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そう言えば・・・。 以前、「県民ショー」で横浜市民はみんな横浜市歌が歌えるという話を見ていて、なんだか羨ましいと思ったんでしょね。 「参考資料→クリック」 出だしを口ずさむと決まってその次を斉唱してくれる。 横浜市歌で、はまっこが大盛り上がりする風景。 横浜市民としてこれが歌えるのが誇りなんだといわんがばかりのテンション。 良いですね、こういうの。 しかも作詞が森鴎外! 残念ながら大阪市歌を歌える大阪市民は0に等しいと思われます。 もちろん、私も歌えません。 日本人に愛国精神はないのかと良く他のアジア圏からツッコマれますが、最近、日本人にとって「国」とは自分が生まれ育った土地、つまり「都道府県」であって、「日本」なのは当たり前だけど、その「都道府県」に対する「愛国心」はそれ相当のものがあるのではないかと思うのですよ。 娘が「国歌斉唱のボイコット運動がいまだにあるでしょ? いっそ、国歌斉唱ではなく、市歌斉唱の方が大阪市民としての誇りが生まれて結束を固めるには良いのではないか?」とか言っていました。 なるほどね。 国歌斉唱が軍事国家を連想させられて気分的によろしくないと、思われる青少年も少なくないですね。特にハイレベルな学校になればなるほど、それが顕著に表れる気がします。 戦時中、民衆を一つにするための軍事教育に使われた様々なアイテムは、そのもの本来の意味などそのせいで消えてしまい、軍国主義を連想させられてしまうわけです。 誠に残念です。 以前書いた「大和魂」もしかり。 この言葉を聞くと、「勇ましく不屈の精神で敵に立ち向かう日本人」という意味にとらわれがちですが、本来はそうではありません。 字を分解していただければより理解できると思われますが「大きな和の魂」 「和」の精神が大きいという意味です。 「和」とは、相手を思いやることで相手もこちらを思いやる。 争いごとの無い精神を意味します。 本当に180度違った意味を植え付けられてしまったわけですね。 そこで平和的に、なおかつ市民として誇りを持って、大阪を盛り上げるアイテムとして「市歌斉唱」、あってもいいと思うんですよね。 だけど、ここで一つ気になる事が(苦笑) 横浜市歌はマーチ的で、口ずさむにはもってこいというか、元気が出る感じを受けましたが、大阪市歌の曲「参考資料→クリック」、なんだか覚えにくいです(苦笑) 高らかに歌い上げる系なんでしょうか。 ちょっと、ノリが悪いですね(苦笑) もっと軽快な曲だったら、歌っても覚えやすいのになぁと思いましたね。 で、他の市では如何な現状なんでしょうかねぇ。 |
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