今年の春にNHK特集で「伊勢大神楽」を見てから、本物をどうしても見たいとずっと思っていました。
まさかこんな形で、しかもこんな早い時期に本物を見ることが出来たことは本当にラッキーでした(昨日の記事参照)
伊勢大神楽の歴史は江戸初期からだという話です。
伊勢大神楽の伝統を守り続けている、大阪城天守閣研究副主幹でもある、北川氏も同席なさっていて、その歴史と説明も同時に行われました。
江戸時代、伊勢国桑名郡太夫村(現、三重県桑名市太夫)と同国三重郡東阿倉川村(現、三重県四日市市阿倉川)の二ヶ所を本拠に伝承され、計20組が存在していました。
寛永年間(1661~1673)には一部江戸に下り定着をし、江戸でも12組が活動するところとなったのですが、江戸には伊勢大神楽の他に、尾張の熱田神社に伝わる神楽(尾張派・熱田派)もあり、伊勢大神楽は伊勢派と称されていました。
両派合わせて『江戸大神楽』と呼ばれていましたが、第二次世界大戦後、急速に減少し、現在ではその一部を寄席演芸として活躍するに留まってしまいました。
現在残る伊勢大神楽とは、伊勢を拠点として活躍していた人々が、20組が6組に減少しているのですが、今も続けられていて、国指定重要無形民族文化財として保護されています。
伊勢大神楽とは、獅子舞と放下芸と呼ばれる曲芸から成る神事芸能でして、これを演ずる人々もそう呼ばれています。
本来、伊勢神宮のお札を各家々(檀那場)に手渡しをし、そこで(各家の門前)神楽を舞う仕事をするものですが、現在は伊勢神宮とは直接関係が無くなったのですが、宗教法人・伊勢大神楽講社を組織し、1年中(元旦から12月20日まで)檀家回りを続けているそうで、その距離も凄く広く、近畿だけでなく、北陸・中国合わせ、2府11県を巡っているそうです。
伊勢大神楽の各組は、各家で竈祓いの獅子を舞う以外に、特定の神社境内などで「総舞」と言う芸能を披露します。
かつて日本に多く存在していた遊行宗教者の姿を知る上でも、大変貴重な事例となっていると北川氏は強く主張なされています。
雪深い街の中を歩んでいく彼らの姿をTVで見た時から、私は一目惚れしてしまいました(笑)
頂くご祝儀の袋を大事に伸ばして、その紙を使って獅子の毛に使うなどの作業も心引かれ、そこに、日本の心を見た気がして。
本日は「御堂筋パレード」でしたが、私はこっちのほうが大事(笑)
そのおかげ?
とてもゆったりとした気分で堪能出来ました(笑)

近づく獅子に子供が「いや~ん」(笑)
この記事の続きはこちらにて
参考までに(笑)
見てみたいと思われる方
伊勢大神楽講社奉納舞予定
PR