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【2025/06/14 22:41 】 |
お盆が近いですね。

最近、娘の存在を(勘違いかもしれませんが)感じます。

そしてずっと知る事が出来ない事を延々また考えています。

「死んだら何処へ行くんだろう」

人類の永遠のテーマのような気がしますね。

仏教に限らず、全ての宗教は生きて行く為の智慧を教えてくれるものだと考えています。しかしながら大事な人を亡くしたことで、その人の事が気になって仕方がない生き残った遺族の為に、仏教などはその後、いろんな風習を読み解いてきたわけです。
天国地獄なんかもそうでしょう。
いったい誰が見てきたのだと思ってしまう程、いろんな情報が世界中にありますよね。

薬師寺の管主さんが機関誌で記述していたのですが、葬式や仏事は生きている人間の為の癒しの為にしているもののように思えると。
大事な人が亡くなると生きる気力を無くします。
生きていること自体に意味が無いように思えてくるからです。
出来れば先に行かしてしまった故人を追って自分も行きたいとすら思います。

葬儀や仏事は故人が何処へ行くかと示し、故人との別れを遺族に解らせるため、あるいは心を穏やかにするためにあるのなら、それは意味のある風習ではないかと書かれてありました。

そうだと思います。
「もう、居ないのだよ」と気づくのは凄く時間が必要です。
そのために法要をするのだなと思います。

笑っちゃいますね。こんなカラクリを知ってしまうと私が求めている答えが見つからない(苦笑)
解っていながら仏にすがるのは、ひとえに故人の考えや性格は死んだ後も変わっていないからだと信じているからです。
お墓や仏壇に居るはずもないのにそこで話しかけるのは、そこが死者との会話場所であると故人も理解しているからで、どこかで聞いているのではないかと思うからです。

死者の為にある枕経だのの内容は、はっきり言って生き残った者の為のお教です。こんなものを読んで死者が喜ぶのか?と疑問に思いますが、先ほども言ったように生前、お教はありがたいものであると信じていた故人にとっては、お教をあげてもらう事が安らぐからだと理解しているからです。
そして死んでもそうやってお寺さんに特別に頼み、自分を気にかけてくれる事を喜んでいるだろうと思うからです。
忘れられるのが一番さみしいだろうなと考えています。
法要は縁者が集まって故人の思い出話をすることで、きっとどこかでその話に参加しているだろうと思うからしています。
行事化しないとみんな集まりませんからね~(苦笑)

たいていの経典は生きているものが考えた「死」とは何かですが、私が知っている中で一つだけ死者から目線のものがあります。
経典ではなく「詩」です。
不思議な「詩」です。
本当に死者が書いたのではないかとさえ思える「詩」です。
今や、世界中の人が知っているのではないかと思う「詩」です。

タイトルは「千の風になって」です。
a thousand wind
Do not stand at my grave and weep

I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night. 

Do not stand at my grave and cry
I am not there, I did not die.

原文はこちらです。
この「詩」はいつ頃、何処で誰が書いたのか分かっていません。
解っていないのに世界中で古くから読み継がれてきた「詩」です。
以前TVで追跡調査をしていて、アーリーアメリカンで古くから語り継がれてきたというところまでたどり着いていました。
自然の中で自然と共に生きてきた種族ですので、この歌は良く理解できます。しかし確定したわけではないようですが・・・。

日本で有名なのはこれを新井満氏が訳し、秋川さんの歌声で全国的に知られましたね。


私の御墓の前で泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています。

秋には光になって、畑にふりそそぐ
冬にはダイヤのようにきらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になってあなたを見守る

私の御墓の前で泣かないでください。
そこに私はいません、死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています。

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

この歌に歌われているように「風」で知らせると言う現象は度々感じます。
横切ると風が走り、お線香の香りを連れてくるんです。
それは深夜でもま昼でも変わらず同じ事が起きます。
だからつい生前の名前で呼びかけてしまいます(苦笑)
はたから見たら変な人ですよね(苦笑)

そんな日は決まって下の娘が死んだ娘の夢を見るようで、戻ってきているのは確かなんだなと思ってしまいます。

本当に死んだら何処に居るんでしょう。

今、「納棺夫日記」と言う本を読んでいます。
あの「おくりびと」の原作本ですね。
映画の方が上映されているとき、タイムリーでとても見る事が出来ず、いまだに見ていません。
しかし勧められて読んでいると、日本の美しい原風景の自然描写が素晴らしい作品なのにその内容は一言一言が重く、1ページ読むごとに考え込んでしまうもので、凄く短い短編なのになかなか先に進めません(苦笑)
ですので全体の感想はまだ書けないのですが、途中でも「日本人とはなんなのか」とまで考えてしまう内容だと言えます。

