忍者ブログ
  • 2024.03«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » 2024.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/04/27 22:54 】 |
山上憶良
山上憶良(やまのうえのおくら)
一度は聞かれた名前なのではないかと思えます。
万葉歌人でその名前が後世に残っておりますが、彼は大友家持の家庭教師で、県知事もしていて、同時に裁判官でもあった人でした。

遠く都を離れて福岡県にいた人ですが、とても感受性の豊かな人だったようで、彼の残した歌は、貧困に喘ぐ人々に同情しなんとかしようとしている姿とか、家族を思って残した歌などが多く残っています。
特に子煩悩だったようで、子供に対する歌も少なくはありません。

世の人の 貴び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も我は 何(なに)為(せ)むに わが中の 生まれ出(い)でたる 白玉の わが子 古日(ふるひ)は 
明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は 敷妙(しきたへ)の 床の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども 共に戯(たはぶ)れ 
夕星(ゆふつづ)の 夕(ゆうべ)になれば いざ寝よと 手を携(たづさ)はり父母(ちちはは)も 上は勿(な)下(さか)り 三枝(ささくさ)の 中に寝むと 愛(うつく)しく 其(し)が語らへば  
何時(いつ)しかも 人と成り出でて 悪(あ)しけくも 善(よ)けくも見むと 大船(おほぶね)の 思ひ憑(たの)むに 
思はぬに 横風(よこしまかぜ)の にふふかに 覆(おほ)ひ来(きた)れば 為(せ)む術(すべ)の 方便(たどき)を知らに 白妙(しろたへ)の 襷(たすき)を掛け まそ鏡 手に取り持ちて 天(あま)つ神 仰ぎ乞ひ祈(の)み 地(くに)つ神 伏して額(ぬか)つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり われ乞ひ祈(の)めど 須臾(しましく)も 快(よ)けくは無しに 漸漸(やくやく)に 容貌(かたち)くづほり 朝な朝な 言ふこと止み たまきはる 命絶えぬれ 
立ち踊り 足 摩(す)り叫び 伏し仰ぎ 胸うち嘆き 手に持てる 吾(あ)が児(こ)飛ばしつ 世間(よのなか)の道

この歌を聴いた時、子供に先立たれた親の悲しみがヒシヒシと伝わってきて、思わず泣いてしまいました。

意味は、
「世間の人が貴び欲しがる七種の宝であろうと、私にとって何になろう。私たち夫婦の間に生まれてきた白玉のようなわが子古日は、明けの明星が輝く朝になっても、白い布を敷いた寝床を離れず、立っていても座っていても私たちにまとわりつき、宵の明星が出る夕方になると、さあ寝ようと手を取って、父さんも母さんもぼくの側から離れないで、三枝のようにぼくが真ん中に寝るよと、かわいらしくあの子が繰り返し言うので、早く一人前になって悪くも良くもその将来を見たいと、大船に乗ったつもりで頼りにしていたのに、思いもかけずすさまじい風が突然に襲ってきて、どうする方法も手段も分からず、白い布のたすきをかけ、まそ鏡を手に持ちかざして、天の神を仰いでは願い祈り、地の神に伏して額をつき、病気を治してくださるとしても治してくださらないとしても、すべては神の思し召し通りにと、立ち上がって狂ったように私は願い祈ったが、しばらくも快方に向かうことなく、だんだん元気がなくなり、日ごとに物も言わなくなり、命が絶えてしまった。飛び上がり地団駄を踏んで叫び嘆き、地に伏し天を仰いで、胸をたたいて嘆いたが、掌中にいつくしんだわが子を、横風に飛ばされて失ってしまった。これが世の中の道なのか。」

先立たれた事を幾ら悔やんでも、もう二度と腕の中には戻ってくれないぬくもり。
寂しくてどうか過去に戻ってもう一度と、何度繰り返す事か。
親が出来る事は子供の行く末を神に祈る事のみになってしまうわけです。
せめて迷わず、ちゃんと浄土に行けるよう、願う事しか出来なくなります。

