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【2024/04/29 04:19 】 |
夢をみました。
http://garuda.blog.shinobi.jp/Entry/185/

ここで書いたように、思っている事は書く事にします。

夢を見ました。
手や鞄に一杯写真を持った娘が、「もう疲れたから私も何処かへ旅行したい」と言いました。

娘は想い出が詰まった自分の写真を、いつまでも離せずに苦しんでいると理解しました。

思わず私は言ったんです。
「忘れなさい。そんなもの全部捨てて、親兄弟、友達も全部、あなたが体験した全ての思いでを全部捨てる事が浄化するという事だから」と。

その後、「私は輪廻転生を心から信じている。だから、あなたは早く浄化して、もう一度生まれてきて欲しい。私はあなたとどうしてももう一度会いたいのだから」と、付け加えました。

そして目が覚めたのです。

それは同時に私にも言える事だと解っています。
全て捨て去らねば心は救われない。
禅宗で「仏祖を切り捨てる」と言うような内容があるとの事です。
仏や先祖に捕らわれている間は「大悟」、つまり究極の悟りは得られないのだと言う意味なのだそうです。

そんな事は重々解っている事です。
でも私、親なんです。

あの子が本当に浄化出来たと解るまで、私はそれを出来ない。
私がそれをすれば寂しがるのではないかと思えて仕方がない。

切なる願いは娘の浄化。

それを確認する手だてもなく、全うして常世に旅立った娘ではないだけに、後悔しているだろうし、未練も残っているだろう。
常にそれが私を落ち込ませます。

自らの手で命を絶つという行為は、結局、守りたい人を生き地獄にたたき込むという行為だという事を、娘は知りよしもなかったんですね。

己一つであれば、いくらでも精進し、どう生きていくのが良いのか出来るけれど、娘の成仏を第一としてしまった私に、歩む事を止めさせてしまいました。

病弱だった娘を必死で育ててきた年月は「夢」だったのでしょうか。
心の病に一緒に取り組み、飽きるほど話し合っていた毎日は「夢」だったのでしょうか。
「生きている事がみんなの迷惑になるから」と勝手に結論づけて先に逝ってしまった時、どうしようもない無情さを抱え込んでしまって、もう、何処にも抜けられない状態になってしまいました。

同じような境遇の人はこの世に多いと思います。
みんな、そんな重責を背負って、答えを見つける事も出来ず、己に終着駅が見えた時やっと解放されるのだろうと、先人の言葉で理解しました。

以前にも同じような内容を書いていたとは思うのですが、実際、前に進めません(苦笑)
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【2008/11/06 12:37 】 | 偲ぶ
大丈夫だと思ったんだけど・・・
従兄弟会があったんです。
もう、大丈夫かなと思って参加したのだけど、やっぱり無理でした。
キツイ4時間でした。
娘の事はみんな知っているのだけれども、みんな似たような年齢のお子さんがいて、結婚とか出産とか、そんな話にどうしても行ってしまって、その時は冗談を言いつつ参加していたのですが、やはりキツかった・・・。

まだ、無理ですよ、やっぱり・・・。

家に帰った途端、忘れかけていた涙が滝のように出てしまって、堪えていたんだと気付いたんですよ。

おかしいですよね、自分の事なのに。

深い部分に残る傷は、まだまだ癒えていなかったようです。

色んな事が思い出されて、色んな仕草が走馬燈のように脳裏に走り、彼女の言葉が何度もリフレインされる。

「1月か2月に一泊で旅行しましょうよ」とか言われたのですが、一周忌も済んでいない時なので、きっと参加するのは難しいだろうなと心の中で感じていました。
【2008/09/23 20:12 】 | 偲ぶ
ブログだからな・・・。
って、思っていました。
公開しているけど、日記ですからね。
やはり色々書いて行くべきだろうと思った次第です。

身内の死を受け入れる事が出来るのは本当に人生の終わり頃という話をよく聞きます。
そんなにかかるのか・・・。
正直そう感じていました。

しかし、仕方がないのだと最近解ってきました。

身内の死を受け入れるには

何度も己に聞いてみたり、同じ事を何度も考えてみたり、しかし自分1人の考えでは答えがいつも同じになってしまいます。
だから誰かに話をして別の見解を得て考えていかなければならないのです。
しかし、他の人は「まだそんな事を言っているの?」的な雰囲気を醸し出します。
だから、「ああ、この話題はしない方が良いんだ」と気付きます。
そして「もう大丈夫よ」と演技を無意識に始めます。
自分に言い聞かせながら・・・。

人にとって、身内以外の「死」は記憶から薄れていきます。
だから心の中での重要な位置は次第に他の物に支配されていき、ついには記憶の片隅に追いやられるのです。
それはあたりまえの事で、むしろそうでなくてはダメなのだと思います。

