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以前、この記事(→●)で書いたけど、どうして阿修羅がインドラに負けたのかおわかりでしょうか?
彼の行為は「善」だったのに。 「善」ってなんでしょう。 ただしい事を行っているから全てが正しいとは限らないのです。 相手の気持ちを考えなければそれは「悪」と同じ事になります。 善を振りかざし、強引に迫り、相手の落ち度を許さず、怒鳴るだけ怒鳴っている。 もう、しんどいです。 こんな事もありかなりの「鬱」状態が続いていました。 まだなんにも解決していませんが、出来るだけ近づかないようにと心がけています。 が、なにかにつれ連絡をしてくる相手に電話恐怖症に近い状態は続いています。 いっそ電話を切りたい。 今、電話に出ないようにしています。 「私に連絡のある時は携帯にお願いします」と。 近況報告をしますと、義母の満中陰が終わり、家が静かです。 逆にこの静けさが良くないのだと出来るだけ出歩いていると、中元の荷物が滞っています(苦笑) 面倒な事です。 レスポンスはもう少しお待ち下さい。 PR |
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智に働けば角が立つ
情に棹せば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角にこの世は住みにくい 夏目漱石の「草枕」の冒頭ですが、人は一生を掛けてこれを読み解き、最後に「己を許せる」許容量というのを養っていくものです。 娘は最期の4年で全てをジェットコースターのように知り、理解し、後悔し、なんとか分かろうと努力し、最期は「若さ」というキャパの狭さに負けてしまい壮絶な死に方をしてしまったわけです。 人は人によって傷つき、堕ちて行くのですが、でも、心を癒すのに動物でも旅行でも、穏やかな風景でも本の中の文章でも無い事を気づけなかった。 人は人によって翻弄されてしまうものですが、人でしか本当に心は癒されないものです。 今から思えばどうしてあの子に必要以上に関わり、時間を割き、いつもどうしてこんなにも不安な想いを募らせていたのか・・・。 どうしようもない「運命」という歯車に乗ってしまった所為だったのかも知れません。 意識など全くなかったのですが「時間がない」と必死で時間と戦っていたようにも思います。 西国巡りもゆっくりと行けばいいのに何故か寸暇を惜しんで参りきったのは、この所為だったのでしょうか・・・。 その証でもある集めた散華を1枚の色紙にまとめて仕上がったって来たのは彼女の死後でした。 百箇日を終えました。 そしてその時納骨も済ませました。 この日が来るまで精神的に不安定で少しの事で泣きだしていたのですが、直前になり漠然と「悲しむ事はないのだ」と思ったのです。 彼女はこれで自由になれるのだと。 魂と言うのは留まる事のないもので、墓に入るという事は「単に遺骨の置き場所に置いただけ」でそこが彼女の家になったわけではないのだと気付いたのです。 家からの呪縛から解き放たれ「自由」に好きなところに行けるのだと分かったんです。 そんな風に思うとスッと心が軽くなり、彼女の遺影に「良かったね。幸せになってね」と呟きました。 かねてより約束していた娘の彼氏が東京から来てくれました。 まだ辛そうでなんと言えばいいのか分からず、私は今まで思っていた様々な事をゆっくりと話して聞かせていました。彼は娘に贈った指輪をはめたままでその指輪に触れながら静かに泣いていました。 東京へ戻る直前にメールを貰い、「家族の一員のように扱って貰えた事に感謝している」と書き、最後に「彼女を幸せにしてあげられなかった事を許して下さい」と書いていました。 それが悲しくて申し訳なくて・・・。 だから 「最期に娘があなたという人を選んだ事を誇りに思っているのですから謝らないで下さい」とメールしました。 そしたら 「自分も○○○を好きになった事を誇りに思います。彼女の事を未だにグズグズと引きずっていますが、この想いはマイナスではなく自分にとってはプラスになっていて、きっとあいつが悔しいと思うくらいいい男になって見せます」と書いてきてくれました。 ベタだなぁ~と思ったんですが私、嬉しくて泣いていました。 娘が生きていた事は無駄では無かったのだと心が癒されました。 あの子が残していった様々な言葉や経験。 今では大事な遺産なのだと感じています。 いない事に慣れても死んだ事にはまだまだ慣れないのですけどね・・・・。 |
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面白いブログパーツがありました。
この武将をいじり倒してみて下さい(笑) 「閉じる」で元の画面になるので慌てないで下さいね~。 |
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