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【2024/04/24 14:32 】 |
適塾

NHKで「~浪花の華~緒方洪庵事件簿帳」なるものが放映されていますが、ちょっと見続けている私です(笑)
もともとこれは娯楽小説なんですよね?
築山桂さんの著作で「緒方洪庵浪華の事件帳 (双葉文庫)」と言うのですね。

緒方洪庵の事件簿??

最初見た時はそう疑問に思ったんですが、「娯楽小説」だと解り、気軽に見ていると大阪商人と武士との関係なんかも盛り込まれていて、なかなか興味深いものです。

緒方洪庵と言えば、「名前は聞いた事があるけど、誰だっけ?」と言われる方も多いかも・・・?
彼は簡単に紹介しますと医者・蘭学者・塾長です。
時は幕末。
岡山で生まれ、大阪にやって来て蘭学を学び、「適塾」を開いた方です。

多くの塾生がおりましたが、その中には福沢諭吉・大村益次郎などの著名人も名を連ねております。

その「適塾」は大空襲にもみまわれず、奇跡的に助かっておりまして、現在大阪では貴重な遺構となっております。

tekijyuku.jpgこれがその「適塾」(重要文化財)
大正時代に道路拡大の為にここへ移されたんですが、その後、緒方家から大阪大学に建物が寄贈され、今も大阪大学が管理しております。
ので、ご紹介出来る写真はここまで(笑)
この中の写真は大学の許可がなければ公には使用出来ません。ここが一般公開されたのは今から29年前からで、わりと最近ですね。
建物は大阪町屋の様子がよく分かる造りですが、なかなか日の取り入れ方が良くて中はとても明るいです。
特に二階にある塾生の部屋はかなり明るいですね。
塾生達は主に蘭書の会読の教育をなされていたようですが、ここに残るその時に使用されていた蘭和辞書「ヅーフ辞書」は全巻揃っていないにせよ(二巻足りない)、貴重な文献。その辞書は一部屋に設置されており、当時塾生達は奪い合うようにしてこの辞書を使用していたらしく、この辞書が置かれている部屋を「ヅーフ部屋」と呼んでいたそうです。

tekijyuku1.jpg緒方洪庵の業績としてあげられるのは、洋学研究者の第一人者で、数多くの蘭学本の翻訳を手がけております。
「扶氏経験遺訓」はベルリン大学教授フーフェランドの内科書を翻訳したものですが、その巻末に「人の為に生活して己の為に生活せざるを医学の本体とす」と書かれてあります。
本当に、時折、これを忘れていませんか?と言いたくなる事の多い昨今、「忙しそうだから、へんぴだし、不便だから」と医者の多いはずの日本が中央に集中し、なおかつ楽な医療に走る人が多いのか、必要な場所では慢性的な医者不足日本です。
そして忘れては行けないのは、当時、蔓延していた天然痘の種痘を施し、天然痘の蔓延を防いだのもこの方です。
そして夏に流行るコレラの予防を呼びかけ、「虎狼痢治準」という本を刊行し、予防のためのノウハウを世間に訴えたそうです。

ここに来て、この適塾より興味をひかれたのが隣にあるこれ。aitama.jpg
これ、なんだと思います?
いや、建物なんですけどね(苦笑)一見したらお寺かな?とか思ったんですよ。大きいしね。しかし、門扉に廻ってビックリ。これ、幼稚園なんです。
大阪市立愛珠幼稚園。
大阪で一番古い歴史を持つ幼稚園で、日本でも三番目に古い歴史を誇る幼稚園です。そしてこの建物。木造園舎としては最古を誇り、今も現役という事でここも重要文化財となっております。
aitama1.jpg文化財の指定を受けたのは平成19年だったそうで、それに伴う見学は去年の秋で終了していました。
いやはや、早く気付いて見てみたかったですね。大阪のど真ん中でこんな幼稚園があって、ここで園生活が出来るなんて羨ましい限りです。
この建物が出来たのは明治34年だそうです。

 

 

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【2009/01/25 20:39 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(6) | トラックバック()
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有り難いご意見
なるほど・・・、
 緒方洪庵はもちろん?知っていますが、「適塾」は北浜でしたっけ?それともそこからさらに移転したんでしたっけ?。でも、NHKの番組紹介では「ヘタレ蘭学生」とか書かれてましたが(若い頃の洪庵ですが)・・・、福沢諭吉も弟子というか、塾生だったんですね。もちろん時代背景とか違うにしても、

>本当に、時折、これを忘れていませんか?と言いたくなる事の多い昨今・・・

 まさにこのとおりですね。誰でもなれるものではないだけに、もちろん、楽な仕事ではないのは、昔も今も同じですけど・・・。

 この幼稚園もいいですねえ。しかも今も現役!でも、ガルダさん、ほんとに歴史にはお詳しいですねえ。私なんぞ足元にも及びませぬが(苦笑&西洋史は得意なんですが)、やはり日本の真の歴史は西日本にあり、といつも思う私はなんだかうれしいです。
【2009/01/25 22:05】| URL | MU!! #529676cf6f [ 編集 ]
Re:なるほど・・・、
>「適塾」は北浜でしたっけ?