「死ぬ」とはどういう事なのか、「生きている」とはなんなのか。
風習は人を救うのか、あるいはダメにするのか。
どの哲学書よりもストレートに響いてきます。

死んだらあの世とやらに行くのだろうか。

そんな風に思っていました。
しかし、無意識なのか意識的なのか知りませんが「どこかに行くらしい」事はしっています。
以前にも書きましたが、娘が死んですぐの時、妙な夢を見ました。
ローカル線で屋根のない小さな駅で停車している電車も1両車両なのに、その小さな駅に信じられないくらいの人が居て、その1両車両も通勤電車のように満員になっていました。
その電車に乗らなければ次がずっと来ないと知っていたので慌てて私と娘二人と降りて行ったのに、乗ったのは死んだ娘だけでした。
娘は暗い顔をしたままその満員の電車の座席に座っており、こちらをチラリとも見てくれなかったのです。
無情にも目の前でドアが閉まり娘と共に電車は出発してしまい、私と下の娘がそれを見送っていたんです。
でも私はちっとも心配していなくて、下の娘に私は話していました。
「あの子なら向こうで待っててくれるよ」と。
向こうって何処だったんでしょう。

そして先日、いわゆる臨死体験的な夢を見ました。
普段は絶対行く事の出来ない場所に行けると言う話を聞き、私はぜひともいってみたいと参加します。すこし遅れ気味にその列の最後につき、先には知り合いが居るから安心だと心で感じており、二重三重も重なりあった重い扉が開かれ私は建物の裏から外に出ました。
草も木もない殺伐とした風景の中をひたすら歩き、斜面に差し掛かった時、右も左もわからないほどの暗闇になったんです。
しかしすかさず誰かが私の左右に居て腕を取ってくれて蛇行する山道を歩み始めたんです。
足は何故か素足。
私は全く見えないあたりでも支えてくれる人が居ることで安心しており、闇の中で見える夜光虫のような青白い光が美しいと感じていました。
そのうちあたりがフッと明るくなったのですが、周囲はまるで鍾乳洞の洞窟のような景色で、赤っぽい光に照らされていました。
私を導いてくれている人は誰なのかと確認した時、何故かラマ僧(苦笑)左右に居る人はラマ僧のような衣装を着たお坊様だったんですよ。
その時目が覚めたんです。
っていうか、起こされたようです。
お昼間の事でいつ自分が眠ったのかわからない状態でした。
そして起こしたのは我が家の黒猫。
私の体の上に乗って息苦しくなって起きました。
この猫は死んだ娘が家に連れてきた猫なんですよ。

もしかして生前「猫になりたい」と言っていた娘が猫になって私を連れ戻したのかもしれません。
あのまま先へ行ったら、ひょっとしてひょっとしたら・・・って事になっていたかもです(苦笑)

そんなことで、死ねばどこかに行くらしいと知っていても、そこが何処なのか解りません。
死ねば「無」になると言う話ですが、それはなんだか違う気もするんですよね。
全くの「無」にはなっていない気がします。
それとも数々の現象は私が勝手に引き起こした事なんでしょうかね~。

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【2009/07/31 13:56 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
その後のBASARA系女子高校生
以前、こんな記事(クリック)を書きましたが、これの後日談がありました。

全国的に定期テストの最中での事。
偶然また例の女子高生に出くわした知り合いが聞いた会話

「なぁなぁ、本能寺の変で死んだ人って誰って書いた?」
あの「伊達が天下を」と言い切った彼女が別の女子高校生に質問
「織田信長と明智光秀」
!!
「織田だけとちゃうん?」
おお、彼女は改心して勉強したんだ~。
「ちゃうって、織田と明智やって!」
と新たな説が!
「二人で死んだんや」
まて!心中とでも言いたいのか!?
斬新だ、斬新すぎる。
脳内でどのようになっているんだろう。
伊達が本能寺に攻めてきて織田と明智が仲良く自害?

ちなみに知っているでしょうけど、本能寺の変、ミニ解説。
織田信長の家臣であった明智光秀は織田信長への不信感より京都・本能寺に居る織田信長に夜討ちをかけました。本能寺は炎上、織田信長はこれまでと覚悟を決め寺内で自決したと伝わっております。その後、同じく家臣だった豊臣秀吉によって追い詰められ、明智光秀は京都・山崎にて農民の手により討たれてしまい、それによって秀吉が天下を統一しました。

って事ですが、確かに織田と明智はわずかな期間を開けてですが同時期に死んでおります。微妙に間違っていないけど、本能寺で自決したのは織田信長です(笑)

そこで以前「天下統一したのは豊臣秀吉でショ?」とナイスフォローを入れた彼女が遠慮がちに登場し、
「あの、ちなみに聞きたいんやけど、そのあとで天下統一したのは誰やと思う?」と織田・明智心中事件を掲げた彼女に質問すると
「そりゃ、上杉謙信やん!」
なんですって!?
謙信って・・・この時すでに、死んでますやん。
するとすかさず
「ちゃうって!伊達政宗やて!」
そこから上杉だ、伊達だと車内で大議論に発展。
そうか、彼女の中では上杉謙信が本能寺に攻めてきたんだな。

きっと今頃解答用紙を手に、学校の先生は「おれの教え方が悪かったに違いない」と落ち込んでいるに違いありません。
先生、いっそBASARAキャラのフリップを造ってそれで授業した方が脳みそに入りそうですよ?


