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【2024/05/20 06:44 】 |
適塾

NHKで「~浪花の華~緒方洪庵事件簿帳」なるものが放映されていますが、ちょっと見続けている私です(笑)
もともとこれは娯楽小説なんですよね?
築山桂さんの著作で「緒方洪庵浪華の事件帳 (双葉文庫)」と言うのですね。

緒方洪庵の事件簿??

最初見た時はそう疑問に思ったんですが、「娯楽小説」だと解り、気軽に見ていると大阪商人と武士との関係なんかも盛り込まれていて、なかなか興味深いものです。

緒方洪庵と言えば、「名前は聞いた事があるけど、誰だっけ?」と言われる方も多いかも・・・?
彼は簡単に紹介しますと医者・蘭学者・塾長です。
時は幕末。
岡山で生まれ、大阪にやって来て蘭学を学び、「適塾」を開いた方です。

多くの塾生がおりましたが、その中には福沢諭吉・大村益次郎などの著名人も名を連ねております。

その「適塾」は大空襲にもみまわれず、奇跡的に助かっておりまして、現在大阪では貴重な遺構となっております。

tekijyuku.jpgこれがその「適塾」(重要文化財)
大正時代に道路拡大の為にここへ移されたんですが、その後、緒方家から大阪大学に建物が寄贈され、今も大阪大学が管理しております。
ので、ご紹介出来る写真はここまで(笑)
この中の写真は大学の許可がなければ公には使用出来ません。ここが一般公開されたのは今から29年前からで、わりと最近ですね。
建物は大阪町屋の様子がよく分かる造りですが、なかなか日の取り入れ方が良くて中はとても明るいです。
特に二階にある塾生の部屋はかなり明るいですね。
塾生達は主に蘭書の会読の教育をなされていたようですが、ここに残るその時に使用されていた蘭和辞書「ヅーフ辞書」は全巻揃っていないにせよ(二巻足りない)、貴重な文献。その辞書は一部屋に設置されており、当時塾生達は奪い合うようにしてこの辞書を使用していたらしく、この辞書が置かれている部屋を「ヅーフ部屋」と呼んでいたそうです。

tekijyuku1.jpg緒方洪庵の業績としてあげられるのは、洋学研究者の第一人者で、数多くの蘭学本の翻訳を手がけております。
「扶氏経験遺訓」はベルリン大学教授フーフェランドの内科書を翻訳したものですが、その巻末に「人の為に生活して己の為に生活せざるを医学の本体とす」と書かれてあります。
本当に、時折、これを忘れていませんか?と言いたくなる事の多い昨今、「忙しそうだから、へんぴだし、不便だから」と医者の多いはずの日本が中央に集中し、なおかつ楽な医療に走る人が多いのか、必要な場所では慢性的な医者不足日本です。
そして忘れては行けないのは、当時、蔓延していた天然痘の種痘を施し、天然痘の蔓延を防いだのもこの方です。
そして夏に流行るコレラの予防を呼びかけ、「虎狼痢治準」という本を刊行し、予防のためのノウハウを世間に訴えたそうです。

ここに来て、この適塾より興味をひかれたのが隣にあるこれ。aitama.jpg
これ、なんだと思います?
いや、建物なんですけどね(苦笑)一見したらお寺かな?とか思ったんですよ。大きいしね。しかし、門扉に廻ってビックリ。これ、幼稚園なんです。
大阪市立愛珠幼稚園。
大阪で一番古い歴史を持つ幼稚園で、日本でも三番目に古い歴史を誇る幼稚園です。そしてこの建物。木造園舎としては最古を誇り、今も現役という事でここも重要文化財となっております。
aitama1.jpg文化財の指定を受けたのは平成19年だったそうで、それに伴う見学は去年の秋で終了していました。
いやはや、早く気付いて見てみたかったですね。大阪のど真ん中でこんな幼稚園があって、ここで園生活が出来るなんて羨ましい限りです。
この建物が出来たのは明治34年だそうです。

 

 

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【2009/01/25 20:39 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(6) | トラックバック()
難波の奇祭・「どやどや」
doya.jpg


かけ声からこの名前が付いたという、四天王寺「どやどや」
昔はそんなかけ声だったと言う事でしょうか、耳を澄ませていたんだけど「わっしょい」にしか聞こえませんでした。

追記:「どやどや」と押し寄せる音からそう呼ばれるようになったと言う話もあるそうです。

毎年お正月に旧年の悪習を正し、その年の吉祥を祈り、天下泰平・五穀豊穣を祈願する「修正会」の最終日となる本日・14日。
四天王寺では毎年「どやどや」と言うお祭りが執り行われます。

法要中に祈祷された牛王(ごおう)宝印と言う魔除けの護符を投じ、人々が寒中素裸になって奪い合うと言う古来からの習わしがあります。
昔は午後6時頃に法要が始まり、夜8時になってから護符が投じられたのですが、現在は混乱と事故を避ける為、一般の参加は出来なくなっております。
そして、投じられる時間も午後2時半からとなっています。
doya1.jpg

んじゃ、これは誰が?と思われるでしょうが、これが・・・、学生だったりするんです(苦笑)四天王寺と関係のある学校かな?幼稚園児も出ますが、圧巻は中高生。
ガンガン水がかけられ、もうもうと湯気が立ち上がり、その中で撒かれた護符を奪い合います。
横で、おそらく1年の時に参加したであろう高校生がおりまして、幼稚園児が出てきた時
「水は・・・、撒かんよな」
「それはやったらあかんやろ」
「人道に反する」等と申しておりました(苦笑)

