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【2024/05/09 00:12 】 |
大阪囃子
natu.jpg「おたやんこけても 鼻うたん♪」
よく昔、父親にはやし立てられました(笑)
この写真はその昔のわたし(笑)
ええ、ええ、こけても鼻ではなく「おでこ」ばっかり打ってました(苦笑)

この歌、「大阪祭りの馬鹿囃子」と申します。
大阪のお囃子と言えば、天神祭で流れる「だんじり(地車)囃子」が有名でそれだろうと思われがちですが、大阪庶民はそっちではなく、こっちの方が身近でした。
ルーツは伊勢太神楽だそうで、以前玉造稲荷に来ていただいた伊勢太神楽でも演奏していただきました。いやはや、懐かしい(笑)
今でも歌われているのでしょうかね~。

いろいろ探してみたんです。
見つけました(笑)
この画像の4:30~4:43の間に入っている曲がそうです。
面倒ならここまで飛ばしてお聞きください。




この曲に様々な歌詞を勝手につけてお祭りで歌われていたんですよ。

生國魂神社では上記の
「大阪名物夏祭り 生玉獅子講は良い景気 おたやん(お多福)こけても鼻うたん」と歌われ、
玉造稲荷では
「大阪名物夏祭り お稲荷様のお祭りで お獅子に合わせて皆踊ろ」と歌われていました。

産経新聞で森田玲さんが
現在でも関東では祭囃子を「馬鹿囃子」と総称しているらしいが、伊勢神楽からこの馬鹿囃子が来ているのに、全く曲が違うのだから、そう呼ぶのはやめてほしいと書いていらっしゃいましたっけ。

ちなみに関東の馬鹿囃子はこれかな?



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【2009/07/08 10:45 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
大阪も広いのじゃないかと
「県民ショー」で「もみあげ」を「チャリ毛」と言うと言うのがあって、思わず「知らんかったわぁ」と言ってしまいました。
大阪弁と通用しているものでもやはり場所によっては話していない気もしますね。
ここで紹介されている大阪は時折知らない事があったりしますね。
もしかして、私が大阪人ではないのかも(汗)

以前本屋で「もうかりまっか ぼちぼちでんな なんて何処で話しているんだ?」と大阪本の帯に書かれている文字がありました。
これについては以前に書いた気もしますが・・・、言いませんね、そんな会話聞いた事がありません。
これも書いた事ですが、「茶しばく」と言う言葉も聞いた事が無い。
これについては「大阪呑気大辞典」で【茶を飲んでしゃべる】と説明がありましたが、まぁ、この本は「辞典」と言っているけど「辞典」としての機能は期待しないでくれと最初に明記されている本です(笑)
大阪ことば辞典」には載っていません。

「あほ」と言う言葉も変換活用があると「たかじんさん」が申しておりました(笑)

『参考までに・・・。
たかじんと言う人をご存じないかもしれません。大阪では有名すぎる人なんですけどね(笑)この人の政治関係の番組では「東京では絶対に放送しない」と言うコンセプトで作られた番組ですので、そりゃもうビックリするほどの言いたい放題(苦笑)さすがにまずいと思われる個人名は「ピー」が入りますがスタジオではノーカット(苦笑)番組を観覧に行けば丸わかり(笑)
本来は歌手ですが、今じゃ大阪では1-2を争う司会者です。
橋本大阪府知事を府知事に出馬決心させたのも実は彼だと言うのが公然の秘密。』

五段活用がなんだったか忘れましたが(苦笑)発音の強さ弱さで意味が変わり、使い方に「あほ」「あほか」「あほな」「あほんだら」などがあります(笑)

語尾の弱い「あほ」はちょっと色っぽく使い(笑)言葉の中に「嬉しさ」が含まれます。
語尾の強い「あほ」は相手がとんでもない失敗をした時に「えらい事しよった!」の言葉が続く事が多く、
「あほか」と言う言葉には「呆れ」が含まれ
「あほな」は本人が凹んだ時に使います。
最後の「あほんだら」は主に威嚇(苦笑)

