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【2024/04/26 05:51 】 |
仏教への興味はここから

asyura.jpg



今から40年以上前、この像を見てから私は仏教と仏像に気持ちを傾け出しました。有名な興福寺・阿修羅像です。
昔は陳列の中にあったのではなく、国宝館にあったのはあったんですが、普通におかれていたような記憶があるのですが、どうだったんでしょう。
この像は光のあて方によって仏に帰依する以前の顔に戻ると言われています。
阿修羅と言えば?
戦いの神であり、凶暴なイメージで、帝釈天との戦いが思い出されますが、興福寺ではこんな風に言われています。

正義の神・阿修羅と力の神・インドラが天界におり、ある日麗しい阿修羅の娘を見そめたインドラが無理矢理連れ去り、それに激怒した阿修羅がインドラと戦います。しかし阿修羅は破れ、天界から追放され地上へと降りた彼の前にお釈迦様が現れ、彼の話にいたく感動した阿修羅は仏に帰依します。その時、戦う為の筋肉がそぎ落とされ、少年のような体躯になり興福寺・阿修羅像のような姿になったというお話しです。

これは・・・、インドラって最悪。娘さんはどうなったの?って感じですよね~(苦笑)

インドラとは、ヒンドゥー教・バラモン教での神で、雷をあやつる神とされています。
それが中国に入り、仏教に取り入れられ「帝釈天」と訳されました。
インドラは善神とされているのですよ。いわゆる正義の味方です。
「インドラの炎」「インドラの矢」という兵器(?)がありまして、これを使ってアシュラ族の王・ラーヴァナの大軍を一撃で死滅させたと言う話は有名です。

阿修羅は元々は悪として扱われていませんでした。天空神・司法神 ヴァルナの眷属だったんです。これはインドラが治めるデーヴァ神族と敵対する相手だったそうですよ。インド神話でシヴァが王になった時点で、彼がデーヴァ神族であった所為かも知れませんが、デーヴァに敵対する全ての総称を「阿修羅」と呼ばれてしまって、阿修羅族は「悪」的イメージにされていったという話です。

さて、日本における阿修羅ですが、正確には天部・八部衆の1人として名を連ねて、仏教の守護神として祀られています。

しっかし、どうなったんだ?阿修羅の娘。てごめにされてそのまんまインドラの傍に気をよくして居たって事か?
なんか阿修羅が・・・、哀れです。

で、この阿修羅像、光明皇后の娘がモデルとされていますが、どっかで聞いたことがあるんですよね~、作者・将軍万福のお稚児さんがモデルだったと・・・。
どっちが真実なんでしょうね~。


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【2008/03/21 17:52 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
<<平城京跡 | ホーム | 平成20年 春季京都非公開文化特別拝観>>
有り難いご意見
なるほど・・・、
そう言う訳だったんですね(^^;。私は、「お稲荷さん」にはまってから、神道や神社にはまったんですが、京都の国立博物館は行った事はないのですが、東京・国立博物館には、学生の頃、学割で当時¥100!!で、授業をサボってまでよく行ってましたねえ。もちろん、仏像はじめ、色々な古今東西の収蔵物には魅せられましたが・・・。

 やっぱり日本って、古来、大陸文化を受け入れて来た訳ですし、聖徳太子でおなじみ?仏教で日本を治める!と言う事になってから、国家神道の時代とか、ほんといろんな事があって今になってますもんね~。たとえばキリスト教圏などの人からみれば、めちゃくちゃかもしれないですけど、そこが日本のよさでもありますよね。はっきり記憶にはないのですが、「貸し出し」か何かで、東京でこの「阿修羅像」、私も見ているかも?しれません。
【2008/03/21 20:57】| URL | MU!! #529676ff1e [ 編集 ]
Re:なるほど・・・、
100円とは安い(笑)それは常設展ですか?
サスガに特別展はそうはいかないでしょうね~(苦笑)
東京・国立博物館には行ったことがあります。
結婚して直ぐの頃でしたが、旦那が1年のうち半年は東京にいましたから、身重だったのですが、いく限り見に行きたいと思っていた絵がそこにあったもので。丁度、東山魁夷の特別展があったのですが、彼には興味が無く(苦笑)入り口で「本当に常設展だけで良いのですか?」と念を押されてしまいました(苦笑)

日本の八百万な神への信仰心的発想は対象が決まっていないのだと思います(笑)自分たちにあった風な解釈でうまい具合に取り入れて行く。太子もそれを望んでいたようですね。だからこそ彼の恩師でもあった朝鮮の僧(名前を忘れました)が「考え方の相違がある」と朝鮮に帰ってしまったというエピソードが残っていますものね。しかし、尊敬しあっていたようで、太子の死後、彼の嘆きは凄かったようですね。
【2008/03/22 18:10】


そういえば?
わが背子と 二人見ませば 幾許(いくばく)か この降る雪の うれしからまし 光明皇后  巻8‐1658 
わが夫の君と、もし二人で見るのでしたら、どんなにか、いま降っているこの雪が喜ばしく満足に思われることでしょうに。

「万葉集」にありますね。 
【2008/03/21 21:01】| URL | MU!! #529676ff1e [ 編集 ]
Re:そういえば?
光明皇后は奈良では一番有名な女性ですよね。
正倉院の宝物は全部彼女が治めた物ですし、新薬師寺も彼女が建立したものですし。

万葉集はまだまだ分からない歌詞が多いです(汗)
多分、自分の中に残る詩を無意識に探している所為だと思われます。
【2008/03/22 18:13】


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