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【2025/06/15 11:11 】 |
大阪の夏
tenzin1.jpg

大阪の夏と言えば有名なのは「天神祭」ですよね。
今年は雨にたたられる事が多い夏祭りですが、天神さんだけは雨だったという話はあまり聞いた事が無いですね。
さて、今年はどうなんでしょう。




tenzin4.jpg菅原道真の怒りを抑えるために神とした天満宮。
言いがかりで左遷され亡くなり、その後すぐに京都御所に落雷があり、道真の祟りと恐れた朝廷が天満宮で道真の霊を弔ったとされる神社ですが、その天神様のお祭りが「天神祭」
いわば悪霊を封じ込めるつもりで始めたんだろうけど、大阪人はそんな事はどうでもいい、とにかくお祭り好きな国民性ですので、商売繁盛に結び付け大阪の大店がこぞって奉納金の額を吊り上げ、一大プロジェクトとして大阪中を巻き込んでの大騒ぎとなったとしか思えない祭りです(笑)

tenzin2.jpgお金持ちの大店が中心となり、金襴仕立ての渡御列乗船を造り川を埋めるがごとく横行し、笛太鼓の「どんどこ船」や神をお迎えする「お迎え船」なども加わりそれはそれは江戸期からますます賑やかになったお祭りです。

(写真は「大阪くらしの今昔館」所有の当時の船だんじり【天神丸】折りたたみ式の屋形が大阪らしい)



船の数は減りましたが、今も大阪天神祭ではこの騒ぎは続いております(笑)

tenzin3.jpg江戸時代、お迎え船にはお迎え人形なるものが乗船しており、体長2mと言う巨大な人形を乗せておりました。大川下流にあるお旅所周辺の町々が、船渡御を奉迎するために御迎船を仕立て、その船の上に豪華絢爛なこの人形を飾ったのでした。
人形の題材は大阪町人に人気があった文楽や歌舞伎から取り入れ最盛期には50体以上もあったようです。


(ピンボケですが(汗)写真は「雀躍」と言う人形)

今現在残っているのは18体だけ。そのうちの14体は指定文化財になっており滅多にはお目にかかれません。
毎年「天神祭」にはこのうち数体ずつしか展示されておらず、全部を見た方はそんなにいらっしゃらないかもしれません。
しかし今年はスタンプラリーと称し、その14体全部を場所を変えてみる事が出来ます。
全て見る事が出来るのはこの25日まで。

詳しくはこちら→クリック

そこで今日、頑張って4か所回ってきました(苦笑)
いや~、凄いお人形です。迫力ありますよ。衣装はもう凄く上等で歌舞伎の衣装のごとく細部にまで細かく造られており、今では到底同じものは出来ないのではないかと思う程の豪華です。
それにしてもまる焼けになってしまった大阪で、よくぞ残っていたなと感心しました。

大阪歴史博物館でなら、4体だけ8月31日まで見る事が出来ます。
ここでのお勧めは「関羽」ですね~。如何にも「関羽!」って姿で立っています(笑)

人形の説明は続きでどうぞ。

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【2009/07/19 20:37 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
生國魂(いくたま)神社お祭り
029.JPG7月11日・12日は生國魂神社の夏祭りでした。
氏子さんが多いのか大店がドンと控えているのか、ここのお祭りはそこそこ大きいお祭りです。
天神祭が「船渡御行」と言われるのに対してここは「陸渡御行」と呼ばれ昔はもっと盛大だったらしいですね。いまも車を止めて谷町筋を練り歩いていますが(笑)
大阪で最初にあった愛染祭りは雨にたたられて散々だったのでここのお祭りは露天商にとってもかき入れ時だったでしょう。
雨だと言われつつも両日晴れましたからね。
「大阪三大夏祭り」と言われているのがありまして、生國魂夏祭・天神祭・住吉祭の3つとして数えられています。
愛染祭りは?と思われるでしょうが、この生國魂夏祭に変わって愛染祭りが数えられる場合もあり、其の場合「なにわの三大夏祭り」と呼ばれるのだそうです。
実は愛染さんは神社じゃないんですよ。珍しいですよね。ここ、四天王寺の塔頭なんです。
愛染さんは染物関係の商家に庇護され反映してきたお寺でして、まぁ、語呂合わせでしょうけど(苦笑)本来は愛染明王様をお祭りしているお寺ですので、どちらかと言えば恋愛関係全般の方が近いですね。ですので最近は良縁の仏様として信仰されているようです。

015.JPG生國魂神社は本来石山本願寺の隣にあったという話です。
石山本願寺と言えば、織田信長が10年もかけてやっと落とした戦う浄土真宗寺(苦笑)。何処にあったか定かではないのだそうですが、今のところ、大阪城内にあったという話ですので、そこにあったと言う事でしょうね。秀吉が大阪城築城にあたり、現在の場所に移したと言う話ですし、場内にあったと言う話もあるかな?
しかしながら当然そのころ、社殿は燃えてます(汗)
そりゃそうですよね、信長に総攻撃されていた本願寺が隣だったんですもの。
この時秀吉が社殿を寄贈しているので造りが桃山風になっていて「生國魂造り」と呼ばれる建て方だったそうです。
その後、大阪夏の陣で再び燃えてしまい、徳川の世になっての最初の城主、徳川秀忠が再建。そして大阪大空襲で焼失され、その後すぐに立て直したのだそうですがジェーン台風の為に倒壊(汗)
21.jpgここも四天王寺と同じような運命を重ね、結局「もう、燃えないで」と昭和31年にコンクリートになって現在に至ります。もちろん、様式は「生國魂造り」。