しかし一進一退している者は、それ以上前に行かなくなり、話す事で楽になったり理解したりしていた事を「拒否」される事で心の中にしまい込み、1人で背負う事になるのです。

背負うには大きすぎて・・・・。

だからこそ何年も何十年も経って、己の命が消えそうになった時「ああ、もう心配する事は何もないのだ」と理解出来て心が楽になり、やっと「身内の死」を受け入れる事が出来るのだと・・・。

名優・仲代達也は奥様を亡くされた1年の間、何度も死ぬ事を考え、何もする気になれずにうちひしがれていたそうです。
そう言えば、その後復帰なさいましたが、以前のギラギラするような生命観が演技から消えている事に気付きました。
きっとあの人も、まだ受け入れる事が出来ていないのでしょう。

誰しもそうなんですねと思った瞬間でした。


どうして居ないのだ。
どうして帰ってこないのだ?
死ぬってどういう事なんだ?

毎日考えています。

以前ほど苦しくはないけど、きっとこの先私は死ぬまでその事を考えているのだろうなと予測出来ます。

だから、ここに思った事を書くべきなんだろうなと最近決心しました。

きっと私のような境遇に見まわれている人は少なくはないはず。
毎日己に「ダメな親だ」と叱りつけているでしょう。
ときどき、
「子供に捨てられたのだ」と投げやりにもなってしまいます。

そんな心の揺れを、この先もやはり書いていこうと考えています。
【2008/09/10 11:20 】 | 偲ぶ | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
おーい水島
「おーい水島、一緒に日本へ帰ろう」

この言葉が思い出されます。
このセリフは「ビルマの竪琴」と言うお話しのセリフ。
子供の頃に見た時は純粋の水島上等兵の崇高な心に打たれた映画でしたが、最近見た時違った感想を持ってしまいました。

元々は子供向けのお話しだったのを市川 崑監督が1956年と1985年に映画化したもの。
全編「埴生の宿」と言う音楽が静かに流れ、ビルマ戦での小隊をクローズアップしているお話しです。

詳しくはこちらで→
ウィキペディア

最後のシーンでフェンスに群がって、水島だと思われる僧に仲間達がこのセリフを言います。
でも水島上等兵は仲間が歌い出した「埴生の宿」の伴奏を竪琴で弾き、自分は間違いなく水島であると行動で示したにもかかわらず、彼はビルマに残る事を態度で示します。

この時、思ったんです。

水島は「覚悟を決めているから振り切れる」と。
でも残された仲間は「置いて行かれた」と言う寂寥感でうちふるえます。
「納得が出来ない」からでしょうね。
置いて行かれるという表現は違っているかも知れませんが、でも、似たような寂しさが画面から溢れています。
1人でも「覚悟」のある人には寂しさというものはありません。
何人いても「納得出来ない」人はとてつもない寂しさに襲われます。

楽しい時を過ごして別れが来る時、離れがたい想いというのがあるでしょ?
でも別れの時間が来て去って行く人の姿を見ているだけでとんでもないほどの孤独感を感じた事がありませんか?
帰っていく姿を見送るというのは、何度経験しても「寂しい」と思ってしまいます。

この映画、水島上等兵の崇高な心と言うより、私には日本に帰る兵士達の心が「埴生の宿」なのかなって思えて仕方がありません。
あの寂寥感は、何度見ても胸が痛みます。
【2008/08/18 16:22 】 | 偲ぶ | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
命が繋がる
従兄弟の子供が出来ちゃった結婚をするそうです。
大学を卒業と同時こんな事になってといっとりましたが、私は最初に「羨ましい」と思いましたね。
そこも3人の子供が居て、真ん中の子が結婚するのだそうです。


親であれ子であれ、居ていてあたりまえだと思いがちでしょうが、我が家のように突然居なくなる事もあるわけで・・・。
元気で命を繋いでくれる事に感謝しなくてはダメなのだと思いますね。

子供を産むというのは本当に女性にとって大変な事で、色んな心配事が、それこそ、この間の奈良の妊婦さんじゃないけど、生む事自体が命がけでもあるわけです。
命を繋ぐというのは並大抵の事ではありません。
それをしようと言うのですから、ましてやちゃんと結婚しようと言うのですから、感謝こそすれ怒るのはどうかと思うのですよ。

子供は何人いてもどの子も代わりになる人はなく、1人1人が大事な命な訳です。
その大事な子供が次代へ命を繋いでくれるというのですから、「よく頑張ったね」と言ってやりたいと思いましたね。

我が家ではもう望めない事です。
あの子が子供の1人でも産んでいてくれたのなら、我が家も彼氏も今より救われたかも知れないと思ってしまいました。

【2008/08/14 08:44 】 | 偲ぶ | 有り難いご意見(32) | トラックバック()
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