若ければ道行き知らじ幣(まひ)はせむ黄泉(したへ)の使(つかひ)負ひて通らせ

「まだ幼いので、黄泉の国への道が分からないだろう。贈り物をするから黄泉の国の使よ、どうかわが子を背負って行ってやってください。」

布施(ふせ)置きてわれは乞ひ祈(の)むあざむかず直(ただ)に率(ゐ)去(ゆ)きて天路(あまぢ)知らしめ

「お布施を奉って、私はお願いしお祈りします。別の道に誘うことなく、まっすぐ連れて行って、天までの道を教えてやってください。」

祈ってもまだ祈り足りないから、出来るだけのお布施をするから、なんとしても浄土に連れて行ってやって欲しいと願う気持ちは壮絶です。

こんな事になるのならもっともっと甘やかせば良かったと、そんな後悔も偲ばれます。
死なれてしまっては、親などなんにも出来ないのだと、そんな声すら聞こえるようでした。
PR
【2008/04/11 14:30 】 | 歴史 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
<<ウルトラマンナイト | ホーム | 源氏物語1000年祭>>
有り難いご意見
そうですね~。
山上憶良は、かの有名な?「貧窮問答歌」の作者?でもありますし、弱い人やものへのまなざしが強い人でしたね。大伴家持、柿本人麻呂、山部赤人も同時代の歌人ですね。

 「瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆ いづくより来りしものぞ 眼交にもとなかかりて 安寐し寝さぬ」も有名な歌(巻五~802)ですが、「瓜を食べれば子どものことを思い出す。栗を食べれば子どもがいとおしい。子どもはどこからやってきたのだろう。子どものことが目の前に浮かんで、なかなか寝付けない」も泣かせる歌ですね。
【2008/04/11 15:12】| URL | MU!! #529676cfb7 [ 編集 ]
Re:そうですね~。
> 「瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆ いづくより来りしものぞ 眼交にもとなかかりて 安寐し寝さぬ」も有名な歌(巻五~802)ですが、「瓜を食べれば子どものことを思い出す。栗を食べれば子どもがいとおしい。子どもはどこからやってきたのだろう。子どものことが目の前に浮かんで、なかなか寝付けない」も泣かせる歌ですね。

これは悲しい詩だったんですか(汗)
私はてっきり「子供は本当に可愛い。こんな可愛い生き物がどうして何処からやって来るんだろう。国に残している子供の事を考えると逢いたくて夜も眠れない」と解釈していました(汗)
【2008/04/12 07:14】


そういえば?
私の好きな?新古今~にも、遣唐使時代のものと思われますが、巻十~898に歌がありますね。

「いざこども はや日の本へ 大伴の 御津の濱松 待ち戀ひぬらめ」

(さあ皆さん。早く船出しましょう。私たちが到着する大伴(日本)の難波の御津の浜松は、皆さんが早く到着するのを待ちこがれていますよ)

 ただ?これは後鳥羽上皇が壱岐に流された後に追加された歌かも?しれませんが・・・。
【2008/04/11 15:42】| URL | MU!! #529676cfb7 [ 編集 ]
Re:そういえば?
なんだか前向きな詩ですね~。
しかし、早く帰りたいと言う気持ちが伝わります(笑)
【2008/04/12 07:16】


う~ん?
詳しい背景は私も実は、よくわかりませんが??、実は私も、最初の「瓜食めば~」の方は、おそらくは亡くなった子供とかいうよりは、望郷の念で詠んだ歌かなあとも思います(^^;;。でも、憶良の心優しさが表れてますよね。「泣かせる~」は、悲しいと言うよりも、ああ、いい人なんだなあと言う思いです(苦笑)。
【2008/04/12 10:54】| URL | MU!! #529676dd4f [ 編集 ]
Re:う~ん?
あ、そう言う「泣かせる」でしたか(汗)
早とちりしてしまいました(汗)
【2008/04/13 08:28】


貴重なご意見の投稿















虎カムバック
トラックバックURL

前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]