昼過ぎ、台所に立つと【なると】が転がっていた。
そう言えば昨日もテーブルに食べかけの【なると】が転がっていた事を思い出す。
「どうしてこんな所で転がっているんだ?」
【なると】に話しかけ、フト、極めて日本人らしいと感じた。
道ばたで野草を見掛け「こんな所で咲いていると、踏まれてしまうよ?」と話しかけても日本人なら不思議には思わないだろう。
優しい人だと感じる程度だが、諸外国の人が見ると間違いなく病院へ行く事を勧められる。
日本人にとっての擬人化感覚はごく普通の感覚になっていると思われるが、いったいいつから擬人化が当たり前になっていったのだろうと考えた。
そこでまず思い出したのが【憑くも神】
いや、普通は【鳥獣人物戯画】を思い出さねばならないのだろうけど、私はそれではなく、こっちの方を思い出してしまった。
多分、ちょっと前に【百鬼夜行】の話を娘としていた所為だろうと思うのだが・・・。
この夏、京都・高台寺で展覧会があった。
【百鬼夜行】は京都の人にとっては愛すべきキャラクターなのだ。
なんだかこのお寺では毎年夏に開催しているよう。
しかし、先頃北野天満宮傍にある商店街が【百鬼夜行通り】と名付けて人を呼ぼうとしている様子。
いずれにせよ、【憑くも神】は日本人にとって怖いけど愛すべきキャラクターであったに違いない。
だいたい、森羅万象、全てのものに魂は宿るのだと言う考えそのものが、日本の宗教的歴史なのかも知れない。
神道が伝来する以前からあった日本古来の神々。
八百万の神々も人っぽいが人ではない事が多い。
その大きなものとして「太陽」がある。
「太陽」そのものが大和朝廷では「天照」と称され女神の形を取っている。
もっと以前、弥生や縄文時代にせよ、自然神が存在し、神を擬人化している風ではある。
まぁ、手っ取り早く理解しやすいから、だろうとは思うのだが。
その後この様な考えは否定される事もなく現在もあり、日本人は言語が同一でない動植物のみならず、無機質なものにまで話しかけるという奇妙な行動に出るのだろうなと思った。
とある動画サイトで「しましましまじろう」の教育映像をみて諸外国の人が驚愕していたのを見た(笑)
トイレのしつけで、「排便の仕方」を取り上げた子供向け映像なのだが、しまじろうが出てきた○○●に「バイバイ」と手を振るシーンが盛り込まれてある。
「日本人は毎朝○○●にバイバイをする国民なのか!?」と驚いていた(爆)
まぁ、確かに冷静に考えれば異様な光景だ。
何でもかんでも目鼻を付けて個性を持たせる日本人。
しかし、この感覚が日本以外では通用しないのだとしっている日本人は少ないように思える。
「どうして解らないのだ? どうしてこういう考えをしないのだ?」と不思議に思う人が多く、「それは根本的におかしな考え方だ。世界が理解出来ないのではなく、日本人しか解らない感覚なのだ」とは、思わないようである。
その所為で今世界が注目している日本のアニメや漫画の話作りが話題になるのだ。
「理解出来ない部分が多い」とも言われるのも頷ける。
でも「内容が良い」という評価は万国共通。
不思議な話だ。
あんがい、無秩序に人が育つと日本人的になるのかも知れない。
諸外国は宗教や政治によって考えを矯正されてきたと言う事例も多いし・・・。
と、言う事はやはり日本人は野放し民族なのか?
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