はい、北浜です。

>ガルダさん、ほんとに歴史にはお詳しいですねえ。

いやいや、私の場合歴史全般をあやふやに覚えているので(子供の頃から親や、知り合いから聞いたとか、目に触れたとかで)こういう機会でもなければ改めて勉強しません(笑)こういったブログでの紹介は、私にとっては認識の改善に(笑)役だっているんです。

歴史は西日本とは思わないのですが、東北から始まっているのかな?確か、そんな事を聞いた気がします。
あの、遮光器土偶は東北でしたよね?まぁ、奈良時代以降は中心が西日本に移り、江戸以降は関東って感じでしょうか。蘭学に関しては九州が早く、やはり人が集まりやすく、輸入品が手に入りやすいというので大阪で花開いたという感じがしますね。
【2009/01/26 11:26】


いやあ(^^;;
 ご謙遜を(^^;;。私もあれ、これどうだっけ?と、付け焼刃で、今はなにしろ、ネットと言う便利なものがありますので、慌てて調べる事も多いですよ(苦笑)。でも、たしかに、歴史って面白いんですよね。こちらでは、展示会があるのかどうかCMをやっていますけど、北海道唯一の国宝のCMを見ますが・・・。歴史とは関係なくもないんですが、放送開始から聴いてるんですが、

http://www.nhk.or.jp/radiodir/shou/shinya/shin.html

この番組で、今日~明日の深夜ですけど、本を読めばいいんですけど、藤沢周平の「用心棒日月抄」の朗読は、毎週聴いてます。決してファンではない作家なんですけど、言葉の使い方の巧みさには感心させられます。
【2009/01/26 11:51】| URL | MU!! #529676d1f7 [ 編集 ]
Re:いやあ(^^;;
謙遜ではなく、マジです(笑)

ところで、藤澤周平の作品は私も本では読んだ事がないのですが(本自体、最近やっと読む気になってきたところでして・・・、それまで全く意欲が若菜食って・・・)BSでずっと「私の藤澤周平」と言う番組を見ていました。
作品のあらすじや一部の朗読があって、なんとなく聞いていました。
彼の作品は本当に何気ない優しさに溢れていますね。
アンハッピーな終わりも多いのですが、それまでの中に考えさせられる事が多く、何処か暖かい。
時代劇しか知らないのですが、現代劇も書かれていたのでしょうか?
【2009/01/27 12:13】


そうですねえ、
藤沢さんは、ご存知のとおり?10数年前にお亡くなりになりましたが、作品の大半は時代ものですね。「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」などはかなり有名ですが、上に書いた「用心棒日月抄」もドラマになってますし・・・、一部のものを除いて、ほぼ時代ものかと・・・。優しさはありますね。単純な「勧善懲悪」とか、荒々しいとか、ちょっと風変わりなものとか言うよりも、正統派でありながら何処かほかの時代もの作家とは違う作風で、それでファンも多いのだと思います。昨日も書きましたが、文体も余計な言葉を遣わずに簡潔な表現が多いのもなかなか真似?出来ない所ですね。でも、読むと、きっとはまりますよ~(笑)。なので、私も読もう読もうと思いつつ、なかなか手が出ません(^^;;

昨日の放送では、赤穂側の用心棒をしていた主人公が、いよいよ仕事がなくなって、口入屋から、なんと今度は吉良側の用心棒の話をされて(逆だったかもしれませんが)、さあてどうする?と言う所で終わってましたが・・・。
【2009/01/27 13:54】| URL | MU!! #529676dbf0 [ 編集 ]
Re:そうですねえ、
なんにせよ、読んでみなくちゃですよね(笑)
今度、買ってきます。
【2009/01/29 21:24】


きょうナナが使用
きょうナナが使用するはずだったの。
【2009/01/28 16:54】| URL | BlogPetのナナ #8d381983f3 [ 編集 ]


四天王寺の横の方で
えっと、名前は失念しましたが四天王寺の近くにあったお寺さんがその昔幼稚園もしていらしたのですが、お寺の境内に墓地と幼稚園の園庭があるというすごい環境があったのを思い出しました。(笑)

この大阪市立愛珠幼稚園ほど立派ではありませんでしたけどね〜
【2009/01/29 15:39】| | みにょ #2ab03e3265 [ 編集 ]
Re:四天王寺の横の方で
>えっと、名前は失念しましたが四天王寺の近くにあったお寺さんがその昔幼稚園もしていらしたのですが、お寺の境内に墓地と幼稚園の園庭があるというすごい環境があったのを思い出しました。(笑)

え?
普通でしょ?
お寺に幼稚園は・・・、普通だと思ってましたよ(苦笑)

四天王寺の横に、随分現代的な小学校・幼稚園はありますけど(笑)
大江小学校
http://www.ocec.ne.jp/es/ooe-es/index.htm
墓が普通に見えます(笑)
【2009/01/29 21:34】


(;´Д`)
>普通でしょ?
ふつーだったのか(汗)
そういえば、寺子屋とか、そんな感じの流れですかね?

>墓が普通に見えます(笑)
て!(笑)
それが標準的な風景だったんですね。(笑)
【2009/01/30 04:35】| | みにょ #9379e60daf [ 編集 ]
Re:(;´Д`)
私の卒業した小学校も隣は陸軍墓地で、今でこそ桜を植えてボール遊びが出来なくなっておりますが、子供の数が多かった当時など納骨堂前広場で運動場が開いていなかったらそこでドッジボールの授業を受けてたりして・・・(汗)
当然、お墓にヒットした数は無数・・・。
なんて罰当たりな(苦笑)

市内で大きな場所を必要とする学校は寺の地所であった事が多いようですね。
その所為でお墓と隣接は普通だったのかも知れません。
勿論、聖徳太子の改革(四箇院)の意志を継いでと言う学校も少なくありません。
巷では、墓の周囲に公共物を持ってくる事は栄える理由の1つだという話ですよ。家としては家相に問題がありますが、学校なんかは良いのだそうです。
【2009/02/02 12:22】


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