大阪人は「あほ」だけで話が出来ると言っていたような気がします(笑)

大阪文化も日々進化しており、言葉もそうで、今では使われなくなった言葉も多く、また新たに作られていくことも多いようです。
「チャリを転がして来」と京都の子が聞いた時、何を言われているのかさっぱりわからなかったようで、「チャリ」が自転車である事に気づいたとこまでは良いのですが、自転車をどう転がすのかで悩んだそうです(爆)
「自転車をこいで来いと言ってるんや」と言いかえられ初めて理解したと言った話を聞きましたよ。
この「チャリ」も新語ですね。
上記の「チャリ毛」とは別物。しかし江戸時代から使われていた言葉らしく、結構歴史のある言葉だったんですね→「チャリ毛」

【2009/07/04 12:29 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
真田だらけでございます。

大阪も昨日、とうとう30度越えとなりまして、季節外れの夏もどきバテを起こしております(汗)
我が家の箱入りネコ達も熱中症になりかけて、思わず軽くクーラーをかけてしまいました(昼の2時間ほど)

さて、5月は「大阪・夏の陣」で上町台地は真田イベントだらけでございます。

5月6日

ゆっくりと休む予定だったのですが、仕事で行けない娘の願いで代わりに講談を聞きに行ってまいりました。

題して

koudan.jpg「第1回真田幸村をたたえる講談会」!

なんだそりゃと
思われますでしょうけど、えっと、上方講談はいろいろと複雑な事になっておりますが、それはまた後の話として・・・。

まぁ、聞いて楽しいのなら観客はそれでいいのでありまして、破門になっていようが独立独歩をしていようが、訴訟をおこそうが、どうでもいいのであります(苦笑)

ま、今回は四代目旭堂南陵派(大阪講談会)の講談であります。

全部、幸村(笑)
「たたえる」と言うからには「幸村」でなくてはなりませんが、一席だけなぜか秀吉と伊達政宗のお話でした。

えっとザッと説明いたしますと、起源は秀吉のお伽衆なのだそうです。ああ、これは「一説によると」と言う但し書きが入るのでしたっけ・・・(あいまい)
とにかく江戸の大道芸として軍記物を中心に調子をつけて話し出す(話芸ですね)辻講釈が原型であるのは確か。
それが講談として成り立ったのが江戸中期。明治・大正になりますと、関西では講談本として立川文庫が刊行され一大ブームになったのでした。
中でも「難波戦記」は人気があり、長い話をキャラクターで分けて刊行され、そしてやはり人気があったのが「猿飛佐助」
映画「GOEMON」でも出てきますね~、確かガレッジセールのゴリさんが演じていたような・・・。
余談ですが、こんなものが・・・。→クリック
え?こっちとコラボなの?歴女狙い??<GOEMON
まぁ、ここの霧隠才蔵も猿飛佐助も真田十勇士だけれど、全く真田とは関係がなさそうです(笑)

猿飛佐助はもちろん架空の人物。だったと思うのですが、なんでも彼の生まれ故郷とされているところには銅像があるとかないとか・・・。
それほど、人気があったということでしょうかね。

ちらっと書きましたが、真田十勇士はもちろん講談が生み出した架空のキャラクターです。
真田幸村の家来にして、関ヶ原あたりから闇から闇へと活躍します。
最初は三勇士だったそうで、それが五勇士となって、大正のころには十勇士となったのだそうです。
さらに余談ですが、実は「幸村」と言う名前も講談から呼ばれた名前でして本名は真田信繁と申します。しかし「幸村」の方が知名度が高いため、たいていのところでは信繁を「幸村」と表記されています。博物館でも「幸村」と明記されています。