【2009/07/28 22:58 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
夏の掃除
死にます。やらなければ汚いし、やるとこの時期湿度の為に胃腸にダメージが…(T_T)
夏毛を落としまくる、こいつらは綺麗になると、ウキウキでくつろぎに来ます。
ああ…猫になりたい(ToT)



【2009/07/27 18:39 】 | | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
天神祭本宮

青空が見えて晴れているかと思えば、いきなりスコールのような大粒の雨が降る。大阪はいつから熱帯雨林になったんでしょうね~。
大阪人の表現で言うと、
「カーッって晴れとるかと思ってたら、いきなりグァーと雨が降るねん。狐の嫁入りや!」と、なるわけです(苦笑)


ten7.jpg
大阪に長く住んでいながら、日本三大祭りと言われる「天神祭」には指を1-2本立てるくらいしか行った事が無い私です(苦笑)
今年はスタンプラリーと言う使命を帯びておりますので(笑)雨であろうが行ってまいりました。
本当に普通なら絶対に面倒だと言って出かけない気がします(苦笑)
しっかり雨には降られましたけど・・・。
(写真は大阪囃子に乗って踊る獅子の奉納舞)
娘に「雷帝さんだから仕方が無いよ。むしろ普通じゃない?」とか言われましたが(笑)
確かに天神さんは「雷帝さん」雷の神様でもありますが、それは京都の天満宮ではないかとひそかに思ったり。
大阪の天満宮と言うのは菅原道真を祭ってはおりますが、本来大将軍神社だったんですよね。妙見さんと同じく北極星が御神祭。
道真が大宰府に向かう船待ちの間、ここに立ち寄ってお参りしたそうで、その半世紀後、(ここがね意味不明ですよね(苦笑))神社の前に7本の松が生え、夜な夜な梢が光り輝いたそうです。で、時の天皇・村上天皇がこれは道真公に縁の奇瑞として創祀したのが始まりなんですって。
本当に、道真とほとんど関係ないやんって感じですがね(苦笑)
ま、なんだって良かったんでしょう。天満宮を創りたかったって話なんではないでしょうか。

京都だけでは祟りが治まっていないのではないかと不安にでも思ったのでしょうか、ま、定かではありませんが・・・。

その後、ここは連歌の神様として栄えました。それが室町時代。平安末期に藤原敦基と敦光の兄弟がここを訪れ漢詩を読んだのだそうで、そういう関係だったからでしょうか。(天満宮最古の文献として保存されている)

戦国時代に入り、天満宮は戦火を避けるため今の吹田に一時移転していたそうです。(大坂の陣)そして江戸に入りここへ戻ったのだそうでそこから本当の意味での天満宮としての栄華を刻んでいったようです。

ten4.jpg「天神祭」の始まりは古く、場所柄「禊」を意味する神事として鉾流しがあり、そこから始まっているようでこれが951年の事。鎮座された二年後です。神鉾を流して占いをするという意味もあったようで(陰陽道でしょうかね)神様のお出ましを奉祝する為に始まったのが今の「天神祭」。
(写真は狐のだんじり)


ten8.jpg

吹田に一旦避難してこの地に戻った元禄時代、それを祝って「天神祭」ピークに達した事は以前にも書きましたが、その頃に造られた今回の目的・お迎え人形・最後の3体をここに観に行きました。







ten3.jpgten5.jpgten6.jpg










左からスサノウ・源為朝・佐々木高綱(実は真田幸村)
これで14体全部見れました。いや~、良いもの見せてもらいました。
後は8月下旬に天神さんに行ってうちわを貰って終わりですが(笑)
赤の衣装が多いのは夏越えの意味で疱瘡よけ、つまり疫病退散の意味が込められていたようです。京都の祇園祭も疫病退散のお祭りですからね、やはりこの時期に亡くなる方が多いと言う事ですよね。特に子供の成長を妨げていたようで子孫繁栄の意味もあったのでしょう。

この「天神祭」実はその後(元禄以降)途絶えておりました。常設のお旅所が出来た為に鉾を流す必要が無くなったためなんですって。元々は禊に占いなんですから続ければよかったのにね~、やはり寄付金が第一の祭りですので、お旅所からの奉仕が無くなると途絶えるのでしょうね。
復活をしたのは実は昭和に入ってからです。
ten10.jpg


