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北海道で凄い寒波ですね(汗)
雪が酷くて車が何台も立ち往生って・・・・。 このご時世にとビックリしました。 しかもお亡くなりになられた方もいらっしゃるとか・・・。 ご冥福をお祈りします。 これで思い出したのですが、先日行った三田。 神姫バスに乗車した時「灯油くさい」と思ったんです。 暖房器具が椅子の下に設置(バス自体に)されていたのですが、「灯油で暖房?」と思いました。 これは確かに暖かいけど下手すりゃ一酸化中毒になりかねないと眉を潜めた事を思い出しましたよ・・・・(汗) で、我が家は相変わらず日陰生活(苦笑) ああ、光合成がしたい! と、毎日愚痴っています(笑) PR |
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古来から、少なくとも「万葉集」の時代から、日本人は人が死ぬと山へ帰ると言う信仰があるのだそうです。
お寺が山の上に多いのはそう言った信仰心も取り込んだ為でしょうか。 高野山がそうだというのは聞いたことがあるのですよね。 そこで高野山にも関係のある熊野。 世界遺産になって観光客が増大した地域ですが、知らなかったのですが熊野には「イザナミ」のお墓があるのですってね。 「日本書紀」での話なので創造されたものであろうとは思えますが、それでも今でも強く信仰されていて、地元では不思議な鎮霊祭が行われています。 花の窟神社と言うのだそうです。 70メートルもある巨石でして、その鎮霊祭の事を「御縄掛け神事」と言うのだそうです。 で、そのイザナミですが、(「イザナギ・イザナミ」と言う日本創造神の1人ですが)ご存じのように彼女はイザナギより先に黄泉の国へと旅立ち、彼女を追いかけてきたイザナギに自分の醜い姿を見られてしまったことを恥じ、イザナギを追い返してしまいます。そしてイザナギは黄泉の国へと繋がる道をふさぎ、二度と黄泉の国へは行けなくしたというお話しがありますよね?その後彼女は黄泉国の主宰神となるのです。 その彼女の居る国が「熊野」だと言う事で、二人の子供・天照は伊勢で太陽神として君臨していますが、伊勢が現世で熊野が黄泉と言う信仰が根付いたのだそうです。 古来より「熊野」は死んだ人間の魂が集まる場所として存在していて、和歌山県のとある村では「骨(こつ)のぼり」という風習があるのだそうです。 人が死ぬとその遺体の一部を山に葬るという風習でして、山に向かう最初のさわはあの世とこの世の境界線だと考えられていました。 そのさわにある最初の木に草鞋・おむすび・杖をくくりつけます。これが死者が黄泉の国へと旅立つ為の旅支度なのだそうです。 この間行った播州・清水寺。 ここも山の上にあるのですが、この山の麓に「木津」と書いて「こつ」と読ませる地域がありました。 関連性は全く分からないのですが、珍しい読み方だなと思い覚えていただけですが、なんだか似たような風習でもあったのかと思った次第です。 「熊野」と言う呼び名は「隠国(こもりく)」から来ているという話があります。 死者が隠れる場所を「隠野(こもりの)」と言うのだそうです。 この「こもりの」が「くまの」と発音されたという説があります。 しかし、平安時代にはいると「末法思想」が蔓延します。 平安という時代が「末法」であるという考えですね。この世の終わりだと考えたわけです。この考えは釈迦の入滅後、二千年を経過すると、一万年間は釈迦の教えだけが残り、悟りを得る者はいなくなると言うものです。1052年(永承7年)に末法に 入るといわれ仏教界のみならず一般思想界にも深刻な影響を与えたのだそうです。 小栗判官伝説というのがあります。 (詳しくはこちらで→●) 熊野は死後、再生の神として崇められたのでした。 平安時代に大流行した「熊野詣」はこうした背景から盛んに行われたそうです。 熊野は死者の道であったのですが、死後再生の道として崇拝された場所となったそうです。 |
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大学の都合で一人暮らしをしていた娘が引っ越して帰ってきました。
家のメンテが始まる前だったのでこの場合だけは安心しました。 引っ越しの車が家の前に着くと近所の人々が色めきだちます(苦笑) 古い家が多い場所なのでそうそう引っ越しなどは無いからでしょうね~。 また、息子が引っ越す時も色めくのだろうと想像するとおかしいです(笑) 家のメンテは前向きに考えて 「早い時期に終わるのだから、よしとしよう」と考えることにしました。 勿論、旦那の携帯に文句の文章を送りつけましたけど(苦笑)<出張していて大阪に居ませんからね~。 明日から足場が組まれます。 しばらくはカーテンを閉めた生活を強いられることとなります。 |
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事の初めは、「外壁がやばそうだ」という話から、丁度営業に来た建設会社に見積もりだけ出して貰おうと旦那に相談したんです。