そんな講談を聞きに生國魂神社(いくたまじんじゃ)まで行ってまいりました。
神社・・・、そうなんです、神社なんです。
まだ、19日までは喪中の身(汗)
どうしたものかと、傘をさしつつ神社の前で立ち尽くし、「ええい、喪中の身ですがお許しください」と敷地を踏む前に拝んで、鳥居の脇から入ったのでございます(悪)

定員100名と言う事で、当日券はあるかいなとウロウロと入っていけば、十分にあったようで、ホッとして中へ入っていきますと、時間がたつごとに人が増え(汗)まばらだった会場が定員オーバーになるほどの盛況ぶり。
なんでも新聞に載ったそうです<この講談情報
何処に載っていたんだろう。みたのは「うえまち」と言うタウン新聞だけだったんだけど、それの事かしら。

スタッフの方々も50人も入ればまずまずだろうと思っていたらしく、そのあとは来られた方と一杯飲んで「真田話」で盛りあがろうと思っていたようですが、期待以上の入場でそれは叶わぬことになったようです(苦笑)

うれしいような悲しいような(苦笑)

さぞや、歴史ヲタクで、歴女でいっぱいだろうと思っていたら、なんと98%シニア世代。私などまだ若い方で・・・(汗)

やはりこれはかなりレアな会だったようで、この情報を私が知ったのも、3日にお会いした南陵師匠直々のお知らせからで・・・。
ほんとギリ情報だったんですよ。

1時間半くらいでしたかね、上演時間。
面白かったですよ。
講談もいいですね。「修羅場読み」というものはリズムもあってなかなか聞かせます。

そう言えばですね、ここで出演されていた南半球師匠。
以前、TVの情報番組か、ニュースで特集にかは忘れましたが、そこに取り上げられていた方で、アニメを講談で聞かせると言う変わったことをなさっています。

しかもガンダム専用(笑)
koudan2.jpg「宇宙世紀を修羅場読み、見てきたようなジークジオン」
いやはや、なかなか濃い講談です。
ガンダムを知らなかったらきっとさっぱりわからないだろう講談(笑)

師匠のHPがございます。こちら→クリック

もっと濃いブログはこちら→クリック

師匠はジオン軍派なんでしょうね(笑)
東京が連邦軍で大阪がジオン軍なのかな?

興味のある方はどうぞ。




【2009/05/12 16:15 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
一心寺のお話
以前、「日帰りコラム」を持っていたころに書いたのですが、管理も面倒になりやめてしまったのでその文章もNET上でご紹介できなくなりました。
ので、あらためて・・・・(苦笑)
 
 
issinji1.JPG


大阪天王寺の一心寺さんと言えば、「骨仏さんのあるお寺」として有名です。
そこには仏教の基本姿勢である「全ての人に広く浄土の門をあける」と言う姿勢をここでもなされています。
四天王寺は唯一無二の「和宗」なので宗派に関係なく墓地を提供しておりますが、一心寺さんは一応浄土宗ですが、希望があればどなたでも納骨ができます。
そして、墓地の管理が難しい、あるいは金銭的に無理という方にはありがたい方法で故人を供養できます。

issinji8.JPG10年に一体の観音様を作り上げます。その観音様には10年分の納骨されたお骨が練りこまれています。
観音様そのものが故人であるのです。ですので、ここに納めたお骨は家が途絶えても多くの人に供養されるわけです。
写真は骨仏さんが納まっている納骨堂。
そしてもう一つ有名なのはお墓ですかね~。



以前のブログでも書いたと思いますが、(→クリック)この他にもいろいろいらっしゃる。ので、もし行かれたら受付などで「一心寺墓碑銘々伝」と言うパンフレットを貰えば解ります。

この一心寺、上の写真でもお分かりかと思うのですが実に斬新な仁王門でも有名(笑)
これを造ったのが前住職。今の長老です。
住職としては変わった経歴の持ち主でして、工学博士で建築家と言うもう一つの顔を持ってらっしゃっていて、日本建築家協会関西建築家大賞や大阪市文化功労賞等を授与されている方です。
issinji2.JPGしかし、本堂はご覧の通り普通です(笑)
行事の無い時はこのように市民の憩いの場所にもなっております。