昭和5年、天神祭は今の形に復活しました。
(写真は船に乗り込む前の御神体)







ten1.jpg奉納船と言うのは二隻しかありません。50隻の船が船渡行で出ますが、後の48隻は全て企業船。一般の人が気安く乗れる船(と言っても2万はかかりますが(汗))ではなく、結構セレブな方でしかその企業船には乗れません。たとえば近鉄が出している船には有名芸能人も乗り込んで鳴り物入りで賑やかに渡行していましたが、ここに乗れる一般の方は外商で年間100万以上のお買い物をされる方に限るとか(汗)後は企業に関係のある方々の招待制で、一乗りいくらかは知りません。あ、大学が持っている船もありましたね。これは大学OB船って感じでしたが。

ten9.jpg私たちが乗ったのはこの「榊講」と言う船。天満宮に榊を奉納しているお花屋さん協会の船ですね。これも何処で申し込むのかは知りませんが、今回は「人が少ないから人数を集めて」と知り合いに言われての参戦(苦笑)やはり「乗った事が無いので一度は乗りたい」とおっしゃる方は割合いまして、何処で申し込むのか知らないと言うのが乗れない理由だったとのこと。二万でお弁当がついてお酒やお茶がほぼ飲み放題状態でしたが、パイプいすが4つずつ取り付けられている桟敷船ですね。窮屈ですがセレブ船には乗れないので(苦笑)これでも3時間半の船旅と花火をまじかで見れて、天神祭の醍醐味を味わえるのならなかなかのものです。
行き交う企業船や天神さんから出ているどんどこ船などにすれ違うたびにお「大阪締め」をします。もう最後の方では声もかれて殆ど投げやりですが(笑)

大阪締めとは、3・3・7拍子とは違いましてね、

「打~ちましょ(パンパン) も一つせ(パンパン) いおう(祝う)て三度(パパンパ) おめでとうございますぅ~(パチパチパチ)」

と言うもの。お祭りでは欠かせません。

ten2.jpgそして醍醐味はこれでしょう(笑)傍で見る打ち上げ花火の音と煙は迫力ものです。大阪の大都会の真ん中でこれほどの数の打ち上げ花火を見れるのはここだけ。企業もあげますので実質何発の花火が挙げられているのか知りません。
傍で見る打ち上げ花火が非常に3D感を味わえるものなのだと初めて知りましたよ(苦笑)花火大会に行った事が無いもので、知りませんでした。しかし花火大会に行ったとしても上から降ってくるのではないかと思えるほどここまで傍には行けないでしょうね。上からの火薬玉の灰が降って来て服がざらついたほどです(笑)

終わった後の皆さんの感想は「次は住吉さんや」でした。
元気いっぱいです(苦笑)







 

【2009/07/26 09:50 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
日食なんですが
日食でしたね~。
四天王寺におりました。いきなり隣にある四天王寺女子高校から歓声があがり、何事??と空を見上げて「そう言えば、日食だった・・・」と(苦笑)
今にも雨でも降るのかと思う程の暗さは日食だった所為と判明(笑)
その後すぐに北浜に移動したので本当の日食は建物の中だったと言うお粗末な結果となりました(苦笑)

なぜ「北浜」に行ったかと言うとそれはこれ ↓



yasuna1.jpg
yasuna2.jpg













安部保名ですね。大阪の老舗料亭「花外楼」(クリック)に展示されているものです。

頑張ってスタンプラリーを実行中です(苦笑)
もう日もないので、平日に出かけられない娘に変わって行ってきました。
いやはや、敷居が高くて、入るまでウロウロして不審者になってしまいましたよ(苦笑)
老舗料亭って、扉が自動扉でない格子戸だからものすごく入るのに勇気がいりましたよ。あたふたしていたら中から下足番のおじさんがガラリと扉を開け「いらっしゃいませ。花外楼です」とか言うんですもの、心臓に悪いですよ(苦笑)
「あ、あの、お人形を拝見させていただきたいのですが」と(笑)
入ってしまえば人形の凄さに圧倒させられて後は店の方とベラベラと(苦笑)

この保名さん、逸話があるんですよ。
その昔、このお人形に恋い焦がれた娘さんが居たのだそうで、恋煩いか、病気になって食欲も落ちやせ衰えて行ったそうです。そこでこのお人形を彼女の横に飾ると元の元気な娘さんに戻ったという話です。
いやはや、今も昔も変わりませんね(笑)
似たような話は今でも聞きますもの、ただ、今はもっと積極的な気はしますけどね。

それにしても保名さん、妖艶な微笑みをたたえて、今でも惑わしているそうですよ~(笑)
【2009/07/22 17:37 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
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