忍者ブログ
  • 2025.07«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • » 2025.09
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/08/27 12:39 】 |
薬師縁日
yakuen.jpg毎月8日は薬師縁日で管長の法話と金堂での読経があります。薬師如来様の前で読経され、大涅槃経600巻を転読されます。
「転読」とは経本を高く上げ、ぱらぱらと下へ流す事で1巻読んだという意味になる読み方です。
まぁ、これをしないと600巻という膨大な書物を短時間では読めないでしょう(苦笑)
朗々と金堂で響く読経と勇ましい転読の風景。そして撒かれる5色の散華。撒かれた散華はお持ち帰りして厄除け代わりになる訳ですが(功徳を得るとも言いますが)今回、写経を納経するのにたまたまやって来て遭遇しました。
秋めいた気持ちの良い風が吹き渡る金堂の中で一心に娘の成仏を祈っていますと、目の前にばさりと散華5色が舞い散りました。
これは「持って帰りなさい」と言われたに違いない。
そう感じて迷うことなくお持ち帰りしました。

納経場所でもある写経道場では沢山の人が来ていて、いつもの雰囲気ではなく、納経方法も変わっていて、1人であたふたとしていますと、「こちらで納経を受け付けます。新しい用紙の販売はこちらです。お食事券がついておりますので食べて帰って下さいね」と丁寧に教えて貰い事なきを得ました(苦笑)

縁日といえ屋台が出ているというわけではなく「ご縁」という純粋な法要です。

なかなか荘厳な雰囲気になれますので、機会があれば行かれては如何でしょうか。

写経といえば何処のお寺でもしている事ではなく、納経は出来てもそのお寺特有の写経用紙を持っているお寺は限られています。
檀家を持たない旧国家寺院は文化財補助が出ない場合が殆どで、その修復費用を捻出するのにとても苦労なさっています。しかしながらこの薬師寺の成功から、お写経をして貰ってそのお金を修復費用に使うと言う方法をとられているお寺が増えた感じがしますね。
確かに、寄付と言うには金額が少なすぎる気がするが、かといって不必要な置物を買って下さいという体制には二の足を踏む。高価ですしね。
でも写経となるとだいたい1枚2千円前後。
しかも供養もして貰えるのならそれに越した事はない。
文化財の保護にも荷担出来る。
人々は1枚くらいなら参加させて頂きますと気軽に奉納出来るわけですから、この方法は金子を集めるには持ってこいな方法かも知れませんね。
PR
【2008/09/10 11:57 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
ブログだからな・・・。
って、思っていました。
公開しているけど、日記ですからね。
やはり色々書いて行くべきだろうと思った次第です。

身内の死を受け入れる事が出来るのは本当に人生の終わり頃という話をよく聞きます。
そんなにかかるのか・・・。
正直そう感じていました。

しかし、仕方がないのだと最近解ってきました。

身内の死を受け入れるには

何度も己に聞いてみたり、同じ事を何度も考えてみたり、しかし自分1人の考えでは答えがいつも同じになってしまいます。
だから誰かに話をして別の見解を得て考えていかなければならないのです。
しかし、他の人は「まだそんな事を言っているの?」的な雰囲気を醸し出します。
だから、「ああ、この話題はしない方が良いんだ」と気付きます。
そして「もう大丈夫よ」と演技を無意識に始めます。
自分に言い聞かせながら・・・。

人にとって、身内以外の「死」は記憶から薄れていきます。
だから心の中での重要な位置は次第に他の物に支配されていき、ついには記憶の片隅に追いやられるのです。
それはあたりまえの事で、むしろそうでなくてはダメなのだと思います。

しかし一進一退している者は、それ以上前に行かなくなり、話す事で楽になったり理解したりしていた事を「拒否」される事で心の中にしまい込み、1人で背負う事になるのです。

背負うには大きすぎて・・・・。

だからこそ何年も何十年も経って、己の命が消えそうになった時「ああ、もう心配する事は何もないのだ」と理解出来て心が楽になり、やっと「身内の死」を受け入れる事が出来るのだと・・・。

名優・仲代達也は奥様を亡くされた1年の間、何度も死ぬ事を考え、何もする気になれずにうちひしがれていたそうです。
そう言えば、その後復帰なさいましたが、以前のギラギラするような生命観が演技から消えている事に気付きました。
きっとあの人も、まだ受け入れる事が出来ていないのでしょう。

誰しもそうなんですねと思った瞬間でした。


どうして居ないのだ。
どうして帰ってこないのだ?
死ぬってどういう事なんだ?

