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【2024/04/27 09:48 】 |
市民レベルのお祭りも・・・

年を重ねれば大きくなるようです。
siroakari.jpg「城灯り景」です。
先週の週末、8月21日・22日に開催されておりました。
おととし、初めて行ったのですが、多分おととしから始まったのではないでしょうか。
去年は無理でしたが、今年は行ってきました。
主催は大阪城と上町台地エリア魅力創出実行委員会で特別協賛が大阪芸大グループとなっています。
今年は天守閣前広場だけでなく、普段は有料の西の丸庭園も開放してのお祭りで、広くなった分、屋台も出店し(大坂地元野菜を使った屋台飯(笑))そして長野県上田市からも参加され、驚く程の人数の参加者が。
去年は行けなかったのでなんとなく今年は出来もしない願いをするため100円をだしてメッセージを灯りに灯しました。
雨だと言う予報を裏切っての晴天。
昼間は曇っていたのですが、開催される夕刻から晴れだし、西の丸庭園ではふかふかの芝生の上で、遮ることなく吹き抜ける気持ちの良い夜風を受けながら、気持ちのいい生演奏を聞いていました。

なんとなく行く気の失せていた娘を無理やり連れて行くと・・・。
karigane.jpgこんなキャラクターが(笑)
とたんにテンションがググ~ンとアップ(笑)

上田市からの真田グッズに萌えに萌えておりました(爆)
値切りながらの買い物姿はさすが大阪人(爆)
本日(22日)が最終日だった為の意気込みだったようです。
これ以上は負けられないとおまけをつけての商談だったそうです(笑)
さぞや上田の皆さんも「大阪は一筋縄ではいかない」と思われたでしょう(笑)
娘曰く、自分で稼いだお金を出すとなると商談は必須だったようです。
私はお神酒用のお酒「上田城」と旦那への土産「上田城忍術猿飛羊羹」を購入。
この羊羹ですが・・・。
071.JPG巻物になっており・・・。

072.JPGちゃんと開く事が出来・・・。

アルミの筒に胡桃羊羹が入っていました(笑)
胡桃は特産品なのだそうです。

このイベントに大阪平松市長も参加し、来ていた真田衆によいしょしたのか(陣太鼓も来てらっしゃっていたので)
「徳川に関係する人がいらっしゃったら誠に申し訳ないのですが、やっぱり真田はかっこええですわ~!」と・・・。
しかしながらこの一言に参加していた真田ファンは大いに盛り上がったのは言うまでもありませんでした(笑)
真田ファンと言うのは歴女ブームなので女性が多いのかと思えば、男性の方が多かったようですね~。
019.JPGで、こんな風景も(笑)

この方は上田の人ではなく大阪の人でした。

知らなかったのですがこのイベント、こんなものに参加していたようで、
クリック

知りませんでしたよ(笑)
時期的に天神祭からですよね。
知らずに私たちは参加していたわけですね(笑)

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【2009/08/24 12:12 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
四天王寺 万燈会
今年もやって来ております。
四天王寺と言えば、亀の池が有名ですが、カステラは知ってましたが、あられは初めて見ました(笑)
ありそうで無かったおみやげですね。



【2009/08/09 16:39 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
天神祭本宮

青空が見えて晴れているかと思えば、いきなりスコールのような大粒の雨が降る。大阪はいつから熱帯雨林になったんでしょうね~。
大阪人の表現で言うと、
「カーッって晴れとるかと思ってたら、いきなりグァーと雨が降るねん。狐の嫁入りや!」と、なるわけです(苦笑)


ten7.jpg
大阪に長く住んでいながら、日本三大祭りと言われる「天神祭」には指を1-2本立てるくらいしか行った事が無い私です(苦笑)
今年はスタンプラリーと言う使命を帯びておりますので(笑)雨であろうが行ってまいりました。
本当に普通なら絶対に面倒だと言って出かけない気がします(苦笑)
しっかり雨には降られましたけど・・・。
(写真は大阪囃子に乗って踊る獅子の奉納舞)
娘に「雷帝さんだから仕方が無いよ。むしろ普通じゃない?」とか言われましたが(笑)
確かに天神さんは「雷帝さん」雷の神様でもありますが、それは京都の天満宮ではないかとひそかに思ったり。
大阪の天満宮と言うのは菅原道真を祭ってはおりますが、本来大将軍神社だったんですよね。妙見さんと同じく北極星が御神祭。
道真が大宰府に向かう船待ちの間、ここに立ち寄ってお参りしたそうで、その半世紀後、(ここがね意味不明ですよね(苦笑))神社の前に7本の松が生え、夜な夜な梢が光り輝いたそうです。で、時の天皇・村上天皇がこれは道真公に縁の奇瑞として創祀したのが始まりなんですって。
本当に、道真とほとんど関係ないやんって感じですがね(苦笑)
ま、なんだって良かったんでしょう。天満宮を創りたかったって話なんではないでしょうか。