1186年の事、ここに浄土宗宗祖・法然上人が『源空庵』と言う草庵を建て、【日想観】を修めた事に始まります。
【日想観】とはなんぞやと言いますと、
簡単に言いますとね、西方浄土の事です。
つまり、落日の方角に極楽浄土があるのだよと言う考えですね。
大阪はこれがメインです(笑)ですので以前にも書いたように、四天王寺の仁王門より西門が玄関だと思われるのはこの教えから来ております。
西門鳥居に沈みゆく夕陽を見て、「あの向こうに極楽浄土があるのだ」とみんな夕日に向かって拝んでいたんですね。

jyoudo.jpgこのあたりは「夕陽丘」と呼ばれている地域でして、夕日が昔から綺麗だと言われてた場所です。今では大きな建物が邪魔してなかなか見れませんが・・・。
その昔、海がすぐそばにあったんですよ。ですので沈む夕日は海の彼方に消えて行ったんですよ。
大都市で西に海がある場所はなかなかありませんので、余計に夕日が神格化したのでしょうね。
まぁ、その海の向こうに極楽浄土と言う考えが高じて酷い事になった歴史もありますが・・・。(補陀落渡海:これは西ではなく南に向かって僧が生きたまま箱に納められそのまま流されると言うとんでもないお話です)

方角によって守護する仏様が違うのだそうです。

東(瑠璃浄土)    薬師如来
西(西方浄土)    阿弥陀如来
南(補陀洛浄土)   観世音菩薩(いわゆる観音様)
北(北方浄土)    釈迦如来
それで浄土宗は阿弥陀如来なんですね、初めて知りました~。

話は一心寺に戻して・・・。
千体佛堂というのが一心寺にあるのですが、その無料休憩所で面白いものを見つけました。

issinji3.JPGissinji4.JPG









右が「夕陽丘絵図」で左が「大阪絵図」です。
これね、単なる絵図ではなく隠しがあるんですよ(笑)

この絵図の中に太閤秀吉・菅原道真・真田幸村と真田十勇士・秀吉辞世の句
これが描き込まれてあります(笑)
ちょっと頑張れば探せますけどね(笑)一部をご紹介。
issinji5.JPGそれがこれ、「幸村と十勇士」です。

あとはご自分でどうぞ(笑)

このあたりは「大阪の陣」(1614-1615)での激戦地区であったことは昨日でご紹介しましたが、陣屏風がただいま大阪天守閣で公開されています。
それを見ますとね、「冬の陣」では大阪商人の商魂を垣間見る事実が(苦笑)
このあたりに徳川家康の陣があったのですが、実は屋台が出てたりとか武士相手に必要なものを売ると言う商売をしていたんですよ。ビックリですよ(苦笑)
しかしながら、「夏の陣」ではそんな余裕もなく、町の人々は逃げ惑う姿だけでなく、若い女性がレイプされそうになっているとか、とんでもなく地獄絵が展開されています。

issinji6.JPGその主要の陣があったのがここ、天王寺公園内にある茶臼山古墳。一心寺の真横にあります。古墳と言っても古墳であったか否かはまだ定かじゃないそうですよ。聞くところによると和気清麻呂がこの地域の整備に伴い、出てきた土をここへ盛ったと言う話もあるんですよね。この赤い橋、その名も「わけばし」と言います。「和気橋」と書きます。
この茶臼山は冬は徳川、夏は真田が陣を張っていた場所ですが・・・。
issinji7.JPGこんな看板が立っていました(笑)
なんともコメントしようのない絵、ですけどね(笑)





