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【2025/08/26 23:17 】 |
写経の勧め?

sya2.jpg最初に写経を始めたのがここ、薬師寺です。なんというか、本当にナンギしました(苦笑)
初心者ですのでこの文字は取りかかりやすいのではあるのですが、清書用紙に苦労させられました。和紙なんです。福井の越前和紙を使っているようで、これがまた、墨の状態でとんでもなく苦労させられる紙。水が多すぎると滲むし、逆に少ないと掠れて続かない。初心者向けでは無いような気がしました(苦笑)
sya1.jpg文字はこの通り、手書きで出来るだけ楷書に近い文字が使われていて書きよいのですがね~・・・。
奉納された写経は納経堂で永久保存されます。復興に誰がかかわったか、後の世にも解るように保存するのだと言っておられました。


sya3.jpgその次ぎに始めたのが近いところでと四天王寺。
しっかしこれが薬師寺の文字の約3分の2(汗)しかも略字。略字など書いた事がなかったので、どのように略されているのかが解らない(苦笑)必死でした。でも、これが実は楽だと判明。慣れてくると1枚にかかる時間が実に早い。ただね、これ、いつから手本を変えていないのか・・・、わかります?日付がまだ「昭和」だったりします(苦笑)清書用紙には扇面の平安朝な絵が薄く印刷されています。
sya4.jpg手本のアップ。

調子こいた私は、「もう、出来るだけ多くのお寺で娘の供養を」と望むようになり(気持ちが滅入って藁をも縋る勢い)今度は東大寺に向かいました。
sya5.jpg東大寺も大仏様の体内に保存するというお話しだったのでやってみようと購入(清書用紙が写っていませんが・・・)ここで再び己の力量の無さを痛感(苦笑)
だいたい、書道もした事のない(小学校でやったきり)人間が調子コキ過ぎだろって思いましたね(苦笑)

sya6.jpg手本は榊莫山。おもいっきり略字です(汗)書き慣れている方はこの文字は楽だと思われますが、素人は信じられないほど変な汗をかきましたよ(苦笑)
この軽い感じでサラサラと書かれている文字が難しい!しかし、仕上がると本当にバランスの良い文字なのだと気付きますけど。

ところが・・・・。
sya.jpg以前紹介したこの長谷寺の「観音経」。
これが本当に「修行だ」と感じる程の代物でした。
巻物でも書いているのか?と思う程、写経としては長さを感じさせられました。書いても書いても終わらない~・・・。

sya7.jpgこの、印刷ででも書かれた様な書体。
これがこんなに難しいものとは思いませんでした。変な癖が出てしまって、こんな風にきっちりと書けない。(調べていませんが、これ、マジで人の手によるお手本なんでしょうか・・・)心の中で「字のうまいヘタは関係ない、書く事が大事なんだ」と唱えつつ書ききりました(苦笑)
この写経が終わった頃、薬師寺の写経が実は本当に書きやすいものなのだと実感しました(苦笑)
この頃になると墨の水具合もコツがわかり、「滲み」が無くなり、筆も楽に進める様になってましたよ。

先日、興福寺で「散華写経」なるものがあると聞き、観月祭の折、訪ねて参りました。
sya8.jpg「散華写経ね、ああ、あります、あります」
なんか不安・・・・。
「そこの棚に置いてませんか?」
見ると、ゴチャゴチャとお知らせ用のチラシが置いてある棚の下段に無造作に封筒が・・・・。
「これですか?」と渡すと、
「ああ、これです。この封筒はキチャナイですね、他のならまだマシかも知れません」とか言うんです。
「キチャナイ」って・・・、久々に聞いた表現ですよ(笑)
封筒はどうあれ(苦笑)中身は綺麗です。一応、興福寺復興事業用の写経用紙なのに、この扱いは・・・・。
sya9.jpgこの文字なんですが、興福寺の方曰く
「一休禅師の文字です」だそうです(汗)
一休さんですか・・・。
一休さんと言えばアニメや絵本で可愛いイメージですが、実際の彼は実に熱血の殉教者で、とにかく今で言えば「キレやすい」タイプだったそうです。細かい事に逐一クレームをつけるようなとんでもない「頑固おやじ」だったようで、彼が残している書の軸などを見ると、余白が殆ど無く、ビッチリと書き込んであるものも多く、ちょっと面倒なタイプだったようです(苦笑)この文字も綺麗だけどなんだか心が狭そうな・・・・、そんな感じの文字ですよね~・・・・。