京都だけでは祟りが治まっていないのではないかと不安にでも思ったのでしょうか、ま、定かではありませんが・・・。

その後、ここは連歌の神様として栄えました。それが室町時代。平安末期に藤原敦基と敦光の兄弟がここを訪れ漢詩を読んだのだそうで、そういう関係だったからでしょうか。(天満宮最古の文献として保存されている)

戦国時代に入り、天満宮は戦火を避けるため今の吹田に一時移転していたそうです。(大坂の陣)そして江戸に入りここへ戻ったのだそうでそこから本当の意味での天満宮としての栄華を刻んでいったようです。

ten4.jpg「天神祭」の始まりは古く、場所柄「禊」を意味する神事として鉾流しがあり、そこから始まっているようでこれが951年の事。鎮座された二年後です。神鉾を流して占いをするという意味もあったようで(陰陽道でしょうかね)神様のお出ましを奉祝する為に始まったのが今の「天神祭」。
(写真は狐のだんじり)


ten8.jpg

吹田に一旦避難してこの地に戻った元禄時代、それを祝って「天神祭」ピークに達した事は以前にも書きましたが、その頃に造られた今回の目的・お迎え人形・最後の3体をここに観に行きました。







ten3.jpgten5.jpgten6.jpg










左からスサノウ・源為朝・佐々木高綱(実は真田幸村)
これで14体全部見れました。いや~、良いもの見せてもらいました。
後は8月下旬に天神さんに行ってうちわを貰って終わりですが(笑)
赤の衣装が多いのは夏越えの意味で疱瘡よけ、つまり疫病退散の意味が込められていたようです。京都の祇園祭も疫病退散のお祭りですからね、やはりこの時期に亡くなる方が多いと言う事ですよね。特に子供の成長を妨げていたようで子孫繁栄の意味もあったのでしょう。

この「天神祭」実はその後(元禄以降)途絶えておりました。常設のお旅所が出来た為に鉾を流す必要が無くなったためなんですって。元々は禊に占いなんですから続ければよかったのにね~、やはり寄付金が第一の祭りですので、お旅所からの奉仕が無くなると途絶えるのでしょうね。
復活をしたのは実は昭和に入ってからです。
ten10.jpg


昭和5年、天神祭は今の形に復活しました。
(写真は船に乗り込む前の御神体)







ten1.jpg奉納船と言うのは二隻しかありません。50隻の船が船渡行で出ますが、後の48隻は全て企業船。一般の人が気安く乗れる船(と言っても2万はかかりますが(汗))ではなく、結構セレブな方でしかその企業船には乗れません。たとえば近鉄が出している船には有名芸能人も乗り込んで鳴り物入りで賑やかに渡行していましたが、ここに乗れる一般の方は外商で年間100万以上のお買い物をされる方に限るとか(汗)後は企業に関係のある方々の招待制で、一乗りいくらかは知りません。あ、大学が持っている船もありましたね。これは大学OB船って感じでしたが。

ten9.jpg私たちが乗ったのはこの「榊講」と言う船。天満宮に榊を奉納しているお花屋さん協会の船ですね。これも何処で申し込むのかは知りませんが、今回は「人が少ないから人数を集めて」と知り合いに言われての参戦(苦笑)やはり「乗った事が無いので一度は乗りたい」とおっしゃる方は割合いまして、何処で申し込むのか知らないと言うのが乗れない理由だったとのこと。二万でお弁当がついてお酒やお茶がほぼ飲み放題状態でしたが、パイプいすが4つずつ取り付けられている桟敷船ですね。窮屈ですがセレブ船には乗れないので(苦笑)これでも3時間半の船旅と花火をまじかで見れて、天神祭の醍醐味を味わえるのならなかなかのものです。
行き交う企業船や天神さんから出ているどんどこ船などにすれ違うたびにお「大阪締め」をします。もう最後の方では声もかれて殆ど投げやりですが(笑)

