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去年は一昨年に次いで酷い年でした。
世の中の若い人はどうして太宰治に共感するのでしょう。 太宰治生誕100年祭の所為で、事あるごとに太宰の作品が紹介され、私の気持ちをザワザワさせました。 やっと終わったかと思えば、新年早々また太宰の話があって無性に腹が立ちました。 「生まれてきてすみません」 この一行を聞くたびに(見るたびに)その胸倉をつかんで川に投げ込みたくなる衝動にかられます。 そんな事をしなくとも入水自殺をしたんですけどね。 気持ちもわかるし、言いたい事もよくわかるけど、「だからなんだ。みんな同じ心を抱えながらそれでも懸命に生きているんだ」と言いたいんですよ。 だから「人類最後の人間になる為に死なない体を天から与えてもらえ!」って怒鳴りたくなります。 大事な人間がドンドン死んでいき、取り残される寂しさを抱えて生きて行けって言いたくなります。 それを娘にも言いたい。 それだけの罪を犯してしまったのだから、もしあるのなら、今度は大事な人を見取りながら一番最後にこの世を去りなさいと言いたいですね。 もう、太宰はこりごりです。 PR |
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確かに残された者の辛さの方がよほど、辛いですよね・・・。私もわかります・・・。もっとも、昨年は仏教世界でも時ならぬブームが起こりましたが、あれもちょっと、いただけなかった気がいたします。
堕罪かもしれませんね・・・。もっとも、文学に限ればだんだん軽くなってきているのも、困りものですが・・・。私はノーベル賞候補になった(らしい、でしたっけ?)、M氏は正直、全くダメです・・・。何が良いのかまるで、わかりません・・・。 あ、今年もよろしくお願いいたします。 Re:う~ん、
文学と言うのは時代をよく反映している物だと思います。
若いころは明治大正の近代文学と言うのが苦手でした。 とにかくかたぐるしく難解で(苦笑) しかしながら、歳を経るとそれも理解できてくると、そんな風には感じなくて、スッと入ってくるのですが、良いものと悪いものと言えば語弊が出ますが、私的に受け取る事が出来るか否かで随分別れてしまいますが。 文型が軽いか軽くないかは、多分関係が無いのだと思われます。 何を題材にするか否かなんだと思います。 江戸期の書物を読めと言われても、なかなか読めるものでは無いのと同じではないでしょうか。 仏教ブームも静観しています。 仏像に触れる切っ掛けですし、それをずっと好きでいられるかはその人の問題で、実際にそれが信仰となって行くのはその人の精神状態に関わってくるか否かで決まるのだと思います。 どの宗教に触れて己の生き方の力とするのかは、長い人生でその人自身にも解らないものなのでしょう。 ですので宗教に卑賤は無く、その人が力強く生きていければ良いと考えます。 「こういう教えですよ」と教わるのは良いけど、布教と称して勧誘は嫌いです。 宗教も人同様、「出会い」じゃないかと、そんな風に思っています。 |
紹介するの?
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今年もどうぞよろしくお願い致します。
で、記事のお話ですけど… その「それだけの罪」をお許し頂く訳にはいきませんか。(^_^; 若くもない中年のおっさんですが、時折その様な衝動にかられながらもなんとか生きていますが、ガルダさん的には許すわけにもいかないのでしょうか。。。 怒りもまた生きる力になるのだとは思いますけど…
【2010/01/10 21:09】| | みにょ #9379e5bbbf [ 編集 ]
Re:明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。 >その「それだけの罪」をお許し頂く訳にはいきませんか。(^_^; 残念ながら、これだけは無理ですね。 結局、周りとの関係で生きている人間が、自分の事だけを考えて「この命は自分だけのもの」と言う、勘違いに気づかない事が罪です。 みんな、誰かの為に生きているわけで、誰かが居るから生かされているわけで、輪廻転生が本当にあるのなら、次回はもっと辛く厳しい人生になってしまうだろうと思われます。 聞く事が出来ないので何とも言えないけど、自殺した人間が迷ってしまうのは、自殺してからとんでもない事をしたと思うからではないでしょうか。 娘が死んですぐの時、凄く辛そうで、いつも泣いていて、いつも傍にピッタリと居たであろう気配が常にしていました。 一生懸命成仏しようとしていたのか、読経の聞ける場所や檀家寺のお坊様が来る度に、風となって傍に来たのを感じていました。 彼女は後悔していると確信できる瞬間でした。 生きる事は辛いことだけど、そればかりではない事、そのわずかかもしれない、それだけではない事にあう為に生きているのではないかと思っています。 人の気持ちは持ちようでいくらでも変わる事は、脳科学で証明されています。 思いこみや、己を励ますような考え方は、脳に実力以上の力を持たせる事も解っています。 特例ですが、癌が消えた方にもあった事があります。 それを見つけるのが「生きる」証でもあるのでしょうか。 今の私では強く言えませんが、そうなるまで大きなものを背負って生き続け、最後に自分勝手な「ありがとう」ではなく、「ありがとう」と心から言いたいです。 |
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