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【2025/09/13 17:05 】 |
一つ松
幾代か経ぬる
吹く風の
声の清きは
年深みかも

NHKの番組で詠まれたこの歌は、「万葉集」の中の一つで市原王(いちはらのおおきみ)が詠んだ歌なのだそうだ。

「一本松はどれだけの時を経てきたのだろうか
こずえを吹く風が清らかで澄みきっているのは
深く歳月を重ねてきたからだろうか」

と言う意味らしい。

744年に詠まれた歌なのだけど、なんだかデジャブを感じている。

私は近隣にちょこちょこ出かけるのだが、長い年月を経て今もそこに十分な存在感と共に息づく巨木に出会うと、いつもこの詩とまったく同じ感覚を持つ。

kise-sakura_n5.JPG又兵衛桜と言うのがある。
後藤又兵衛と言う戦国武将の屋敷跡だったと伝わる場所に生えている桜である。
戦国なのでざっと400年は経っているのだろう。
後藤又兵衛と言う人物は、大阪夏の陣で戦死している。
しかし、生存説が残っており、彼は大阪の陣以降、ここ、奈良県宇陀郡で老後を送ったとされ、その彼の屋敷にこの桜が植わっていたと言い伝えられている。
有名になる前は田んぼの中に悠然とこの桜が立っていたそうだ。
400年の長きに渡り、ここの農民を見下ろしていた桜だったのだろう。
きっと目印にされていたのだろうと推測がつく。
今では公園になり多くの観光客がここへ押し寄せ、桜の傍まで寄ることは出来ない。
しかしその見事なしだれ枝を石垣の上から垂らし、花冷えを感じさせる風が吹き抜け枝を揺らす様を見上げることはできる。
地元のカメラマンが撮った四季折々のこの桜の写真が展示されていた。
花の咲く季節は人であふれるが、そうではない時期のこの桜は神々しいまでの存在感を見せ付けていた。

kise-sakura_n14.JPG同じ宇陀郡にあるこの仏隆寺の桜は更に古く、「千年桜」といわれている。
見に行くというより「出会いに来た」、そんな風に感じた桜だった。
見事な巨木に白に近い花を咲かせる。
花びらが参道の階段を埋めつくしてもなお、木々にはあふれんばかりの花をつけていた。
根元に大きな椿の木が寄生している。
その椿も含め、巨大な幹は雨でぬれたのか黒味を帯びた色をしていた。そのせいかもしれないが、花の白さが更に際立ち、傍まで行くとその大きさに思わず手を合わせてしまった。
千年もこの桜はここで立っている。
想像を遥かに超える。千年とはいかなるほどの長さなのだろう。
今から1000年前と言えば平安時代。
「源氏物語」が書かれた時代に近いのかもしれない。
そう考えると驚くほどの年月が経っている事が知れる。

最初に書いた歌は今から1264年前のものである。
当時にも樹齢の深い木々がもちろんあったのだろう。
しかしその感覚は、今も変わってはいない。

圧倒的な自然の力の前では、人は小さなものでとうてい太刀打ちなど出来ないものなのだと感じる。
清らかな声と表現するのは、この神々しさから感じる音なのだろうと推測される。
そしてその頃の日本は平城京から平安京へと移る激動の時代であった。
そんな中で、自然の偉大さを感じていた作者は、流れていく時代をどう捉えていたのだろうか。



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【2008/01/25 22:29 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(5) | トラックバック()
再び、ザクプランター
もしゃあ~。
角みたいになってます(苦笑)
しかも、既に猫に食べられた痕跡があったりします(笑)



【2008/01/24 15:40 】 | ヲタ | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
昨日も葬式でした
父の兄で、父の兄弟姉妹のうちで最後の一人でした。
1年ほど前に事故にあい、ずっと闘病生活を余儀なくされていた人で、訃報は一昨日受けました。
雨の降る中義姉と共に奈良県の川西町まで行ってきました。
記憶の町は様変わりしており、親戚も「迷ってしまった」という人が続出。
古い付き合いの消えた田舎町は今ではベッドタウンと化し、ここで老いて行ったおじさんやおばさんにとっては、知らない町になって行っていたかも知れませんね。

訪れた家は私の記憶の中の家ではなくなっていました。
数十年という歳月は、否が応でも環境を変えていきます。

一回りも二回りも小さくなってしまったおばさんが涙を見せる姿は胸にこたえます。

己が年を取って行っていることを忘れがちなので、こうした事柄が時の流れを私に突きつけます。

子どもの頃、一番身近だった田舎は、既に遠い場所になっていたのだと思わされました。

そりゃそうですよね。
子どもたちが次世代を担う年齢になっているのですから(苦笑)

しっかりしなきゃ。
なんとなく、そんな風に思ってしまいましたよ。
【2008/01/24 15:22 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
老いて・・・
近所でお葬式があった。
「先に・・・、逝かれてしまいましたわ・・・・」
そう、寂しそうにその老人は呟いた。
子どもが居なく、老夫婦でゆっくりと暮らしていた夫婦。
奥様の体が弱く、絶えず入退院を繰り返していた夫婦。
駐車場を経営していて、20年前に車のお世話になっていた。
やさしいおじさんで、子どもを連れて車の出し入れをしにいくと必ず子どもたちにジュースやお菓子をくれた人。
おばさんはしゃきしゃきしていて口は悪いけど凄く面倒見の良い人で、
「ええ卵、手にはいってん」と言っては私に持ってきてくださったりした。
おばさんの介護度が進むと、おじさんはおばさんの介護に忙しくなり、駐車場経営はやめてしまわれた。
そのうち、おじさんのほうも体を壊し、おばさんをデイケアに預けるようになった。

昨年の暮れ
「入院しまして」とおっしゃっていた。

まさかこんなに早くに逝かれるとは思いもしなかっただけに、訃報は私を驚かせた。

「一人になってしまいました」
おじさんが言う。
「出来るだけ皆様にご迷惑をおかけしないように、暮らして生きたいと思います」
そんな風にご挨拶された。

無性に、悲しくなった。

女性が一人で残るのもつらいことだけど、男性が残されると本当に寂しいだろうと思ってしまう。
ましてや、杖を使わなくては歩けなくなっている体。
家を売られてマンション暮らしだそうだが、場所を教えてくれない。
「迷惑をかけたくないから」とか言う。
そうじゃないだろうと思う。
何かあったらどうするのだと思ってしまう。
余計なおせっかいなのかもしれないけど、やはり心配・・・。

老いて、一人は寂しい。
本当に、寂しいと思う。

震災でひとりになってしまわれた老人の姿をTVなどで見てしまうと、その寂しさはひしひしと伝わる。
「どうして、自分は生き残っているのだろう・・・」
それは震災が原因だけじゃなく、一人になってしまった老人はみんな・・・、
そんな風に思っているに違いない。
【2008/01/22 16:42 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(5) | トラックバック()
壊れた!
パソコンが壊れたらしいです(T_T)
明日、修繕に持って行かなきゃ(ToT)
【2008/01/20 19:37 】 | 携帯から | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
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