大阪締めとは、3・3・7拍子とは違いましてね、

「打~ちましょ(パンパン) も一つせ(パンパン) いおう(祝う)て三度(パパンパ) おめでとうございますぅ~(パチパチパチ)」

と言うもの。お祭りでは欠かせません。

ten2.jpgそして醍醐味はこれでしょう(笑)傍で見る打ち上げ花火の音と煙は迫力ものです。大阪の大都会の真ん中でこれほどの数の打ち上げ花火を見れるのはここだけ。企業もあげますので実質何発の花火が挙げられているのか知りません。
傍で見る打ち上げ花火が非常に3D感を味わえるものなのだと初めて知りましたよ(苦笑)花火大会に行った事が無いもので、知りませんでした。しかし花火大会に行ったとしても上から降ってくるのではないかと思えるほどここまで傍には行けないでしょうね。上からの火薬玉の灰が降って来て服がざらついたほどです(笑)

終わった後の皆さんの感想は「次は住吉さんや」でした。
元気いっぱいです(苦笑)







 

【2009/07/26 09:50 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
大阪の夏
tenzin1.jpg

大阪の夏と言えば有名なのは「天神祭」ですよね。
今年は雨にたたられる事が多い夏祭りですが、天神さんだけは雨だったという話はあまり聞いた事が無いですね。
さて、今年はどうなんでしょう。




tenzin4.jpg菅原道真の怒りを抑えるために神とした天満宮。
言いがかりで左遷され亡くなり、その後すぐに京都御所に落雷があり、道真の祟りと恐れた朝廷が天満宮で道真の霊を弔ったとされる神社ですが、その天神様のお祭りが「天神祭」
いわば悪霊を封じ込めるつもりで始めたんだろうけど、大阪人はそんな事はどうでもいい、とにかくお祭り好きな国民性ですので、商売繁盛に結び付け大阪の大店がこぞって奉納金の額を吊り上げ、一大プロジェクトとして大阪中を巻き込んでの大騒ぎとなったとしか思えない祭りです(笑)

tenzin2.jpgお金持ちの大店が中心となり、金襴仕立ての渡御列乗船を造り川を埋めるがごとく横行し、笛太鼓の「どんどこ船」や神をお迎えする「お迎え船」なども加わりそれはそれは江戸期からますます賑やかになったお祭りです。

(写真は「大阪くらしの今昔館」所有の当時の船だんじり【天神丸】折りたたみ式の屋形が大阪らしい)



船の数は減りましたが、今も大阪天神祭ではこの騒ぎは続いております(笑)

tenzin3.jpg江戸時代、お迎え船にはお迎え人形なるものが乗船しており、体長2mと言う巨大な人形を乗せておりました。大川下流にあるお旅所周辺の町々が、船渡御を奉迎するために御迎船を仕立て、その船の上に豪華絢爛なこの人形を飾ったのでした。
人形の題材は大阪町人に人気があった文楽や歌舞伎から取り入れ最盛期には50体以上もあったようです。


(ピンボケですが(汗)写真は「雀躍」と言う人形)

今現在残っているのは18体だけ。そのうちの14体は指定文化財になっており滅多にはお目にかかれません。
毎年「天神祭」にはこのうち数体ずつしか展示されておらず、全部を見た方はそんなにいらっしゃらないかもしれません。
しかし今年はスタンプラリーと称し、その14体全部を場所を変えてみる事が出来ます。
全て見る事が出来るのはこの25日まで。

詳しくはこちら→クリック

そこで今日、頑張って4か所回ってきました(苦笑)
いや~、凄いお人形です。迫力ありますよ。衣装はもう凄く上等で歌舞伎の衣装のごとく細部にまで細かく造られており、今では到底同じものは出来ないのではないかと思う程の豪華です。
それにしてもまる焼けになってしまった大阪で、よくぞ残っていたなと感心しました。

大阪歴史博物館でなら、4体だけ8月31日まで見る事が出来ます。
ここでのお勧めは「関羽」ですね~。如何にも「関羽!」って姿で立っています(笑)

