× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
時と共に落ち着くかと思ったのだけれども、時が経つに連れ寂寥感は更に大きくなり、部屋に籠もって写経の日々を送る事もしばしば。
60枚以上の写経をし続け、ただし続けてもダメだと納めに行き、更に書き続けている。 しかし、無駄に悲しいのではなく、徐々に見えてくる要因の数々。 それも写経という手段で冷静に見つめ直して来たればこそ。 今更だ。 そんな風に思う。 今更解ってどうなる事でもない。 あの子はもう一生帰ってこない。 街でそっくりな子を見るとついボーっと見つめてしまう。 「個性」が周囲の「常識」によって潰され、さらに「自我」までも粉々に砕かれ、残ったのは「疎外感」だけだった娘。 家族が彼女の個性を理解していても頑なに「そんな事では世間では通用しない」と言い続けていた。 そこまで追いつめて、何が残るのか。 結局、全てを投げ出す方法しか思いつかなかったのだろう。 精神障害は怖いと本当に理解したのは彼女が居なくなってしまってからだった。 娘の事だけではなく、ずっと続いているトラブルで対人恐怖症にもなっていた自分。 あの子はよくしゃがんでいたが、本当に立っているのも辛いというのを経験した。 何もする気も起こらず、食べるという行為ですら面倒になり、ただただグルグル同じ事を考え続けていた。 項垂れるだけの日々。 こんな事ではダメになる。 私は以前はどうして苦難を乗り越えてきたのかと必死で考えた。 そうだったと思い出す。 「自分は出来る。大丈夫だ。まだ出来るはずだ」 呪文のようにくり返し奮起していた。 それをすると少しずつマシになっていった。 祖母から教えられていた「写経」という手段は私にとって救いにもなっていた。 薬師寺に行くと本当に落ち着く。 書いた写経を手にして納経し、また新たな用紙を貰って帰る。 いつまで続けるかは決めていない。 自分が「もう大丈夫だ」と思える時まで続けたいと思っている。 ここだけでなく、興福寺・四天王寺にも納経し、そして東大寺にも写経を納めた。 大仏様の埃を払う行事。 朝7時から始まり9時30分には終了する。 (この日の開門は7時半) この時、実は納めた写経をこの大仏様の体内に入れて貰えるのだ。書いた写経はその後ずっと大仏様と供養される。こんな事で功徳になるのなら、自分の功徳を娘にと願いを込めて書き続けている。 しかし、無性に会いたくなってしまう事も多い。 実際には絶対に叶わない事なのだけれども・・・。 ある日たまらなくなって彼女の携帯にメールをしてしまった。 届くはずもないのに。 でも、その夜、数ヶ月ぶりに夢に出てきてくれた彼女は何処か照れくさそうで元気そうだった。 思うように話をする事が出来なかったけど、嬉しくて夢なのに泣いている自分が居た。 でも、少しでも会えた事で気持ちが少し楽になったようだった。 携帯メール、届いたのかな。 8月7日は東大寺に行く予定。 折角回向して貰えるのだから、行かなくては。 その後は博物館で「西国観音霊場33ヶ所」の特別展を見て、そして奈良で行われている「なら燈花会」で癒されようかという予定。 http://www.toukae.jp/hinotori.html http://www.toukae.jp/ 8月5日から8月14日まで行われるようなので行ってみては如何だろうか。 PR |
![]() |
「へぼ素材」にたまっていたものを久々にアップしてみました。
グズグズしているあいだに「くいだおれ太郎」も「姿を消した物」の一員となってしまっていました(涙) |
![]() |
なんだか色々親戚と話す機会が多くて、驚かされる話も出てくる出てくる(苦笑)
「電話があってね」と私の実家の話。 「ほら、金堂が燃えた時の法隆寺の管長。実は遠縁の親戚だったと判明した。この間仕事の依頼が来てそんな話になった」 「は?法隆寺の元管長さん?マジですか?」 そうかと思えば親戚には有名な競輪選手も居たり、あの京都のお店「下鴨茶寮」のオーナーも、三木楽器の社長も遠縁にあたるとか・・・。 しかし、親戚の親戚は親戚なんだろうけど、あまりにも遠縁過ぎて他人でしょうと思ってしまう。 皆さんも意外な人が親戚だったりするかも・・・。 |
![]() |
六道珍皇寺 所在地 六道の辻はあの世との境界という。境内には、閻魔大王像と、閻魔庁の役人であったという小野篁の像が並び、平安時代の作である本尊・薬師如来坐像(重文)を祀る。鮮やかに残る地獄絵、閻魔王宮に通ずる伝説の「冥土通いの井戸」が残る。 特別拝観不可日:8月1日(金)~19日(火) 平安時代、小野篁により建てられたお寺。高さ幅とも2.4mの迫力ある本尊・閻魔法王像は仏師・定勢の作とされ、司命尊、司録尊を従えて閻魔王宮を模した祭壇に祀られている。境内隅には、南北朝時代の多層石塔「紫式部供養塔」(重文)がある。 特別拝観不可日:8月7日(木)~16日(土) 「嵯峨の釈迦堂」の名で知られるお寺。嵯峨天皇の皇子・源融の山荘「棲霞観」を後に寺に改めたのが起こり。当時の本尊・阿弥陀如来像(国宝)は、源融に似せて作られたという美しい顔立ち。霊宝館で数々の国宝、重文の寺宝とともに見ることができる。 特別拝観不可日:8月8日(金)~16日(土) 平安期以前に創祀された京都で最も古い社のひとつ。今回は、特別参拝所から間近で美しい流造の本殿を特別参拝していただく。あわせて、神社建築の中では珍しい平安時代の様式を伝える神社のお台所「大炊殿(おおいどの)」(重文)を特別見学する。 天正15年(1587)織田信長・信忠父子の菩提を弔うために創建。本堂背後にそびえる祇園閣は、大雲院が現在地に移転する前に建てられていた、伊東忠太設計の昭和初期の名建築。高さ36mの楼上からは夏の東山連峰や京都市内を一望することができる。境内には信長父子の碑や石川五右衛門の墓がある。 特別拝観不可日:8月6日(水)~16日(土)、9月20日(土)~26日(金) |
||||||||
![]() |
忍者ブログ [PR] |