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【2025/07/23 14:33 】 |
12月ですね
ぽかぽかと暖かい日でしたね。
今日は薬師寺に行き、二回目の寺内での写経をしてまいりました。
ほかほかと日差しが気持ちよく、きっと傍にいる娘と一字一字書いて参りました。

12月に入ってやっと娘の残したNET上の落とし物を回収しようという気になり、半年以上もたっておりますが、NET上の娘と交流のあった人たちへ報告しました。
やはり一応に皆様ショックが大きく(当たり前ですね)また改めて、娘が如何に皆さんに愛されていたのか認識致しました。
娘は素直すぎた。
これにつきると感じました。とかくこの世は・・・、本当に生きにくいですよね。
でも皆さん、「誰よりも長く生きよう」と口々に言って頂き、本当に有難いと思いました。
娘は友人を本当に大事にしていましたので、きっと何より本人が喜んでいると思います。

回収していて、思いがけない拾いものをしました。
音声ブログというの発見し、久々に娘の声を聞きました。
これは娘からの指示だったのでしょうか。
ここを見ろ、ここにあるからと・・・。
ずっと声が聞きたいと願っていましたので、涙がでるほど嬉しかったです。
よく、残していてくれた。
本当にそう思いましたね。
あの子の晩年の想い出が全て詰まった携帯を3月上旬に水に落として駄目にしてしまった所為で、あの子の近年の様子が手元に無いに等しかったもので、宝物のように思いました。
NETもありがたいものですね。
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【2008/12/03 18:29 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
新・ゆるキャラ


実はここにおりました(笑)
ゆるキャラ祭の時に知りまして、雨だと言われつつも完璧に晴れた1日でして、満喫してきましたよ~。
可愛かったです。

フォトアルバムにも上げてみました。

こちらからどうぞ
【2008/11/25 22:37 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
完成したようです
kopi1.jpgkopi2.jpgkopi3.jpg













大学から帰宅した娘が取り憑かれたように完成させた孔明キューピー(笑)
私が担当したのは着物のデザインと襟の部分、そして着物制作の半分だけ。
いっそNETで売れば売れるのではないかと密かに考えてたりして(苦笑)
【2008/11/18 21:34 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
観てきましたよレッドクリフ
三国志好きには美味しい映画でした(笑)
ネタばれになるので詳しく語れないのが残念ですが、とにかく「中国の良さ」が良く出ている映画だし、スピードと迫力は相当なものでした。

ただ、続くんですよ(苦笑)
後編は4月の上映。

しかしながら、三国志を全く知らない人には難解かもしれませんね~。
なにせ、注釈が無いとこの話を見ても解りません。
日本側で作られたのか、映画の最初に日本語な注釈が入っておりました(笑)
でも、これを観てもどれ程理解出来るか疑問です。
周瑜の絶対音感やら、関羽の子供達への授業など、知っているものしか分からないのでは?

次回の映画が見たくて前売りを求めようとして、おまけの「キューピー人形」を発見。
「発売時期によってついてくる特典が異なりますが、キューピーは発売1-2日で終了しました」とのこと。
おっどろき。

こちら→キューピー

第三弾、第四弾にキューピーフンダツ合戦に参戦出来る気力もない私たちは、「作れるんじゃない?」って事になってしまい・・・・。

b17e4134.jpeg制作途中ですが、こんなものを娘と合作中(苦笑)
孔明キューピーで御座います(苦笑)

さてさて、ちゃんと出来るか否か・・・。

【2008/11/18 14:45 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
東洲斎写楽
NHKの写楽を取り扱った番組を見ていたのですけど、ちょっと江戸の粋を感じましたね~(笑)
syaraku.jpg独特なデフォルメで世界中に知られた浮世絵師でありながら、その素性が謎であるばかりか、デビューして僅か1年で消えてしまった謎の絵師。
以前、展覧会に行って「写楽は歌麿より絵がうまい」とブログに書いた・・・?かもしれませんが(苦笑)、とにかく、うまかったんですよ。写実的というか、特徴を良くとらえていて躍動感がある。
歌麿のような「サザエさんタイプの絵」では無かったんですよね~。

さて、その写楽ですが、研究者の半分が彼は八丁堀に住んでいた阿波の能役者・斉藤十郎兵衛だと言っておられます。
その根拠は写楽の死後60年ぐらい経った時に活躍していた時代考証学者・斉藤月岑が「浮世絵類考」と言う中で記載されていた事が元となっております。
しかしながら、斉藤十郎兵衛と言う人物が本当に居たのか否か、また、半世紀も経ってからどうして写楽の記載があったのかと言う話でした。

で、このNHKで放送されていたのは全国の写楽研究者の話をまとめている形を取っておりまして、ますます、写楽は能役者であったのではないかと思えてきたのですよ。
○江戸の文化人名簿の『諸家人名江戸方角分』の八丁堀の項目に「写楽斎 地蔵橋」との記録があるが、その本名の記載は無かった。
○斉藤十郎兵衛という名前は能役者名鑑に載っている。
○斉藤家の菩提寺には57歳で亡くなったという過去帳も現存している。
○阿波の江戸藩主が写楽登場時代、丁度1年の間、江戸から阿波に行っており留守にしていた。
○写楽が消えた後30年後の江戸の住民地図に、八丁堀・地蔵橋には斉藤なにがし(すみません、名前を忘れました(汗))の名前が記載されている。
○その後、斉藤なにがしが斉藤十郎兵衛の息子である事が判明。
○写楽の描く役者絵は能面に似ている。

とまぁ、色々出て参りまして、斉藤十郎兵衛が写楽なのではないかという説が強まって参りました。

その時代、能役者は歌舞伎役者とは身分が違っていました。
歌舞伎役者は「河原者」と呼ばれ、町民より身分が低かったのですよ。しかし能役者は昔から武士に重宝され「武士」と言う位を貰っておりました。
武士という身分の者が、町民文化の歌舞伎の浮世絵師であると言う事は許される事では無いのでしょう。
ですので、素性は隠さなくてはならなかった。

写楽が活躍していた年、藩主が留守で能役者の仕事が無かったのかも知れないと推測されていました。
その暇な年、かねてより好きだった絵師を期限付きで始めたのではないかと言われています。

そしてここですよ(笑)
きっと周囲の人間は写楽が何ものなのか知っていたはず。
勿論、歌舞伎役者自身も知っていたはず。
なのに誰も彼が何ものなのかを明かさなかった。
斉藤月岑が半世紀経ってから素性を明かしたのは、「もう、知られてもお咎めはないであろう」と思ったからであろうと言われており、この事を知って、
「江戸の粋」だと思ったんですよ~。
世間が写楽を守っていた。
それほど彼は人気があったのか、「こんな事をバラして写楽に迷惑をかけるなんざぁ無粋だぜ」と思ったのか、当時の江戸の意気込みというか、町人文化の結束の堅さというか、そんなものを感じてしまってホッコリとしてしまいました(笑)

【2008/10/15 20:17 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(7) | トラックバック()
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