ちなみにここで紹介している写経セットは全て復興事業用なので1枚の価格が納経供養代も含め、1000円から2000円します。
自分で書いた写経も納経は出来ます。お金も志納ですのでいくらでも、それこそ100円でもOKです。

今でも続けているのは薬師寺と四天王寺。
sya11.jpg
薬師寺では12巻(写経は1枚の事を1巻と数えるそうです)で1冊この様な納経帳を頂けます。まぁ、続ける励みみたいなものでしょうか・・・。


sya10.jpg

この色は、何種類あるのでしょうかね~。予想とすれば5色ではないかと(笑)


そんなこんなで、己の為に他ならない(苦笑)写経を今も続けています。

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【2008/09/18 21:34 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
この際、調べてみました。
浄土真宗で「般若心経」を唱えないという話を聞いて、マジですか?と思っていました。
確かにありません。

本来、親鸞は阿弥陀如来に帰依していれば何もしなくて良い(ちょっと大胆な書き方ですが・・・)と言う教えで(他力本願)自ら率先して功徳を得るという教えの「般若心経」とは異なる教えになる為に、自ずから唱えなくなったというのが定説なのだそうです。

「唱えてはダメだ」ではなく「唱える必要がない」というのが本当の所。

「呪」の文字があるからと言う説は、後日の解釈のようです。
(まじないなどを禁止しているからとありますが、それならば完全に日本人はアウトです。なにせ神道にも帰依していますからね~)

我が家は浄土宗です。
浄土宗では経文集に載っているのですよ。
法然と親鸞の教えの違いというか、多分、面倒な事を一切取っ払って、隅々まで仏教の教えが行き届くようにと、いわゆるスマートになった教えを親鸞は唱え、それがあたって一気に広まったのでしょうね。
今現在、日本で一番多い宗派は浄土真宗です。

それぞれ、基本となるお経があるのですが、般若心経はマルチという考えは当てはまってはいなかったんですね。
勉強になりました。

しかし、これもあやふやで・・・。
実は田舎の葬儀に行ったのですが、そこは浄土真宗で、納骨は葬儀の後に行われるのが一般だそうです。
もっとも、墓地がなければ置いておかねばなりませんが・・・。
「真宗では亡くなれば『神さん』にならはりますから、お骨そのものに想いはあらしまへん」と言われました。
「神さん」と言う表現は、限りなく日本人的な表現だなと思いつつ、聞いていましたけどね(笑)
で、その納骨の時のお経だったのですが、「般若心経」でした。
もっとも、共同墓地だからかもしれませんが・・・。
結局、臨機応変というか、真宗の方でも「般若心経」を覚えていらっしゃる方が多いというので読経されるのか・・・。

この曖昧さが、なんとも(笑)

そこで写経ですが。
聞いてみたんです。
「宗派が違うとダメですか?」と。
何処のお寺も「関係がありません」とのお答えでした。
「写経」と言う行いに意味があるので、宗派が違うとダメというのは無いようです。
「観音経」の写経を頂いた長谷寺は「真言宗」です。
「観音経」は「法華経」の中にある一文でして、これを基本経にしている宗派は無いようです。観音信仰と共に普及していったお経のようですね。

読みが違うとの事で、ここは長谷寺様に託します故に「真言宗」的読経が望ましいとの事でしょうか(笑)
もともと私は「真言宗」だったのですが、宗派にはそれぞれ「○○派」とまた細かく別れているようで、そこでも少し違ってくるようですね。
ちなみに長谷寺は真言宗豊山派と言うのだそうです。
実家は真言密教でした。高野山派っていうやつですね。本家が和歌山ですから(笑)
【2008/09/17 13:59 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(5) | トラックバック()
写経の作法
sya.jpgなんて、ものがあったわけです。
当たり前ですよね(苦笑)
今までただ単に書き続けていたわけですが、奈良・長谷寺から送ってもらった写経セットには「作法」なるものがついていました。
香を焚いて道具を揃える。
これは出来ますね。
懺悔文を唱える。
これも出来ます。ここに書いてある文章を読めばいいのですから。
しかし・・・。
詠経
これで挫折(苦笑)
そもそも「般若心経」なら詠めます。今までこれを写経していたのですから。
しかし「観音経」となると、横にふりがなを打って頂かないと詠めない文字があるんです(苦笑)読経は発音が大事でその音の韻が重要であるから、間違った読み方をしては意味が無いのです。