人形の説明は続きでどうぞ。

【2009/07/19 20:37 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
生國魂(いくたま)神社お祭り
029.JPG7月11日・12日は生國魂神社の夏祭りでした。
氏子さんが多いのか大店がドンと控えているのか、ここのお祭りはそこそこ大きいお祭りです。
天神祭が「船渡御行」と言われるのに対してここは「陸渡御行」と呼ばれ昔はもっと盛大だったらしいですね。いまも車を止めて谷町筋を練り歩いていますが(笑)
大阪で最初にあった愛染祭りは雨にたたられて散々だったのでここのお祭りは露天商にとってもかき入れ時だったでしょう。
雨だと言われつつも両日晴れましたからね。
「大阪三大夏祭り」と言われているのがありまして、生國魂夏祭・天神祭・住吉祭の3つとして数えられています。
愛染祭りは?と思われるでしょうが、この生國魂夏祭に変わって愛染祭りが数えられる場合もあり、其の場合「なにわの三大夏祭り」と呼ばれるのだそうです。
実は愛染さんは神社じゃないんですよ。珍しいですよね。ここ、四天王寺の塔頭なんです。
愛染さんは染物関係の商家に庇護され反映してきたお寺でして、まぁ、語呂合わせでしょうけど(苦笑)本来は愛染明王様をお祭りしているお寺ですので、どちらかと言えば恋愛関係全般の方が近いですね。ですので最近は良縁の仏様として信仰されているようです。

015.JPG生國魂神社は本来石山本願寺の隣にあったという話です。
石山本願寺と言えば、織田信長が10年もかけてやっと落とした戦う浄土真宗寺(苦笑)。何処にあったか定かではないのだそうですが、今のところ、大阪城内にあったという話ですので、そこにあったと言う事でしょうね。秀吉が大阪城築城にあたり、現在の場所に移したと言う話ですし、場内にあったと言う話もあるかな?
しかしながら当然そのころ、社殿は燃えてます(汗)
そりゃそうですよね、信長に総攻撃されていた本願寺が隣だったんですもの。
この時秀吉が社殿を寄贈しているので造りが桃山風になっていて「生國魂造り」と呼ばれる建て方だったそうです。
その後、大阪夏の陣で再び燃えてしまい、徳川の世になっての最初の城主、徳川秀忠が再建。そして大阪大空襲で焼失され、その後すぐに立て直したのだそうですがジェーン台風の為に倒壊(汗)
21.jpgここも四天王寺と同じような運命を重ね、結局「もう、燃えないで」と昭和31年にコンクリートになって現在に至ります。もちろん、様式は「生國魂造り」。

大阪では一番古い神社だそうで、「難波大社」とも呼ばれているそうです。住吉大社もたいがい古いですが、どっちが古いのかしらね。ここが一番古いと社伝にあるのでそうだろうと(調べる気がただいまありません(笑)、いやはや、こう暑いと気力が・・・)


生國魂神社と言えば芸能関係の方々に古くから信仰されております。
16.jpgまずはこの方、井原西鶴。ご存知でしょうか?
いわゆる艶本の創始者と言うかなんというか(苦笑)「好色一代男」なんかが有名ですね。文学的に書けば「浮世草子」と言うジャンルを確立した方です。しかし草子作家として名前が売れた西鶴さんでしたが、最初は俳人だったと言う事はご存知でしたか?

西鶴さんの銅像がなぜここにあるかと言うと、この生國魂神社で当時はやっていた連続で多くの句を作る「矢数俳諧(大矢数)」をやりまして、一昼夜に2万3500句を詠む多数吟の最高記録を打ち立てたそうです。「オランダ西鶴」と異名があるくらい、自由奔放は俳句を作っていたそうです。だからこそ、格式にはまらない「浮世草子」なるものを作ったんでしょうね。

その他の摂社としてかまどの神様・鞴(ふいご)神社、近松門左衛門がご祭神と言う文楽の神様・浄瑠璃神社、大阪城築城に際して拝まれた、全国唯一の家造りの神様・家造(やづくり)祖神社、大阪城の守護を担当すると言う・城北向八幡宮、お城がここから北にあるからですって。そして淀君(秀吉の側室・茶々の事・豊臣秀頼の母)が信仰していたという鴫野神社。今ではこの鴫野神社のご祭神に淀君も名を連ねています。

17.jpgそして平成2年からは米沢彦八(上方落語の創始者と呼ばれている)の碑が建てられ毎年9月1日には「彦八まつり」として上方の落語家さんが集まります。他にもあるのですがとりあえず有名どころはこんな処。



今度、この近くに大阪歌舞伎座が造られますのでさらなる発展が見込まれます(笑)

【2009/07/13 18:03 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
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