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義父の法事が近いので、来て下さったお客様へのお土産にお茶を買おうと京都までやって来ました。
そこで、思い出して、「まさか、ここも・・・」とやって来ました。 近江屋事件についてはまたまたこちらで→ウィキペディア この石碑の横には花が供えてありました。 きっとファンの方が置かれたのだろうなと思われます。 で、ここ、旅行会社だったはず・・・。 河原町四条という京都の中心繁華街。 他は閉業しても新しく直ぐにお店が開業しているのに、ここはこの通りです。 買い手(借り手)がつかないのかしらね~。 PR |
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かけ声からこの名前が付いたという、四天王寺「どやどや」 昔はそんなかけ声だったと言う事でしょうか、耳を澄ませていたんだけど「わっしょい」にしか聞こえませんでした。 追記:「どやどや」と押し寄せる音からそう呼ばれるようになったと言う話もあるそうです。 毎年お正月に旧年の悪習を正し、その年の吉祥を祈り、天下泰平・五穀豊穣を祈願する「修正会」の最終日となる本日・14日。 四天王寺では毎年「どやどや」と言うお祭りが執り行われます。 法要中に祈祷された牛王(ごおう)宝印と言う魔除けの護符を投じ、人々が寒中素裸になって奪い合うと言う古来からの習わしがあります。 昔は午後6時頃に法要が始まり、夜8時になってから護符が投じられたのですが、現在は混乱と事故を避ける為、一般の参加は出来なくなっております。 そして、投じられる時間も午後2時半からとなっています。 んじゃ、これは誰が?と思われるでしょうが、これが・・・、学生だったりするんです(苦笑)四天王寺と関係のある学校かな?幼稚園児も出ますが、圧巻は中高生。 ガンガン水がかけられ、もうもうと湯気が立ち上がり、その中で撒かれた護符を奪い合います。 横で、おそらく1年の時に参加したであろう高校生がおりまして、幼稚園児が出てきた時 「水は・・・、撒かんよな」 「それはやったらあかんやろ」 「人道に反する」等と申しておりました(苦笑) その後で、 「親に見に来られるほど、恥ずかしいものはない」 「来たら、死ぬって・・・」 とも(笑) しかしながら、私の前にいたご婦人達は明らかにご家族。 本人が通ると拍手。 これは・・・、かなり恥ずかしい(苦笑) そう言えば息子の友人が昔、 「強制やねんで!あんな恥ずかしい事二度と出来ない」と言っていた事を思い出しました。 中には5-6人の留学生も。 彼らはふんどしになる事に抵抗は無かったんでしょうかね~(笑) 牛王宝印は柳の木に挟まれ、行事が終わると1本1000円で売られます。 昨年の悪習・・・、少しでも良い方向にと私も1本購入致しました。 牛王とは、一番解りやすいのは京都の「祇園祭」でしょうか。 あれはこの神様のお祭りです。 又の名を牛頭天王と申しまして、スサノウと同視される事もあります。 詳しくはウィキペディアでどうぞ→クリック |
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気持ちが浮き沈みし通しです。
まぁ、致し方ないと第3者的に考えています。 昨日、wowowでうっかり「アイ・アム・レジェンド」を見てしまい、ドーッと落ち込んでしまった後、正月に見たピーコさんのむかつくコメントを思い出してしまいました。 この映画はたった1人になってしまったという設定ですが、孤独感が全面的に出ていて、それは大事な人に去られてしまって残された者の寂しさと同じ種類のもので、頭では解っているのだけれど、その寂しさは言葉では説明出来る事が出来ないもので・・・。「人は1人では生きられない」と言う言葉が切実に心に染みるものです。 ニュースで老夫婦二人暮らしの方の旦那様の方を亡くされ、ことある毎に旦那様を思い出されては「あの時こうすれば良かった、この時ああしてあげれば良かった」と悔やみ、1人になってしまった寂しさに殆ど家の中から出られず、旦那様の死を受け入れる事が出来ない日々を送られていた女性が居ました。 そんな彼女が同じ境遇の人たちで構成された小さな会に入り、同じ悲しみを共有しながらも前向きに生きなければいけないと、そういった人たちが集まり食事を作って一緒に食べたり、みんなで旅行に行ってみたりとされていました。 「それでも家に帰れば残された遺品を抱いて泣いてしまいます」とおっしゃっていたのです。 大事な人を亡くされて、簡単に忘れる事など出来ないものです。 色んな想い出が思い出され、その度に悲しみに暮れてしまう心情は理屈ではなく、仕方がない事なのだと同感します。 「みなさん、3年は駄目よとおっしゃっていました。本当にこの悲しみを乗り越えるのには、少なくとも3年。3年経てば少しは自分を取り戻せるのでしょうか」とコメントされていました。 そんな番組でコメンティターのピーコさんが、 「いつまでも悲しんでいたら旦那様が成仏出来ないのよ?」とか言うんですよ。 思わずテレビなのに怒鳴ってしまいました。 「そんな事は言われなくても判っているんだ! 成仏を願わない遺族がいていると思っているのか? でも、己の心を制御出来ないほどの悲しみは死んだ人に生き返って欲しいと思ってしまうのだ! 一刻も早く成仏して欲しいと心から願っているのに、寂しくてそんな風に思ってしまうのだ! よく、こんな事を言える!? あなたは何も解っていない! 正論しか言葉に出来ない人ほど不誠実に映ると知らないのか?」と・・・。 遺族が一番解っている。 この矛盾が己を更に苦しめる事も・・・。 くそ、むかつく!! と、また腹ただしく感じています。 なんでも解っているかのように話す人は、本当は何も解っていないのかも知れないと、今までの自分の反省も含めて考えてしまいました。 去年、色んな人が亡くなりました。 知り合いにも多くの不幸が訪れました。 本当に有難かったのは、自分が自分で少し消化してから「家に行っていい?」と聞いてくれた友人達でした。 人前で泣く事が出来ない私は、いつもの自分に出来るだけ近くなった時、会って話せた事が凄く有難かったんです。 父が死んだ時も、今から思えば「消化出来た」のは10年も経ってからだったんです。 父ですらそうですので、きっと一生出来ないかも知れませんが、それでもこうしてはき出す場所もあるわけで、日に日に少しではありますが楽になっていく自分を理解出来ています。 この場をかりて、ありがとう御座いますとお礼申し上げます。 そして、寂しさを味わっている方々、ゆっくりでいいです。自分の歩みで消化していって下さい。 皆様のご冥福をお祈り申し上げます。 |
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ネットで知り合った方々から「ランチを一緒にどうですか?」とご連絡とお誘いを頂き、昨日、梅田まで娘と一緒に出かけました。
いやはや、初めてお会いした方もいると言うのに、普通に旧知のように会話しているのがなんとも楽で・・・。 色々ありがとうございました。 楽しいひとときを頂きました。 |
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「ニコニコ動画」で人気者「ヒャダイン」さんの作品。
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