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時と共に落ち着くかと思ったのだけれども、時が経つに連れ寂寥感は更に大きくなり、部屋に籠もって写経の日々を送る事もしばしば。
60枚以上の写経をし続け、ただし続けてもダメだと納めに行き、更に書き続けている。 しかし、無駄に悲しいのではなく、徐々に見えてくる要因の数々。 それも写経という手段で冷静に見つめ直して来たればこそ。 今更だ。 そんな風に思う。 今更解ってどうなる事でもない。 あの子はもう一生帰ってこない。 街でそっくりな子を見るとついボーっと見つめてしまう。 「個性」が周囲の「常識」によって潰され、さらに「自我」までも粉々に砕かれ、残ったのは「疎外感」だけだった娘。 家族が彼女の個性を理解していても頑なに「そんな事では世間では通用しない」と言い続けていた。 そこまで追いつめて、何が残るのか。 結局、全てを投げ出す方法しか思いつかなかったのだろう。 精神障害は怖いと本当に理解したのは彼女が居なくなってしまってからだった。 娘の事だけではなく、ずっと続いているトラブルで対人恐怖症にもなっていた自分。 あの子はよくしゃがんでいたが、本当に立っているのも辛いというのを経験した。 何もする気も起こらず、食べるという行為ですら面倒になり、ただただグルグル同じ事を考え続けていた。 項垂れるだけの日々。 こんな事ではダメになる。 私は以前はどうして苦難を乗り越えてきたのかと必死で考えた。 そうだったと思い出す。 「自分は出来る。大丈夫だ。まだ出来るはずだ」 呪文のようにくり返し奮起していた。 それをすると少しずつマシになっていった。 生きる事は難しい。 祖母から教えられていた「写経」という手段は私にとって救いにもなっていた。 薬師寺に行くと本当に落ち着く。 書いた写経を手にして納経し、また新たな用紙を貰って帰る。 いつまで続けるかは決めていない。 自分が「もう大丈夫だ」と思える時まで続けたいと思っている。 ここだけでなく、興福寺・四天王寺にも納経し、そして東大寺にも写経を納めた。 8月7日に「お身拭い」という行事をする。 大仏様の埃を払う行事。 朝7時から始まり9時30分には終了する。 (この日の開門は7時半) この時、実は納めた写経をこの大仏様の体内に入れて貰えるのだ。書いた写経はその後ずっと大仏様と供養される。こんな事で功徳になるのなら、自分の功徳を娘にと願いを込めて書き続けている。 しかし、無性に会いたくなってしまう事も多い。 実際には絶対に叶わない事なのだけれども・・・。 ある日たまらなくなって彼女の携帯にメールをしてしまった。 届くはずもないのに。 でも、その夜、数ヶ月ぶりに夢に出てきてくれた彼女は何処か照れくさそうで元気そうだった。 思うように話をする事が出来なかったけど、嬉しくて夢なのに泣いている自分が居た。 でも、少しでも会えた事で気持ちが少し楽になったようだった。 携帯メール、届いたのかな。 8月7日は東大寺に行く予定。 折角回向して貰えるのだから、行かなくては。 その後は博物館で「西国観音霊場33ヶ所」の特別展を見て、そして奈良で行われている「なら燈花会」で癒されようかという予定。 http://www.toukae.jp/hinotori.html http://www.toukae.jp/ 8月5日から8月14日まで行われるようなので行ってみては如何だろうか。 PR |
智に働けば角が立つ
情に棹せば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角にこの世は住みにくい 夏目漱石の「草枕」の冒頭ですが、人は一生を掛けてこれを読み解き、最後に「己を許せる」許容量というのを養っていくものです。 娘は最期の4年で全てをジェットコースターのように知り、理解し、後悔し、なんとか分かろうと努力し、最期は「若さ」というキャパの狭さに負けてしまい壮絶な死に方をしてしまったわけです。 人は人によって傷つき、堕ちて行くのですが、でも、心を癒すのに動物でも旅行でも、穏やかな風景でも本の中の文章でも無い事を気づけなかった。 人は人によって翻弄されてしまうものですが、人でしか本当に心は癒されないものです。 今から思えばどうしてあの子に必要以上に関わり、時間を割き、いつもどうしてこんなにも不安な想いを募らせていたのか・・・。 どうしようもない「運命」という歯車に乗ってしまった所為だったのかも知れません。 意識など全くなかったのですが「時間がない」と必死で時間と戦っていたようにも思います。 西国巡りもゆっくりと行けばいいのに何故か寸暇を惜しんで参りきったのは、この所為だったのでしょうか・・・。 その証でもある集めた散華を1枚の色紙にまとめて仕上がったって来たのは彼女の死後でした。 百箇日を終えました。 そしてその時納骨も済ませました。 この日が来るまで精神的に不安定で少しの事で泣きだしていたのですが、直前になり漠然と「悲しむ事はないのだ」と思ったのです。 彼女はこれで自由になれるのだと。 魂と言うのは留まる事のないもので、墓に入るという事は「単に遺骨の置き場所に置いただけ」でそこが彼女の家になったわけではないのだと気付いたのです。 家からの呪縛から解き放たれ「自由」に好きなところに行けるのだと分かったんです。 そんな風に思うとスッと心が軽くなり、彼女の遺影に「良かったね。幸せになってね」と呟きました。 かねてより約束していた娘の彼氏が東京から来てくれました。 まだ辛そうでなんと言えばいいのか分からず、私は今まで思っていた様々な事をゆっくりと話して聞かせていました。彼は娘に贈った指輪をはめたままでその指輪に触れながら静かに泣いていました。 東京へ戻る直前にメールを貰い、「家族の一員のように扱って貰えた事に感謝している」と書き、最後に「彼女を幸せにしてあげられなかった事を許して下さい」と書いていました。 それが悲しくて申し訳なくて・・・。 だから 「最期に娘があなたという人を選んだ事を誇りに思っているのですから謝らないで下さい」とメールしました。 そしたら 「自分も○○○を好きになった事を誇りに思います。彼女の事を未だにグズグズと引きずっていますが、この想いはマイナスではなく自分にとってはプラスになっていて、きっとあいつが悔しいと思うくらいいい男になって見せます」と書いてきてくれました。 ベタだなぁ~と思ったんですが私、嬉しくて泣いていました。 娘が生きていた事は無駄では無かったのだと心が癒されました。 あの子が残していった様々な言葉や経験。 今では大事な遺産なのだと感じています。 いない事に慣れても死んだ事にはまだまだ慣れないのですけどね・・・・。 |
本当に、今年はどういう年なのだと・・・。
親戚もみんなクタクタです。 近しい親類が他界致しました。 再び葬儀に向かいます。 |
義母が今朝逝きました。
再び更新が途絶えがちになるかも知れません。 もう、正直、しんどいです・・・。 |
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