毎日考えています。

以前ほど苦しくはないけど、きっとこの先私は死ぬまでその事を考えているのだろうなと予測出来ます。

だから、ここに思った事を書くべきなんだろうなと最近決心しました。

きっと私のような境遇に見まわれている人は少なくはないはず。
毎日己に「ダメな親だ」と叱りつけているでしょう。
ときどき、
「子供に捨てられたのだ」と投げやりにもなってしまいます。

そんな心の揺れを、この先もやはり書いていこうと考えています。
【2008/09/10 11:20 】 | 偲ぶ | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
去りゆくもの
tuku.jpg夏の終わりを告げるツクツクボウシ。
都会ではあまりお見かけしませんが、それでも大阪城では鳴き声が聞こえたりします。
この写真は京都ですけどね(笑)




doton20.jpgくいだおれ太郎。
大阪の象徴だった彼の行く末は未だに決まってはいません。
しかし、大阪の誰もが思う事。
「大阪以外には行かないで欲しい。そして出来ればこの道頓堀にいて欲しい」と・・・。
ロイド眼鏡に太い眉。
一説によるとこの人形はここの創始者・山田六郎さんに似せているとか・・・。
以前、昔のブログに記事を書いたと事があるので、覚えて下さっている方々も多いかと思いますが、参考までに・・・。→旧・日常茶飯事
結局、ここの女将も同じ思いだったようで、高額提示があったものの首を縦に振らなかったのは「道頓堀を去りたくない、去らせたくない」という想いからだったそうです。
「道頓堀で新しい就職先が見つかるまで、旅に出る事にしまっさ。それまでは寂しいけど、アテの事、忘れんといてや」と太郎がコメントしていました(笑)

太郎の道頓堀復帰を夢見て、彼の帰りを待ちたいと心から思っています。
【2008/09/02 08:20 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
大雲院

なんとなくリハビリを始めようと娘と一緒に行った場所でも比較的想い出の少ない場所と言う事で京都のここに来ました。
彼女が最期の4年間住んでいた京都とい場所になかなか足を向ける事が出来なかったのですが、気持ちもかなり落ち着いてきて、こんな事をしていても前に進めない気がして、あのこの為にも早く元に戻れなくとも、以前に近い生活に戻そうと考えています。いつまでも悲しんでいる事はあのこの為にならない気がして・・・。
gikaku2.jpg龍池山大雲院です。
丁度八坂神社の裏手あたりにあるお寺でして、観光客で賑わう祇園八坂神社・円山公園・ねねの道と言った有名処の真ん中にありながら、あまり知られていないお寺ではあるのですが、きっと「どうしてあんな所にコンクリートで作られた山鉾があるの?」と気付かれた方も多いかも知れません。
gikaku1.jpgこの写真をご覧になって「ああ、ここ知っている」と思われ方もいらっしゃるでしょうね(笑)
そうです、ここに行ってきました。
このお寺そのものが実は昭和48年にここへ移されたここでのお寺としての歴史は比較的新しい物です。
大雲院というお寺は元々烏丸二条にあったお寺でして、天正15年(1587年)に正親町天皇の勅命により織田信長・信忠親子の菩提を弔う為に建てられたお寺でした。
その後秀吉が「そこでは寺所が狭すぎる」と言う理由で寺町四条(今の京都高島屋)に移しました。ここの本堂には秀吉直筆の「大雲院」と言う勅額が残っています。
しかしながらご存じの通りこの辺りはドンドン商業地域になって行き、昭和になってここへ移転されたのです。
gikaku3.jpgこの土地は本来大倉喜八郎(ホテルオークラの創始者)の別荘があった場所でこの祇園閣も彼が90歳になった記念に建てた建造物です。金閣・銀閣があるのに銅閣が無いから作ったという噂もありますが・・・。
中は中国・敦煌にある莫高窟の絵を模写したものが内装の壁殆ど全てに描き込まれています。なかなか面白い絵で見ていて飽きません。そして特筆すべき事柄はここのランプ。いや、ブラケットと言うのですか?行かれた方は「面白いブラケットだ」と思われたでしょう。実はコレ、伊東忠太の作品です。

