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赤い灯、青い灯、道頓堀の~♪
道頓堀です。 通説では安井道頓・道トと言う人が作ったと言う話になっていますが、実は違うのですよね。昭和40年にとある裁判がありました。この道頓堀の所有権を巡って安井道トの子孫が大阪市や大阪府を相手に11年も裁判を続けたらしいです。 しかし、昭和40年って・・・(汗) 道頓堀が出来たのは江戸初期、「大阪夏の陣(1615年)」があった年です。 それからん~っと約350年経ってますね~。どうして今頃?って感じです(苦笑)結局、所有権は認めて貰えず、その功績は称えるという事で堺筋に今でも功績碑が立っています。 そこで色々な資料が提出されて真実が明らかになってきたらしいのですが、実は安井道頓と言う人はいなく、彼の姓は「成安」と言うのだそうです。まぁ、正確に言えば決定事項では無いと言うのだそうですが・・・。 この「成安」姓。驚きの系譜が伝わっています。なんとあの坂上田村麻呂の流れを引く七名家の一つなのだそうです。 坂上田村麻呂→ウィキペディア で、その成安道頓さん。実は町人と言う話がありますが、彼は豪族、或いは系譜から武士だったと言う話が伝わっています。 大阪城築城に尽力を尽くした事から城南に地を貰い、そののち秀吉の命により東横堀川から木津川に通じる水路工事も担当しており、豊臣家の土木工事を担当していた家でした。 豊臣恩顧で成安道頓は「大阪の陣」で豊臣側に組します。そして彼は「大阪夏の陣」で戦死を遂げてしまうのです。その時既に道頓堀の着手をしていたのですが、事業半ばで戦死していますので、その意志を継ぎ、安井道トさんが完成させたのだそうです。 通説では 「安井道頓は町人で、商人の為に私財をなげうって道頓堀を作った」となっていましたが、いつからそんな話になっていったのか・・・。 私もずっとそう聞いていましたよ。 PR |
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