質ですが、大丈夫だったようですよ?(笑)
ってか、菩薩ではありませんって(苦笑)
【2007/10/09 15:08】


きょう、月影で検
きょう、月影で検索したいなぁ。
でも、ゆっきーと改札したいなぁ。
でも、後退したかったみたい。
だけど、きょうナナが自慢しなかった。
【2007/10/09 14:50】| URL | BlogPetのナナ #8d381983f3 [ 編集 ]
Re:きょう、月影で検
「月影」って元々ゆっきーの馬の名前(笑)
月影で何を検索したかったんだ?
しかし、ナナとゆっきー(真田幸村)が改札に立ってたらビックリします(苦笑)
【2007/10/09 15:13】


お嬢様は
食玩菩薩様と一緒だったので祟られなかったのでは?(笑)

いや、マジな話。
祟ると言うのではなく、『救ってくれ!』と縋ってくるらしいですよ。
私も何度か経験がありますが、私は妖怪ですので・・・(笑)

取り憑かせて、成仏できる場所(一緒に事故に遭った彼が死んだ病院)まで運んでやり、地縛霊になっていた彼と逢わせてやって・・・逝っていただきました(爆)

妖怪も人間の霊は怖いですよ。
ガルダさん(食玩菩薩様)に着いて行こうと思っていますが・・・ダメですか?(笑)

【2007/10/09 23:08】| URL | クラハゲ様 #2aa3e93b5d [ 編集 ]
Re:お嬢様は
>食玩菩薩様と一緒だったので祟られなかったのでは?(笑)

イミテーションでも効力あるでしょうか?(笑)

>祟ると言うのではなく、『救ってくれ!』と縋ってくるらしいですよ。

むっちゃ、迷惑ですやん、それ(汗)
まぁ、溺れる者、藁でもすがるって事でしょうが・・・・。
まず、私の所に来られても「無理!」と追い返しそうですが(汗)

>ガルダさん(食玩菩薩様)に着いて行こうと思っていますが・・・ダメですか?(笑)

効力は保証出来ませんが、どうぞどうぞ(笑)
>
【2007/10/10 12:30】


Re:お嬢様は
こんばんは。

>まず、私の所に来られても「無理!」と追い返しそうですが(汗)

かならず、無理と言い切ってください。
できれば、古戦場だけでなく神社のお参りの後でも。

でも、たしかに生き霊は怖いです。

で、関が原。
この近辺ではもう一つ歴史的な戦いがありました。
南北朝時代ですが、あまり取り沙汰されていないみたい・・・。
「風林火山」の旗印を掲げた北畠顕家の戦いです。
【2007/10/10 23:12】| URL | 楠七郎 #99beeeadfa [ 編集 ]
Re:Re:お嬢様は
神社もですか。取り憑かれるのならもう、とっくに取り憑かれている気がしますね~(苦笑)
なにせ、寺社仏閣へは小学生の時から各地を廻っております。
回数を考えるととんでもない数に・・・・。

>この近辺ではもう一つ歴史的な戦いがありました。
>南北朝時代ですが、あまり取り沙汰されていないみたい・・・。
>「風林火山」の旗印を掲げた北畠顕家の戦いです。

そうなんですか。コレは知りませんでした。思わず調べて「そうだったんだ」と知りました。
場所は関ヶ原だったんですか?足利尊氏との抗争(と、言って良いのか・・・)ですよね?わざわざ東北から遠征して打ち負かすとは、相当な軍略家だったのですね。
あ、大阪の「北畠公園」って、この人が由来だったのか~。
【2007/10/11 11:43】


貴重なご意見の投稿















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