× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
今年は法事ラッシュです。
良い事なら良いのですけど、まぁ、仏教的に言えば良い事なんだそうです。 法事をするたびに故人がランクアップしていくのですから。 昔など、27回忌が過ぎればロウソクは白から赤に変えて祝ったそうですので。 赤のロウソクの利用方法ってそう言う事だったんだと以前初めて知りました。 今年の予定法事の第1回目が昨日でした。 義父の17回忌。 今後、娘と義母、そして父の法事が待っています。 正確に言えば去年の11月に祖母の法事をしたので、参加予定法事は2回目ですけどね。 あ?叔母の法事もあったっけ??? 後で調べなきゃ・・・(汗) 良い事なら幾らでも続いてくれて良いのだけど、良くない事は良い事より続く傾向があって、色々重なっているんですよね。 嫌だ嫌だ・・・。 |
気持ちが浮き沈みし通しです。
まぁ、致し方ないと第3者的に考えています。 昨日、wowowでうっかり「アイ・アム・レジェンド」を見てしまい、ドーッと落ち込んでしまった後、正月に見たピーコさんのむかつくコメントを思い出してしまいました。 この映画はたった1人になってしまったという設定ですが、孤独感が全面的に出ていて、それは大事な人に去られてしまって残された者の寂しさと同じ種類のもので、頭では解っているのだけれど、その寂しさは言葉では説明出来る事が出来ないもので・・・。「人は1人では生きられない」と言う言葉が切実に心に染みるものです。 ニュースで老夫婦二人暮らしの方の旦那様の方を亡くされ、ことある毎に旦那様を思い出されては「あの時こうすれば良かった、この時ああしてあげれば良かった」と悔やみ、1人になってしまった寂しさに殆ど家の中から出られず、旦那様の死を受け入れる事が出来ない日々を送られていた女性が居ました。 そんな彼女が同じ境遇の人たちで構成された小さな会に入り、同じ悲しみを共有しながらも前向きに生きなければいけないと、そういった人たちが集まり食事を作って一緒に食べたり、みんなで旅行に行ってみたりとされていました。 「それでも家に帰れば残された遺品を抱いて泣いてしまいます」とおっしゃっていたのです。 大事な人を亡くされて、簡単に忘れる事など出来ないものです。 色んな想い出が思い出され、その度に悲しみに暮れてしまう心情は理屈ではなく、仕方がない事なのだと同感します。 「みなさん、3年は駄目よとおっしゃっていました。本当にこの悲しみを乗り越えるのには、少なくとも3年。3年経てば少しは自分を取り戻せるのでしょうか」とコメントされていました。 そんな番組でコメンティターのピーコさんが、 「いつまでも悲しんでいたら旦那様が成仏出来ないのよ?」とか言うんですよ。 思わずテレビなのに怒鳴ってしまいました。 「そんな事は言われなくても判っているんだ! 成仏を願わない遺族がいていると思っているのか? でも、己の心を制御出来ないほどの悲しみは死んだ人に生き返って欲しいと思ってしまうのだ! 一刻も早く成仏して欲しいと心から願っているのに、寂しくてそんな風に思ってしまうのだ! よく、こんな事を言える!? あなたは何も解っていない! 正論しか言葉に出来ない人ほど不誠実に映ると知らないのか?」と・・・。 遺族が一番解っている。 この矛盾が己を更に苦しめる事も・・・。 くそ、むかつく!! と、また腹ただしく感じています。 なんでも解っているかのように話す人は、本当は何も解っていないのかも知れないと、今までの自分の反省も含めて考えてしまいました。 去年、色んな人が亡くなりました。 知り合いにも多くの不幸が訪れました。 本当に有難かったのは、自分が自分で少し消化してから「家に行っていい?」と聞いてくれた友人達でした。 人前で泣く事が出来ない私は、いつもの自分に出来るだけ近くなった時、会って話せた事が凄く有難かったんです。 父が死んだ時も、今から思えば「消化出来た」のは10年も経ってからだったんです。 父ですらそうですので、きっと一生出来ないかも知れませんが、それでもこうしてはき出す場所もあるわけで、日に日に少しではありますが楽になっていく自分を理解出来ています。 この場をかりて、ありがとう御座いますとお礼申し上げます。 そして、寂しさを味わっている方々、ゆっくりでいいです。自分の歩みで消化していって下さい。 皆様のご冥福をお祈り申し上げます。 |
飯島愛さんの訃報を聞いて、娘を思い出されて仕方がありません。
あの時の感情が蘇ってきて、辛くて仕方がありません。 TVをつけるといつも同じ番組で、飯島さんのような人生を送っていたわけではないけれど、性格がよく似ていて、色んな事が消化出来なかったのだろうなと思います。 以前、ブログで「強そうに見える人間が一番弱いのだ」と書いた事があったけど、本当にそうで、娘も飯島さんも口に出来なかった寂しさや己に対する厳しさが尋常ではなかったんだろうと思います。 辛いですね。 ご冥福をお祈りします。 |
本当なら、この日で23歳になるはずだった娘の誕生日でした。
永遠に22歳のままですが、親というのは業が深く、どうしても年齢を重ねさせてしまいます。 そろそろ出した喪中の葉書が届き、その葉書で知った方々からお供えのお花が届き始め、押さえていた悲しみが朝からピークになっていた時、なんと、娘の彼氏だった人が突然東京から来てくれたんです。 朝から雨の中お墓参りにも行ってくれて、我が家を訪ねて来てくれました。 もう、無意識に喜んでしまいました。 頭の中では早く娘を忘れて新しい人生を歩んでくれと思っているのに、心の中でこうして今でも娘を思っていてくれている事を無条件で嬉しいと思う私です。 無事に保育士の国家試験に受かり、就職をしたそうで本当に嬉しいと思っています。 娘が生前「あの子は良いお父さんになれると思って」とつきあおうと思った理由の一つに上げていましたから(笑) そして、やはり彼がもう一度挑戦しようと思った理由も「望んでいた事を思いだしたから」だったそうです。 一次は「他で就職しよう」と思ってたそうですが、もう一度挑戦しようと決心してくれたそうで、今はちゃんと保父さんとしてやっているそうです(笑) 「後押しをしてくれたんだと思います」と言っていました。 あの子が広島で買って渡したという、何故か「学業成就」のお守りを持っていったそうです(笑) 本当に良かったと心から思っています。 「明日、もう一度京都に行って夜に東京に戻ります」と言っておりましたが、「マジですか?」と聞き返してしまいましたよ(苦笑) 「この時期に京都?やばいほど人が・・・」 「平日ですから・・・、その為に1日休みを取って・・・・」 「・・・ご愁傷様です」 彼が人混みに負けずに京都観光出来るよう、心からお祈りしております。 しかし、彼のおかげで悲しみが和らぎました。 これも娘の気遣いでしょうかねぇ。 |
忍者ブログ [PR] |