大阪では一番古い神社だそうで、「難波大社」とも呼ばれているそうです。住吉大社もたいがい古いですが、どっちが古いのかしらね。ここが一番古いと社伝にあるのでそうだろうと(調べる気がただいまありません(笑)、いやはや、こう暑いと気力が・・・)


生國魂神社と言えば芸能関係の方々に古くから信仰されております。
16.jpgまずはこの方、井原西鶴。ご存知でしょうか?
いわゆる艶本の創始者と言うかなんというか(苦笑)「好色一代男」なんかが有名ですね。文学的に書けば「浮世草子」と言うジャンルを確立した方です。しかし草子作家として名前が売れた西鶴さんでしたが、最初は俳人だったと言う事はご存知でしたか?

西鶴さんの銅像がなぜここにあるかと言うと、この生國魂神社で当時はやっていた連続で多くの句を作る「矢数俳諧(大矢数)」をやりまして、一昼夜に2万3500句を詠む多数吟の最高記録を打ち立てたそうです。「オランダ西鶴」と異名があるくらい、自由奔放は俳句を作っていたそうです。だからこそ、格式にはまらない「浮世草子」なるものを作ったんでしょうね。

その他の摂社としてかまどの神様・鞴(ふいご)神社、近松門左衛門がご祭神と言う文楽の神様・浄瑠璃神社、大阪城築城に際して拝まれた、全国唯一の家造りの神様・家造(やづくり)祖神社、大阪城の守護を担当すると言う・城北向八幡宮、お城がここから北にあるからですって。そして淀君(秀吉の側室・茶々の事・豊臣秀頼の母)が信仰していたという鴫野神社。今ではこの鴫野神社のご祭神に淀君も名を連ねています。

17.jpgそして平成2年からは米沢彦八(上方落語の創始者と呼ばれている)の碑が建てられ毎年9月1日には「彦八まつり」として上方の落語家さんが集まります。他にもあるのですがとりあえず有名どころはこんな処。



今度、この近くに大阪歌舞伎座が造られますのでさらなる発展が見込まれます(笑)

【2009/07/13 18:03 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
素材
ちょこっとだけアップしました。
まったく・・・、さぼるから季節はずれな画像ばかりですが(苦笑)
【2009/07/12 13:05 】 | お知らせ | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
大阪も秋○原を意識?
大阪・日本橋のキャラクターに「音々(ねおん)ちゃん」と言うのがあるらしい。
いや、知りませんでした。
そこで検索

クリック

ここでのグッズにノートパソコンと白いTシャツ。
完売してますね~。

なぜこんなことを書いたかと言うと、実はこれ、抽選で当たる事になってます。
大阪市が開催している「まいどおおきに!OSAKA」と言う事業

クリック

市場でこのカードを貰って、応募券で何があたるのかと調べていたら
「いたパソがあるよ」とか娘が指摘。
「いたパソ?」
なんだそれと見てみると、ありました。
完売していたはずの音々ちゃんノートパソコン。
そして白いTシャツ。

クリック

ここの「Jコース」と「Iコース」

ノートパソコン99980円
Tシャツ3990円

が、タダで貰えます。
ただし、3名様と10名様までですが。

私はチョイスしませんが、だって、無双ゲームの為に「Wii」が欲しい!(ゲームヲタ発言)
【2009/07/09 21:30 】 | ヲタ | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
大阪囃子
natu.jpg「おたやんこけても 鼻うたん♪」
よく昔、父親にはやし立てられました(笑)
この写真はその昔のわたし(笑)
ええ、ええ、こけても鼻ではなく「おでこ」ばっかり打ってました(苦笑)

この歌、「大阪祭りの馬鹿囃子」と申します。
大阪のお囃子と言えば、天神祭で流れる「だんじり(地車)囃子」が有名でそれだろうと思われがちですが、大阪庶民はそっちではなく、こっちの方が身近でした。
ルーツは伊勢太神楽だそうで、以前玉造稲荷に来ていただいた伊勢太神楽でも演奏していただきました。いやはや、懐かしい(笑)
今でも歌われているのでしょうかね~。

いろいろ探してみたんです。
見つけました(笑)
この画像の4:30~4:43の間に入っている曲がそうです。
面倒ならここまで飛ばしてお聞きください。




この曲に様々な歌詞を勝手につけてお祭りで歌われていたんですよ。

生國魂神社では上記の
「大阪名物夏祭り 生玉獅子講は良い景気 おたやん(お多福)こけても鼻うたん」と歌われ、
玉造稲荷では
「大阪名物夏祭り お稲荷様のお祭りで お獅子に合わせて皆踊ろ」と歌われていました。

産経新聞で森田玲さんが
現在でも関東では祭囃子を「馬鹿囃子」と総称しているらしいが、伊勢神楽からこの馬鹿囃子が来ているのに、全く曲が違うのだから、そう呼ぶのはやめてほしいと書いていらっしゃいましたっけ。

ちなみに関東の馬鹿囃子はこれかな?



【2009/07/08 10:45 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
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