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【2025/08/24 15:43 】 |
野放し民族

昼過ぎ、台所に立つと【なると】が転がっていた。
そう言えば昨日もテーブルに食べかけの【なると】が転がっていた事を思い出す。
「どうしてこんな所で転がっているんだ?」
【なると】に話しかけ、フト、極めて日本人らしいと感じた。

道ばたで野草を見掛け「こんな所で咲いていると、踏まれてしまうよ?」と話しかけても日本人なら不思議には思わないだろう。
優しい人だと感じる程度だが、諸外国の人が見ると間違いなく病院へ行く事を勧められる。

日本人にとっての擬人化感覚はごく普通の感覚になっていると思われるが、いったいいつから擬人化が当たり前になっていったのだろうと考えた。

tukugami.jpgそこでまず思い出したのが【憑くも神】

tyoujyu.jpgいや、普通は【鳥獣人物戯画】を思い出さねばならないのだろうけど、私はそれではなく、こっちの方を思い出してしまった。



多分、ちょっと前に【百鬼夜行】の話を娘としていた所為だろうと思うのだが・・・。
この夏、京都・高台寺で展覧会があった。

hyakki.jpg【百鬼夜行】は京都の人にとっては愛すべきキャラクターなのだ。
なんだかこのお寺では毎年夏に開催しているよう。
しかし、先頃北野天満宮傍にある商店街が【百鬼夜行通り】と名付けて人を呼ぼうとしている様子。

いずれにせよ、【憑くも神】は日本人にとって怖いけど愛すべきキャラクターであったに違いない。

だいたい、森羅万象、全てのものに魂は宿るのだと言う考えそのものが、日本の宗教的歴史なのかも知れない。
神道が伝来する以前からあった日本古来の神々。
八百万の神々も人っぽいが人ではない事が多い。
その大きなものとして「太陽」がある。
「太陽」そのものが大和朝廷では「天照」と称され女神の形を取っている。
もっと以前、弥生や縄文時代にせよ、自然神が存在し、神を擬人化している風ではある。
まぁ、手っ取り早く理解しやすいから、だろうとは思うのだが。
その後この様な考えは否定される事もなく現在もあり、日本人は言語が同一でない動植物のみならず、無機質なものにまで話しかけるという奇妙な行動に出るのだろうなと思った。

とある動画サイトで「しましましまじろう」の教育映像をみて諸外国の人が驚愕していたのを見た(笑)
トイレのしつけで、「排便の仕方」を取り上げた子供向け映像なのだが、しまじろうが出てきた○○●に「バイバイ」と手を振るシーンが盛り込まれてある。
「日本人は毎朝○○●にバイバイをする国民なのか!?」と驚いていた(爆)
まぁ、確かに冷静に考えれば異様な光景だ。
何でもかんでも目鼻を付けて個性を持たせる日本人。
しかし、この感覚が日本以外では通用しないのだとしっている日本人は少ないように思える。
「どうして解らないのだ? どうしてこういう考えをしないのだ?」と不思議に思う人が多く、「それは根本的におかしな考え方だ。世界が理解出来ないのではなく、日本人しか解らない感覚なのだ」とは、思わないようである。
その所為で今世界が注目している日本のアニメや漫画の話作りが話題になるのだ。
「理解出来ない部分が多い」とも言われるのも頷ける。
でも「内容が良い」という評価は万国共通。
不思議な話だ。

あんがい、無秩序に人が育つと日本人的になるのかも知れない。
諸外国は宗教や政治によって考えを矯正されてきたと言う事例も多いし・・・。

と、言う事はやはり日本人は野放し民族なのか?

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【2008/11/09 17:21 】 | 歴史 | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
夢をみました。
http://garuda.blog.shinobi.jp/Entry/185/

ここで書いたように、思っている事は書く事にします。

夢を見ました。
手や鞄に一杯写真を持った娘が、「もう疲れたから私も何処かへ旅行したい」と言いました。

娘は想い出が詰まった自分の写真を、いつまでも離せずに苦しんでいると理解しました。

思わず私は言ったんです。
「忘れなさい。そんなもの全部捨てて、親兄弟、友達も全部、あなたが体験した全ての思いでを全部捨てる事が浄化するという事だから」と。

その後、「私は輪廻転生を心から信じている。だから、あなたは早く浄化して、もう一度生まれてきて欲しい。私はあなたとどうしてももう一度会いたいのだから」と、付け加えました。

そして目が覚めたのです。

それは同時に私にも言える事だと解っています。
全て捨て去らねば心は救われない。
禅宗で「仏祖を切り捨てる」と言うような内容があるとの事です。
仏や先祖に捕らわれている間は「大悟」、つまり究極の悟りは得られないのだと言う意味なのだそうです。

そんな事は重々解っている事です。
でも私、親なんです。

あの子が本当に浄化出来たと解るまで、私はそれを出来ない。
私がそれをすれば寂しがるのではないかと思えて仕方がない。

切なる願いは娘の浄化。

それを確認する手だてもなく、全うして常世に旅立った娘ではないだけに、後悔しているだろうし、未練も残っているだろう。
常にそれが私を落ち込ませます。

自らの手で命を絶つという行為は、結局、守りたい人を生き地獄にたたき込むという行為だという事を、娘は知りよしもなかったんですね。

己一つであれば、いくらでも精進し、どう生きていくのが良いのか出来るけれど、娘の成仏を第一としてしまった私に、歩む事を止めさせてしまいました。

病弱だった娘を必死で育ててきた年月は「夢」だったのでしょうか。
心の病に一緒に取り組み、飽きるほど話し合っていた毎日は「夢」だったのでしょうか。
「生きている事がみんなの迷惑になるから」と勝手に結論づけて先に逝ってしまった時、どうしようもない無情さを抱え込んでしまって、もう、何処にも抜けられない状態になってしまいました。

同じような境遇の人はこの世に多いと思います。
みんな、そんな重責を背負って、答えを見つける事も出来ず、己に終着駅が見えた時やっと解放されるのだろうと、先人の言葉で理解しました。

以前にも同じような内容を書いていたとは思うのですが、実際、前に進めません(苦笑)
【2008/11/06 12:37 】 | 偲ぶ
書くの忘れてました(汗)
どうでも良い事ですが(苦笑)

関ヶ原祭、フォトアルバムにアップしております。


関ヶ原合戦まつり「笹尾山会場」

関ヶ原合戦まつり「陣場野会場」
【2008/11/05 20:26 】 | お知らせ | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
写真整理と素材サイト追加
奈良の素材が増えてきて(苦笑)独立させました。
関ヶ原まつりの写真も整理していたのですがまだまだです(汗)
たまってきたなぁ~、写真と思いながらも放置していたらえらい事に・・・(苦笑)
ボチボチ整理してます。
【2008/11/01 12:23 】 | お知らせ | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
お久しぶり
唐招提寺の金堂のおおいが8年ぶりにはらわれていました。やはり美しいお寺です。



【2008/10/29 13:03 】 | 携帯から | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
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