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NHKで「~浪花の華~緒方洪庵事件簿帳」なるものが放映されていますが、ちょっと見続けている私です(笑)
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緒方洪庵はもちろん?知っていますが、「適塾」は北浜でしたっけ?それともそこからさらに移転したんでしたっけ?。でも、NHKの番組紹介では「ヘタレ蘭学生」とか書かれてましたが(若い頃の洪庵ですが)・・・、福沢諭吉も弟子というか、塾生だったんですね。もちろん時代背景とか違うにしても、
>本当に、時折、これを忘れていませんか?と言いたくなる事の多い昨今・・・ まさにこのとおりですね。誰でもなれるものではないだけに、もちろん、楽な仕事ではないのは、昔も今も同じですけど・・・。 この幼稚園もいいですねえ。しかも今も現役!でも、ガルダさん、ほんとに歴史にはお詳しいですねえ。私なんぞ足元にも及びませぬが(苦笑&西洋史は得意なんですが)、やはり日本の真の歴史は西日本にあり、といつも思う私はなんだかうれしいです。 Re:なるほど・・・、
>「適塾」は北浜でしたっけ?
はい、北浜です。 >ガルダさん、ほんとに歴史にはお詳しいですねえ。 いやいや、私の場合歴史全般をあやふやに覚えているので(子供の頃から親や、知り合いから聞いたとか、目に触れたとかで)こういう機会でもなければ改めて勉強しません(笑)こういったブログでの紹介は、私にとっては認識の改善に(笑)役だっているんです。 歴史は西日本とは思わないのですが、東北から始まっているのかな?確か、そんな事を聞いた気がします。 あの、遮光器土偶は東北でしたよね?まぁ、奈良時代以降は中心が西日本に移り、江戸以降は関東って感じでしょうか。蘭学に関しては九州が早く、やはり人が集まりやすく、輸入品が手に入りやすいというので大阪で花開いたという感じがしますね。 |
ご謙遜を(^^;;。私もあれ、これどうだっけ?と、付け焼刃で、今はなにしろ、ネットと言う便利なものがありますので、慌てて調べる事も多いですよ(苦笑)。でも、たしかに、歴史って面白いんですよね。こちらでは、展示会があるのかどうかCMをやっていますけど、北海道唯一の国宝のCMを見ますが・・・。歴史とは関係なくもないんですが、放送開始から聴いてるんですが、
http://www.nhk.or.jp/radiodir/shou/shinya/shin.html この番組で、今日~明日の深夜ですけど、本を読めばいいんですけど、藤沢周平の「用心棒日月抄」の朗読は、毎週聴いてます。決してファンではない作家なんですけど、言葉の使い方の巧みさには感心させられます。 Re:いやあ(^^;;
謙遜ではなく、マジです(笑)
ところで、藤澤周平の作品は私も本では読んだ事がないのですが(本自体、最近やっと読む気になってきたところでして・・・、それまで全く意欲が若菜食って・・・)BSでずっと「私の藤澤周平」と言う番組を見ていました。 作品のあらすじや一部の朗読があって、なんとなく聞いていました。 彼の作品は本当に何気ない優しさに溢れていますね。 アンハッピーな終わりも多いのですが、それまでの中に考えさせられる事が多く、何処か暖かい。 時代劇しか知らないのですが、現代劇も書かれていたのでしょうか? |
藤沢さんは、ご存知のとおり?10数年前にお亡くなりになりましたが、作品の大半は時代ものですね。「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」などはかなり有名ですが、上に書いた「用心棒日月抄」もドラマになってますし・・・、一部のものを除いて、ほぼ時代ものかと・・・。優しさはありますね。単純な「勧善懲悪」とか、荒々しいとか、ちょっと風変わりなものとか言うよりも、正統派でありながら何処かほかの時代もの作家とは違う作風で、それでファンも多いのだと思います。昨日も書きましたが、文体も余計な言葉を遣わずに簡潔な表現が多いのもなかなか真似?出来ない所ですね。でも、読むと、きっとはまりますよ~(笑)。なので、私も読もう読もうと思いつつ、なかなか手が出ません(^^;;
昨日の放送では、赤穂側の用心棒をしていた主人公が、いよいよ仕事がなくなって、口入屋から、なんと今度は吉良側の用心棒の話をされて(逆だったかもしれませんが)、さあてどうする?と言う所で終わってましたが・・・。 Re:そうですねえ、
なんにせよ、読んでみなくちゃですよね(笑)
今度、買ってきます。 |
きょうナナが使用するはずだったの。
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えっと、名前は失念しましたが四天王寺の近くにあったお寺さんがその昔幼稚園もしていらしたのですが、お寺の境内に墓地と幼稚園の園庭があるというすごい環境があったのを思い出しました。(笑)
この大阪市立愛珠幼稚園ほど立派ではありませんでしたけどね〜
【2009/01/29 15:39】| | みにょ #2ab03e3265 [ 編集 ]
Re:四天王寺の横の方で
>えっと、名前は失念しましたが四天王寺の近くにあったお寺さんがその昔幼稚園もしていらしたのですが、お寺の境内に墓地と幼稚園の園庭があるというすごい環境があったのを思い出しました。(笑)
え? 普通でしょ? お寺に幼稚園は・・・、普通だと思ってましたよ(苦笑) 四天王寺の横に、随分現代的な小学校・幼稚園はありますけど(笑) 大江小学校 http://www.ocec.ne.jp/es/ooe-es/index.htm 墓が普通に見えます(笑) |
>普通でしょ?
ふつーだったのか(汗) そういえば、寺子屋とか、そんな感じの流れですかね? >墓が普通に見えます(笑) て!(笑) それが標準的な風景だったんですね。(笑)
【2009/01/30 04:35】| | みにょ #9379e60daf [ 編集 ]
Re:(;´Д`)
私の卒業した小学校も隣は陸軍墓地で、今でこそ桜を植えてボール遊びが出来なくなっておりますが、子供の数が多かった当時など納骨堂前広場で運動場が開いていなかったらそこでドッジボールの授業を受けてたりして・・・(汗)
当然、お墓にヒットした数は無数・・・。 なんて罰当たりな(苦笑) 市内で大きな場所を必要とする学校は寺の地所であった事が多いようですね。 その所為でお墓と隣接は普通だったのかも知れません。 勿論、聖徳太子の改革(四箇院)の意志を継いでと言う学校も少なくありません。 巷では、墓の周囲に公共物を持ってくる事は栄える理由の1つだという話ですよ。家としては家相に問題がありますが、学校なんかは良いのだそうです。 |
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