「観音経」、探さなきゃ(苦笑)
【2008/09/15 15:37 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(6) | トラックバック()
采女祭
今年の仲秋の名月は良いお天気に恵まれましたね。
kan2.jpg奈良、猿沢池で執り行われている「采女祭」もその一つ。

采女祭の概要

しかし、入水自殺をする采女が「私のような不幸な人間を作りたくない」から縁結びの神になる事にしたと説明があったんですけどね、誰がそう言ったんでしょう。死んだ采女だったんでしょうが、どなたが聞いたのでしょうかね~。

穿った考え方をすれば、単に天皇は恨みを恐れて社を建てただけなのではないかと・・・(苦笑)

いずれにせよ「縁結びの神」様なのだそうです。
今年は日曜と重なったせいだからいつもの年より見物客が多いと何度もアナウンスされていましたね。
危険ですから押さないで下さいと・・・。
そりゃそうです、止めて下さい。
池には柵などありませんので前で私のように2時間も前から陣取っている者も多い中、後ろでたたれている方に押されたら池ポチャです(涙)

「采女」とは役職であって個人名ではありません。
祀るくらいならば名前を明らかにして欲しかったのではないかしらね~。
この辺りに「哀れ」と言う言葉を感じない、「誰だっけ?まぁ、いいや」って雰囲気が漂っているんですよね~。

kan1.jpg

それにしても昨日は良いお天気でした。
新しく出来ていた興福寺の回廊跡にみんな乗っかって、夕涼み。
なかなかおつな夜でしたよ。
【2008/09/15 14:15 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
有名な話だけど・・・。
do.jpg赤い灯、青い灯、道頓堀の~♪
道頓堀です。
通説では安井道頓・道トと言う人が作ったと言う話になっていますが、実は違うのですよね。昭和40年にとある裁判がありました。この道頓堀の所有権を巡って安井道トの子孫が大阪市や大阪府を相手に11年も裁判を続けたらしいです。
しかし、昭和40年って・・・(汗)
道頓堀が出来たのは江戸初期、「大阪夏の陣(1615年)」があった年です。
それからん~っと約350年経ってますね~。どうして今頃?って感じです(苦笑)結局、所有権は認めて貰えず、その功績は称えるという事で堺筋に今でも功績碑が立っています。
そこで色々な資料が提出されて真実が明らかになってきたらしいのですが、実は安井道頓と言う人はいなく、彼の姓は「成安」と言うのだそうです。まぁ、正確に言えば決定事項では無いと言うのだそうですが・・・。
この「成安」姓。驚きの系譜が伝わっています。なんとあの坂上田村麻呂の流れを引く七名家の一つなのだそうです。
坂上田村麻呂→ウィキペディア
で、その成安道頓さん。実は町人と言う話がありますが、彼は豪族、或いは系譜から武士だったと言う話が伝わっています。
大阪城築城に尽力を尽くした事から城南に地を貰い、そののち秀吉の命により東横堀川から木津川に通じる水路工事も担当しており、豊臣家の土木工事を担当していた家でした。
豊臣恩顧で成安道頓は「大阪の陣」で豊臣側に組します。そして彼は「大阪夏の陣」で戦死を遂げてしまうのです。その時既に道頓堀の着手をしていたのですが、事業半ばで戦死していますので、その意志を継ぎ、安井道トさんが完成させたのだそうです。

通説では
「安井道頓は町人で、商人の為に私財をなげうって道頓堀を作った」となっていましたが、いつからそんな話になっていったのか・・・。
私もずっとそう聞いていましたよ。

【2008/09/11 20:47 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
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