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【2025/08/28 22:03 】 |
無題
以前、この記事(→●)で書いたけど、どうして阿修羅がインドラに負けたのかおわかりでしょうか?
彼の行為は「善」だったのに。

「善」ってなんでしょう。
ただしい事を行っているから全てが正しいとは限らないのです。
相手の気持ちを考えなければそれは「悪」と同じ事になります。

善を振りかざし、強引に迫り、相手の落ち度を許さず、怒鳴るだけ怒鳴っている。

もう、しんどいです。

こんな事もありかなりの「鬱」状態が続いていました。
まだなんにも解決していませんが、出来るだけ近づかないようにと心がけています。
が、なにかにつれ連絡をしてくる相手に電話恐怖症に近い状態は続いています。
いっそ電話を切りたい。
今、電話に出ないようにしています。

「私に連絡のある時は携帯にお願いします」と。

近況報告をしますと、義母の満中陰が終わり、家が静かです。
逆にこの静けさが良くないのだと出来るだけ出歩いていると、中元の荷物が滞っています(苦笑)
面倒な事です。

レスポンスはもう少しお待ち下さい。

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【2008/07/11 10:23 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
脱力と幸福と寂寥感
智に働けば角が立つ
情に棹せば流される
意地を通せば窮屈だ
兎角にこの世は住みにくい


夏目漱石の「草枕」の冒頭ですが、人は一生を掛けてこれを読み解き、最後に「己を許せる」許容量というのを養っていくものです。

娘は最期の4年で全てをジェットコースターのように知り、理解し、後悔し、なんとか分かろうと努力し、最期は「若さ」というキャパの狭さに負けてしまい壮絶な死に方をしてしまったわけです。

人は人によって傷つき、堕ちて行くのですが、でも、心を癒すのに動物でも旅行でも、穏やかな風景でも本の中の文章でも無い事を気づけなかった。
人は人によって翻弄されてしまうものですが、人でしか本当に心は癒されないものです。

今から思えばどうしてあの子に必要以上に関わり、時間を割き、いつもどうしてこんなにも不安な想いを募らせていたのか・・・。
どうしようもない「運命」という歯車に乗ってしまった所為だったのかも知れません。
意識など全くなかったのですが「時間がない」と必死で時間と戦っていたようにも思います。
西国巡りもゆっくりと行けばいいのに何故か寸暇を惜しんで参りきったのは、この所為だったのでしょうか・・・。
その証でもある集めた散華を1枚の色紙にまとめて仕上がったって来たのは彼女の死後でした。

百箇日を終えました。
そしてその時納骨も済ませました。

この日が来るまで精神的に不安定で少しの事で泣きだしていたのですが、直前になり漠然と「悲しむ事はないのだ」と思ったのです。
彼女はこれで自由になれるのだと。
魂と言うのは留まる事のないもので、墓に入るという事は「単に遺骨の置き場所に置いただけ」でそこが彼女の家になったわけではないのだと気付いたのです。
家からの呪縛から解き放たれ「自由」に好きなところに行けるのだと分かったんです。
そんな風に思うとスッと心が軽くなり、彼女の遺影に「良かったね。幸せになってね」と呟きました。

かねてより約束していた娘の彼氏が東京から来てくれました。
まだ辛そうでなんと言えばいいのか分からず、私は今まで思っていた様々な事をゆっくりと話して聞かせていました。彼は娘に贈った指輪をはめたままでその指輪に触れながら静かに泣いていました。
東京へ戻る直前にメールを貰い、「家族の一員のように扱って貰えた事に感謝している」と書き、最後に「彼女を幸せにしてあげられなかった事を許して下さい」と書いていました。
それが悲しくて申し訳なくて・・・。
だから
「最期に娘があなたという人を選んだ事を誇りに思っているのですから謝らないで下さい」とメールしました。
そしたら
「自分も○○○を好きになった事を誇りに思います。彼女の事を未だにグズグズと引きずっていますが、この想いはマイナスではなく自分にとってはプラスになっていて、きっとあいつが悔しいと思うくらいいい男になって見せます」と書いてきてくれました。
ベタだなぁ~と思ったんですが私、嬉しくて泣いていました。