私的には他とも検討して色々調べてからと言う心準備で。 で、旦那の会社に持っていった見積書を後で見せて貰い「やっぱ高いなぁ~」と思ってました。 でもこの春は引っ越しが二つ控えていて(娘の帰宅と息子の出発)やるとしたらそれが済んでからと考えていました。 しかし今日、「お隣はいらっしゃらないのですか?20日から始めるのにご挨拶をしようと思っているのですがいつもいらっしゃらないんです」と建築会社の人に言われ、ビックリです(汗) 「はぁ?20日??」 どうやら旦那が即決していたらしく、今月20日から着工すると契約していたそうです。 聞いてないよぉ~!! 本当にビックリです。 全ての予定が全部やり直しとなりました。 本当にうちの旦那はおれ様気質で、困ったモンです。 事態が急展開。 むちゃくちゃ焦っています(汗) 色んな予定も変更しなきゃ~・・・・。 で、苦肉の策で「仕上がりが遅くなっても良いから、土日は外して欲しい」と工事の人に直談判。 いずれかの土日で引っ越しをして貰おう・・・・。 私の予定も平日はパスだ。 親戚の49日が土曜日で良かったと思った私です。 |
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やっと行けました。
先週の予定だったのですが、あの大雪でしょ? 今回もやばそうだったのですが、行ってダメだったら帰ろうというつもりで向かいました。 幸い良いお天気で~(笑) 三田の方の山にあるのですよ。 兵庫県の丹波地方にありますので行く途中には丹波焼きの窯元が沢山あって風情がある場所です。 創建は627年だそうで、推古天皇の勅願により建立されたとのことです。ここは殆どが火災や天災により消失しており、この仁王門は平成4年に再建されたものだそうです。 その他の宇堂も大正年間に再建されたものだったり、昭和後期に建立されたものだったりします。しかし、歴史あるお寺ですので、再建は早いようですね~。 雪深い場所柄、やはりまだ雪がこの様に残っており、晴天だったから良かったものの、ここに来るまでの山道は積雪になると通行が難しいのだろうなと思われます。 たいてい武将姿で頭上に動物を掲げる像が一般的ですが、彼が創る神将は動物そのもので造形されている、格好いいし可愛い像です(笑)見ていて飽きません(笑) ここの創建は平清盛の義母、「池の禅尼」によるものです。あの源頼朝兄弟の命乞いをしたかたですね~。その結果、源平合戦が始まったのですが・・・・。 その昔、この辺りはかなりの水不足の地だったそうで、開祖・法道上人が水神に祈りここに水が湧き出たと言う場所。そして感謝の意を表して「清水寺」と名付けられたそうです。 明治政権は神道を国の信仰にすべく廃仏毀釈を行ったという、私としては許し難い行為をしたわけですが、こうして如何にも日本的な「ごちゃまぜ信仰」の姿を見るとホッとします(笑) この稲荷社ですが、実はダキニ天を祀っています。ダキニ天そのものを祀っている稲荷社を見たのは私は初めてでした。 この自動車はこのお寺の車。なんと前のバンパーの所にシャベルがくっついています(笑)コレがないとここまで来れないほど雪深いのでしょうか、はたまた除雪車の変わりに改造したのか。しかし、この車で移動するたびに雪をかき分けることが出来るのは便利だけど、街まで行くのはどうなのでしょうか(苦笑) 「相野駅」からここまでバス(神姫バス)なのですが、平日で1日2本。土日が3本しか走っていません。 相野駅→清水寺 平日・・・10:24 12:54 土日・・・9:30 10:24 12:54 清水寺→相野駅 平日・・・12:05 14:25 土日・・・11:10 12:05 14:25 片道570円ですが入山料が要りますので行きはプラス300円 行きだけバスの運賃箱に870円を投入します。バスの運転手は行きの人数を確認しておりますので、例えば9時台のバスで来られた方は11時のバスに乗ってお帰りになることを前提でその場でお客さんを待ってくれています。 しかし、乗り遅れた方がおられたら、次のバスの運転手に報告。自分が乗せてきたお客さんプラス乗り遅れたお客さんを合計して山を下山します。 取り残しの無いようにと言う配慮ですね~。 そんなわけで家から片道1時間半ですので、意外に早く大阪に戻ってこれるわけで、帰りは大阪天満宮をめざしました。 古本市があったもので(苦笑) 梅の季節ですから天満宮は何処でも賑わっています(笑) 一冊だけ掘り出し物を見つけて、ここで「すべらんうどん」を食べて帰りました(笑)色んな種類があるのですが私はその中の「ときうどん」を食べてみました。見た目白みその餅入りうどんなのですが、実はこれ練りごまを出しで伸ばしたと言ううどん汁。これにラー油を入れて食べるもの。初めての味でしたけど美味しかったですよ~。 どうして「ごま?」と聞きますと「ごまを出汁で伸ばすと言う事で『ごまかす』と(笑)時をごまかす、時を忘れるほど美味しいと言う意味ですね~(笑)」と言われました(笑)サスガ『繁盛亭』が傍にあるだけはある(笑) この「唐文」と呼ばれる梅は樹齢250年。本殿に置かれていた盆梅です。白梅の方は樹齢100年でした。見事な梅ですね~。 大阪には古い洋館風建物がいくつか残っています。これは天満宮の傍にあるアートギャラリー。 その前にある猫の置物(笑)ちょっと気になりましたが入らずに通過(苦笑) なんだか大阪じゃないような風景が目の前に広がっていました。休みだからでしょうね~。やはりここはオフィス街。仕事のない日は道路が広いです~。 大阪は川の多い町ですので他の都会とは少し様相が違う気がします。だからか、私はこうしたビル群の景色も大好きなんですよ。 余談ですが、「卯乃家」のHP→● |
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