「荒陵」と書き「あらはか」と読むのですが、この周辺を昔はこう呼んでいたそうです。これはたぶん、この茶臼山を指していたのでしょうかね。
四天王寺の別名は「荒陵寺」と言うのだそうですよ。
余談ですが、最近の発掘で四天王寺は最初玉造にあったようです。それがこの地に移転されたようですね。

てなことで・・、こんなものでしょうか・・・?
まだ、書き忘れている気もしますが、まぁ、それはまた機会があれば・・・。

issinji9.JPG



追加です(苦笑)

茶臼山の傍にある北朝鮮在日仏教連盟が管理する統国寺と言うお寺があるのですが、大阪では老舗料亭と言われる阪口楼の隣のお寺ですね、ここに意外なものを発見しました。
issinji10.JPGベルリンの壁です。

平和を願ってここに置かれているのですって。こんなものがここにあるとは思いませんでした~。
 

 

【2009/04/10 18:10 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
なにわ人形・芝居フェスティバル
20090306112724.jpg今年もこの季節になりました。上町台地夕陽丘周辺で毎年4月の初めに行われる子供のお祭りです。
ワンコイン(500円)でフリーパスのバッチを購入し、この周辺の建物を貸し切り、人形劇や子供向けのお芝居が公演され、子供が遊べる出店も出店し、今年で13年目。

一心寺が中心に行っている行事のようで年中行事の一つになってました(笑)

一心寺HP→クリック

ningyo4.JPG子供が自由に参加できるお芝居や、

ningyo5.JPGなりきり真田隊など

毎年ここへ訪れる子供が増えている感じがします。
少子化が訴えられていますが、このあたりではどうなんでしょうね。もっとも昔から義務教育の間だけ、上町台地に住む親子が多い現象があります。
今も変わっていないのかもしれませんね。その証拠に私の住む街も子供たちが多いです。
私学に入れるより安い公立の小中学校に行かせたいのはどこも同じ。しかし、安全で環境の良い小中学校は限られています。
ですので、集中するのでしょうね。

子供たちのお祭りですが、最近では年齢関係なく見に来られる方が多くなっているようです。
ningyo1.JPG伝統芸能もお寺の中で開催されており、お年寄りには懐かしい光景も目にできます。それに、人形劇と言うのはいくつになっても面白いもの(笑)有名な童話を原作に演じられていることが多いですし。
500円で開催されている全ての芝居も見れますしね~。





この日はもう一つイベントがありまして、一心寺と言うのはHPでご覧に頂ければ解りますが、傍に茶臼山と安居天神があります。
大阪でこのあたりの大きな歴史的事実と言えば、大坂夏の陣。

ninryo6.jpg慶長20年(1615年)5月6日、豊臣の血を完全に絶やすために行われた戦乱です。
冬の陣では徳川の陣があった茶臼山、そして夏の陣では茶臼山に陣を置いたのは真田幸村でした。
彼の活躍は大阪では『難波戦記』と言う講談で人気を得、その後「真田十勇士」と言う架空の人物まで生みだし、今も人気を持続させています。
その激戦地であったのがちょうどこのあたり。
幸村は徳川家康にあと一歩と言うところまで近づき、安居天神で休んでいるところを討たれて絶命しました。

ningyo3.JPGninryo7.JPG一心寺からは徳川隊、茶臼山からは真田隊が登場し、一心寺の仁王門前で一発触発(笑)







そこへ登場するのが一心寺の和尚様(笑)両方に諌めこの場を収めさせ大団円を迎えさせるというお芝居が行われました。和尚さまは本物ですよ(笑)なかなかの演技達者。

ningyo2.JPG最後は仲良く記念写真でございました(笑)
しかし、幸村役の方、奥様なのか必死でビデオを片手に撮影をされているのは良いのですが、思いっきり見ている方には邪魔な存在でしたわ(苦笑)毎年やっているのですから、少し周囲に気を配った方がよろしくてよ。


この周辺のコラムはまた後ほど。
【2009/04/09 15:22 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
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