娘が生きていた事は無駄では無かったのだと心が癒されました。
あの子が残していった様々な言葉や経験。
今では大事な遺産なのだと感じています。

いない事に慣れても死んだ事にはまだまだ慣れないのですけどね・・・・。
【2008/06/30 17:23 】 | 偲ぶ | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
梅雨ですよね・・・。

新仏さんの49日の間、線香と燈明は絶やしてはいけないという宗教的な風習があるのですが、サスガに燈明は電気に変わっていますが線香はそうはいかない。
そこで「巻線香」と言うのがありまして、一度火をつけると12時間はもつというもの。
21e2f97cjpegこれがそうなのですが、梅雨なんですよ・・・。
梅雨の間に49日を経験したのは初めてなので驚いたのですが、湿気を含んでこの巻具合が伸び、下についてしまって線香が消えてしまうのですよ(汗)
普段は人のいない部屋(仏間)ですので、エアコンは消しているのですが雨が降って窓さえも開けられない状況ではサスガにダメだったようで、ビロ~ンと伸びてふっつりと線香が消えてしまいました。
これはいくらなんでもお義母に申し訳ないと雨で窓を開ける事が出来ない日は勿体ないと思っていてもドライをかける事にしました。
すると、いつものように機嫌良くグルグルと線香がともっていましたね~・・・。
恐るべき湿気。
和建築だったらこんな事にはならないのかしらね~。密閉度があるというのも考え物って事でしょうか。

【2008/06/23 08:51 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
びっくりしないでくださいませ。
面白いブログパーツがありました。
この武将をいじり倒してみて下さい(笑)
 
「閉じる」で元の画面になるので慌てないで下さいね~。
【2008/06/20 17:15 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
若草山

wakakusa1.jpg奈良・若草山に15日の日、行ってきました。
生まれて初めての若草山です(笑)いやはや、若草山って思っていた以上に高い山だったんですね~(汗)気軽に行ける・・・・、いや、行けるのですけどね、軽い登山ですね(苦笑)
若草山って春と秋にしか開山していないのですね。まぁ、分かりますけど・・・。夏の暑さや冬の寒さにあそこはキツイ・・・。なにせ草原ですから。
で、この15日が春の開山最終日だったんですよ。
結構過ごしやすい日だったのですが、登っている間にダ~ラダラとガマの油のような汗が・・・。
wakakusa2.jpg最初の登山を終えると上図のような景色が広がるのですが、更に上があり右図のような上り坂が。
草原ですね~。この草原を作る為に早春、若草山は山焼きをします。これが奈良の風物詩になっていますね。山焼きの発端は1760年に東大寺と興福寺による領地争いだったらしいですよ。
しかし、これでは終わりません(笑)



wakakusa3.jpg更に上があったりします(笑)
この三重目頂上は実は前方後円式古墳になっており、「鶯塚古墳」になっております。古墳の上を登れるのですよね~。ビックリです。関西の古墳は殆どが宮内庁の管轄だったと思うので入る事は許されないのでは無かったでしょうか。ここに来るのに車でも来れるのかな?脇から来る方もお見かけしたような・・・・。う~ん、勘違いかも知れません。よく分かっていません。しかし、山頂に古墳があると言う事はやはり死者の魂は山へ帰るという昔の信仰があったからかも知れませんね。(→)この古墳は仁徳天皇の后・磐之姫命の墓所であると言い伝えられています。
また、上記のように山が三段層になっている為、三笠山とも呼ばれているそうです。しかし、1935年この山名に因んで三笠宮が創設される際に同じ名前では恐れ多いとして山焼きに因んで若草山に改称したそうです。余談ですが、関西では「どら焼き」の事をこの山に似ているからと言う理由から「三笠焼き」「三笠まんじゅう」と呼ばれています。

参考までに・・・。
若草山・・・標高342メートル
入山料・・・150円
開山日・・・毎年違うようですね(汗) とにかく秋と春(苦笑)目安として【春期】3月17日~6月17日【秋期】9月8日~11月25日頃。


【2008/06/20 12:47 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
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