伊東忠太を知らない方の為に(笑)・・・こちら

hankyu5.jpg東京にある築地本願寺が一番有名ですが、実は旧阪急百貨店のあのゴージャスだった壁画(新社長になって外されたのは今でも残念です)も彼の作品でした。




話が逸れてしまいました(苦笑)
祇園閣は本堂の真後ろにそびえ立っています。コンクリートは寿命が短いと言われますが、昭和2年に建てられたこれは80年経っていますが今でも堅牢です(笑)
ここでのメインはやはりその眺望でしょう。東山を一望出来るんです。
gikaku4.jpgこの日は特に雨が降った翌日という事で景色がクリアで実に綺麗に展望出来ました。
「良い日に起こし頂けました」と説明係のおじさんに言われましたよ(笑)
祇園閣の前に狛犬もどきが御座います。説明のおじさん曰く、「これは狛犬ではありません。これは大倉氏の趣味でして、変わった獅子だとご理解下さい」とのことでした(笑)

そして、冒頭にも書いたようにここは織田親子の供養の為に建てられたお寺という事ですので、
gikaku5.jpg供養碑が勿論あります。

gikaku6.jpg
そしてもう1基。
三条河原で釜ゆでの刑にあった、あの大泥棒、石川五右衛門のお墓があるのもここ、大雲院です。
五右衛門は秀吉の命を狙った忍者であったと言う説もありますね。



祇園閣と大雲院は普段は非公開です。この日特別公開だったもので入れたんですけどね(笑)
9月30日まで開いておりますのでどうぞお立ち寄り下さい。

そう言えば・・・・。
yoshitune7.jpg産寧坂ですが。

gikaku7.jpg
なんと、石段からアスファルトに変わっていました!!
まぁ、危険防止なんでしょうけど、風情が・・・・(汗)

【2008/08/31 22:01 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
上醍醐落雷?
聞いて驚きましたよ(汗)
世界遺産・京都醍醐寺の上醍醐、准胝(じゅんてい)観音堂が全焼ですって(汗)
jyuntei.jpgこの写真は在りし日の准胝観音堂ですが、ここは西国三十三番11番札所なので、私がヘボイので片道2時間以上を掛けて登ったお山のてっぺんにあります。実はこの上にも何棟か国宝級の建物があるわけですが、何故かここが落雷にあったようです。
これは天罰??なんか意味深ですよね。ちょっと醍醐寺も最近は色々と問題があったようで・・・、まぁ、詳しく書くと色々支障がでそうなので書きませんが、「目を覚ませ」とでも言っておられて観音様が身代わりになられたのか・・・。

こちらで動画が見れます→NHKニュース

ここは一度火災に遭っていてこの建物も昭和になってから再建されたものですが、只今は入山が出来ない様子で、三十三番の朱印は入り口にある女人堂にて受け付けているようです。
まぁ、考えようによっては、ここ上醍醐は三十三番札所の一番の難所でしてね。今回の事で楽に朱印が貰えるという事でしょうか・・・(罰当たりな?)

今年は花山天皇(ウィキペディア)の千年回忌でして九月からはそれぞれの札所で秘仏が公開されるのです。
ここ醍醐寺でもその予定でしたが、ご開帳の前に焼失なさいました(涙)
しかし坐像は二体あったようで、一つはドイツに出張中だったために難を逃れたとか。でも、秘仏であった観音様は焼けてしまったわけですから、ねぇ・・・。

いずれにせよ、この素材サイトに置いていたこの写真は「姿を消したもの」コーナーへ移動せねばダメなようですね・・・・。
【2008/08/26 22:55 】 | お知らせ | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]