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って、思っていました。
公開しているけど、日記ですからね。 やはり色々書いて行くべきだろうと思った次第です。 身内の死を受け入れる事が出来るのは本当に人生の終わり頃という話をよく聞きます。 そんなにかかるのか・・・。 正直そう感じていました。 しかし、仕方がないのだと最近解ってきました。 身内の死を受け入れるには 何度も己に聞いてみたり、同じ事を何度も考えてみたり、しかし自分1人の考えでは答えがいつも同じになってしまいます。 だから誰かに話をして別の見解を得て考えていかなければならないのです。 しかし、他の人は「まだそんな事を言っているの?」的な雰囲気を醸し出します。 だから、「ああ、この話題はしない方が良いんだ」と気付きます。 そして「もう大丈夫よ」と演技を無意識に始めます。 自分に言い聞かせながら・・・。 人にとって、身内以外の「死」は記憶から薄れていきます。 だから心の中での重要な位置は次第に他の物に支配されていき、ついには記憶の片隅に追いやられるのです。 それはあたりまえの事で、むしろそうでなくてはダメなのだと思います。 しかし一進一退している者は、それ以上前に行かなくなり、話す事で楽になったり理解したりしていた事を「拒否」される事で心の中にしまい込み、1人で背負う事になるのです。 背負うには大きすぎて・・・・。 だからこそ何年も何十年も経って、己の命が消えそうになった時「ああ、もう心配する事は何もないのだ」と理解出来て心が楽になり、やっと「身内の死」を受け入れる事が出来るのだと・・・。 名優・仲代達也は奥様を亡くされた1年の間、何度も死ぬ事を考え、何もする気になれずにうちひしがれていたそうです。 そう言えば、その後復帰なさいましたが、以前のギラギラするような生命観が演技から消えている事に気付きました。 きっとあの人も、まだ受け入れる事が出来ていないのでしょう。 誰しもそうなんですねと思った瞬間でした。 どうして居ないのだ。 どうして帰ってこないのだ? 死ぬってどういう事なんだ? 毎日考えています。 以前ほど苦しくはないけど、きっとこの先私は死ぬまでその事を考えているのだろうなと予測出来ます。 だから、ここに思った事を書くべきなんだろうなと最近決心しました。 きっと私のような境遇に見まわれている人は少なくはないはず。 毎日己に「ダメな親だ」と叱りつけているでしょう。 ときどき、 「子供に捨てられたのだ」と投げやりにもなってしまいます。 そんな心の揺れを、この先もやはり書いていこうと考えています。 PR |
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