ちょっと憤りのようなものを感じてます。
唐招提寺にではなく、観光客の方にですね。
「一般にも見せろよ! 東大寺では見せてたぞ!」
憤慨が聞こえました。
まぁ、気持ちはわかるんですが。
京都では「拝観不可」と言う形を取りますが、奈良は「知らずにお越しいただいた方に申し訳ない。寺の大事な行事ですので見せる事は叶いませんが、他の場所の見学は出来るようにしたい」と言う意向が、裏目に出たような感じですよね。
東大寺も檀家寺のないお寺で拝観と言う形でお金を集めないと、維持すらままならないのは一緒ですが、そこと唐招提寺とを同じ視点で見るのは気の毒だと思うんです。
東大寺は奈良の顔と言える大仏様をお持ちで、奈良市内にあって地の利もよく、観光の中心部にあるわけです。
観光客の数は唐招提寺とは比較にならない。
唐招提寺を訪れた方が一様に「静かで良いお寺」とおっしゃいます。
それは言いかえれば観光客が少ないのではないかと思うんです。
そんな中で寄付などをして貢献されている方を大事にしたいと思う気持ちはよくわかります。
膨大な地所を維持するのはとても大変な作業。
お金も相当かかると推測されます。
税金は免除されてもそれだけでは足りないほどの金銭がかかると思われます。
国家の財産を守らねばならないわけで、なくすと言うわけには行かないでしょう。
1300年もたっているのに、まだ東大寺との因縁が消えないのかと思うと悲しくなります。
鑑真和上が5度の難破を経て、6度目にやっと日本を訪れた時、既に東大寺が建立されており、和上は都の果てに追いやられた形になりました。
大事なお弟子さんを36人も死なせてしまった心の傷を負いながらの渡来です。
どんな場所でも戒律を施せる場所があればそれでよいと平城京のお下がりの建物を拝領し、それを講堂にして唐招提寺が始まりました。
今の金堂が建立されたのは和上が亡くなった後の話。
和上の偉業を、何故1300年経った今でもこうして無意味な因縁で汚されなくてはならないのか、とても残念で仕方がありません。