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青空が見えて晴れているかと思えば、いきなりスコールのような大粒の雨が降る。大阪はいつから熱帯雨林になったんでしょうね~。 大阪人の表現で言うと、 「カーッって晴れとるかと思ってたら、いきなりグァーと雨が降るねん。狐の嫁入りや!」と、なるわけです(苦笑) 大阪に長く住んでいながら、日本三大祭りと言われる「天神祭」には指を1-2本立てるくらいしか行った事が無い私です(苦笑) 今年はスタンプラリーと言う使命を帯びておりますので(笑)雨であろうが行ってまいりました。 本当に普通なら絶対に面倒だと言って出かけない気がします(苦笑) しっかり雨には降られましたけど・・・。 (写真は大阪囃子に乗って踊る獅子の奉納舞) 娘に「雷帝さんだから仕方が無いよ。むしろ普通じゃない?」とか言われましたが(笑) 確かに天神さんは「雷帝さん」雷の神様でもありますが、それは京都の天満宮ではないかとひそかに思ったり。 大阪の天満宮と言うのは菅原道真を祭ってはおりますが、本来大将軍神社だったんですよね。妙見さんと同じく北極星が御神祭。 道真が大宰府に向かう船待ちの間、ここに立ち寄ってお参りしたそうで、その半世紀後、(ここがね意味不明ですよね(苦笑))神社の前に7本の松が生え、夜な夜な梢が光り輝いたそうです。で、時の天皇・村上天皇がこれは道真公に縁の奇瑞として創祀したのが始まりなんですって。 本当に、道真とほとんど関係ないやんって感じですがね(苦笑) ま、なんだって良かったんでしょう。天満宮を創りたかったって話なんではないでしょうか。 京都だけでは祟りが治まっていないのではないかと不安にでも思ったのでしょうか、ま、定かではありませんが・・・。 その後、ここは連歌の神様として栄えました。それが室町時代。平安末期に藤原敦基と敦光の兄弟がここを訪れ漢詩を読んだのだそうで、そういう関係だったからでしょうか。(天満宮最古の文献として保存されている) 戦国時代に入り、天満宮は戦火を避けるため今の吹田に一時移転していたそうです。(大坂の陣)そして江戸に入りここへ戻ったのだそうでそこから本当の意味での天満宮としての栄華を刻んでいったようです。
「天神祭」の始まりは古く、場所柄「禊」を意味する神事として鉾流しがあり、そこから始まっているようでこれが951年の事。鎮座された二年後です。神鉾を流して占いをするという意味もあったようで(陰陽道でしょうかね)神様のお出ましを奉祝する為に始まったのが今の「天神祭」。 (写真は狐のだんじり) 吹田に一旦避難してこの地に戻った元禄時代、それを祝って「天神祭」ピークに達した事は以前にも書きましたが、その頃に造られた今回の目的・お迎え人形・最後の3体をここに観に行きました。 左からスサノウ・源為朝・佐々木高綱(実は真田幸村) これで14体全部見れました。いや~、良いもの見せてもらいました。 後は8月下旬に天神さんに行ってうちわを貰って終わりですが(笑) 赤の衣装が多いのは夏越えの意味で疱瘡よけ、つまり疫病退散の意味が込められていたようです。京都の祇園祭も疫病退散のお祭りですからね、やはりこの時期に亡くなる方が多いと言う事ですよね。特に子供の成長を妨げていたようで子孫繁栄の意味もあったのでしょう。 この「天神祭」実はその後(元禄以降)途絶えておりました。常設のお旅所が出来た為に鉾を流す必要が無くなったためなんですって。元々は禊に占いなんですから続ければよかったのにね~、やはり寄付金が第一の祭りですので、お旅所からの奉仕が無くなると途絶えるのでしょうね。 復活をしたのは実は昭和に入ってからです。 昭和5年、天神祭は今の形に復活しました。 (写真は船に乗り込む前の御神体) 奉納船と言うのは二隻しかありません。50隻の船が船渡行で出ますが、後の48隻は全て企業船。一般の人が気安く乗れる船(と言っても2万はかかりますが(汗))ではなく、結構セレブな方でしかその企業船には乗れません。たとえば近鉄が出している船には有名芸能人も乗り込んで鳴り物入りで賑やかに渡行していましたが、ここに乗れる一般の方は外商で年間100万以上のお買い物をされる方に限るとか(汗)後は企業に関係のある方々の招待制で、一乗りいくらかは知りません。あ、大学が持っている船もありましたね。これは大学OB船って感じでしたが。 私たちが乗ったのはこの「榊講」と言う船。天満宮に榊を奉納しているお花屋さん協会の船ですね。これも何処で申し込むのかは知りませんが、今回は「人が少ないから人数を集めて」と知り合いに言われての参戦(苦笑)やはり「乗った事が無いので一度は乗りたい」とおっしゃる方は割合いまして、何処で申し込むのか知らないと言うのが乗れない理由だったとのこと。二万でお弁当がついてお酒やお茶がほぼ飲み放題状態でしたが、パイプいすが4つずつ取り付けられている桟敷船ですね。窮屈ですがセレブ船には乗れないので(苦笑)これでも3時間半の船旅と花火をまじかで見れて、天神祭の醍醐味を味わえるのならなかなかのものです。 行き交う企業船や天神さんから出ているどんどこ船などにすれ違うたびにお「大阪締め」をします。もう最後の方では声もかれて殆ど投げやりですが(笑) 大阪締めとは、3・3・7拍子とは違いましてね、
「打~ちましょ(パンパン) も一つせ(パンパン) いおう(祝う)て三度(パパンパ) おめでとうございますぅ~(パチパチパチ)」 と言うもの。お祭りでは欠かせません。 そして醍醐味はこれでしょう(笑)傍で見る打ち上げ花火の音と煙は迫力ものです。大阪の大都会の真ん中でこれほどの数の打ち上げ花火を見れるのはここだけ。企業もあげますので実質何発の花火が挙げられているのか知りません。 傍で見る打ち上げ花火が非常に3D感を味わえるものなのだと初めて知りましたよ(苦笑)花火大会に行った事が無いもので、知りませんでした。しかし花火大会に行ったとしても上から降ってくるのではないかと思えるほどここまで傍には行けないでしょうね。上からの火薬玉の灰が降って来て服がざらついたほどです(笑) 終わった後の皆さんの感想は「次は住吉さんや」でした。 元気いっぱいです(苦笑)
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