その後で、
「親に見に来られるほど、恥ずかしいものはない」
「来たら、死ぬって・・・」
とも(笑)

しかしながら、私の前にいたご婦人達は明らかにご家族。
本人が通ると拍手。

これは・・・、かなり恥ずかしい(苦笑)

そう言えば息子の友人が昔、
「強制やねんで!あんな恥ずかしい事二度と出来ない」と言っていた事を思い出しました。
中には5-6人の留学生も。
彼らはふんどしになる事に抵抗は無かったんでしょうかね~(笑)

牛王宝印は柳の木に挟まれ、行事が終わると1本1000円で売られます。
昨年の悪習・・・、少しでも良い方向にと私も1本購入致しました。

牛王とは、一番解りやすいのは京都の「祇園祭」でしょうか。
あれはこの神様のお祭りです。
又の名を牛頭天王と申しまして、スサノウと同視される事もあります。
詳しくはウィキペディアでどうぞ→クリック
【2009/01/14 18:38 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
お伊勢参り

お伊勢参りは江戸期、なにわでも大流行で、落語のネタにも多いに用いられていました。
最近、お伊勢さんまで歩いて廻るというのが地味に流行っていて、とうとうこんなものまで発見しました(笑)
これは産経新聞が出しているサンケイ旅行。
観音霊場33番目ぐりの如く、日を変えて行くのですね。
それにしても歩いていくのにこの値段は??
お昼代にしても高いなぁ~。
なんか体力のメンテナンスとかあるのかしらね。
ツアー同行者にかかる値段かしら・・・。
各地から玉造稲荷までバスで?
玉造稲荷の方が徒歩数分という人間には高すぎる(苦笑)

玉造稲荷の事はこちらへ→稲荷のお話し1稲荷のお話し2
【2008/12/16 15:06 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
縁の下
「縁の下の力持ち」と言う言葉があります。大阪では「縁の下の舞」とも比喩されます。
その語源となったものを22日に見て参りました。

22日はあいにくの雨、「こんな事はかつて無かった事です」と司会の方が申しておりました。司会?違うな、教授というか歴史研究者?そんな方でした。
その前代未聞の状況下で私は初めて「縁の下の舞」なるものを見てきました。


場所は大阪四天王寺太子堂。
経供養の為の行事です。
本来は横の庭で執り行われる行事でして、太子堂の縁の下で舞われるのでこう呼ばれているのだそうです。
そして、言葉の語源となった意味は、高貴な方はお堂の中にいらっしゃり仏行事を執り行っており、その華を添える為に庭先で舞楽が舞われた。
当然、高貴な方々の目に触れる事もない位置での舞楽ですので、こう例えられたのだそうです。
この舞は元々非公開の舞楽でして、その所為で世間にあまり知られることなく時を刻んで参りました。しかしながら近年、舞楽の保存も兼ねて公開されるようになり、一般市民の皆様にも無料でご覧頂けるようになったとおっしゃっていました。

今年の舞は「縁の下」ではなく「堂内の舞」になっておりました(笑)
静寂な堂内に朗々と響き渡る僧侶たちの声明。これがまた耳障りが良くて眠ってしまいそうです、もとい、荘厳なイメージを湧かせます。
良い声をなさってましてね~、皆さん。
どのくらいいらっしゃいましたかね~、ザッと10人はいらっしゃって居ました。その数で一斉に声明を唱えるのですから凄いですよ。
まぁ、後半「錫杖」をジャランジャランと鳴らされましたので眠気も覚めますが(苦笑)元々、そういう意味もあるそうです(笑)

声明の合間合間に舞われるのが舞楽でして、全部で4演目。

最初は場を清めるという意味合いで金銀の鉾を振り回して舞われる「振鉾(えんぶ)」二人舞。
いやはや、堂内でのこれは少々きつそうでした(笑)
ヘタに振り回すと天上からつり下げられてある、あれはなんというものなのでしょう、金飾りの笠?あれに引っかけてしまうわけですから(苦笑)
しかも舞台が室内なので坊様達と面位置の高さですから、足を振り上げるのも気を遣いながらの作業でした。坊様達も「おっと」という風に身体が傾ぐ(苦笑)

次の演目二種は「春庭花(しゅんていか)」「承和楽(しょうわらく)」
どちらも4人舞です
この二つは王朝時代の武官の衣装で舞われる舞でして、どちらも菩提成仏を祈るものです。

衣装を見つつつ、つらつら思っていたのですが、雅楽の衣装というのは派手なようですが実は実にセンスが良い。
無地の生地に小紋が点在した色違いの衣装を重ね合わせているだけですのに、品良く華やかに見えます。
そして束帯姿の武官の冠。
京都・葵祭でも思ったのですが、その時代、頭に生花を挿すのは女性ではなく男性の方でした。
季節折々の生花を頭に刺して着飾っていたわけです。
「万葉集」の中にもあったように思いますが、歌が出てきません(苦笑)
ゆりの花を頭に刺しながら、仲間同士でお酒を酌み交わしていたと言う内容でしたっけね~。
この日の花は小菊でした。

そして行事は滞りなく終わり、最後はまぁ、お開きですから気楽にと言う意味合いも兼ねて、もう一演目が舞われます。
これは毎年違う演目になるようですね。
nasori3.jpg今回は「納蘇利(なそり)」
納曽利とも書くそうですが、頂いたパンフレットにはこう書かれてありましたので、蘇と書きます。
雌雄の龍が昇天する様を舞っていると言われており、二人で舞われます。






ran.jpgこの演目は人気なのか、一番人気の「陵王」の番舞(つがいまい)としてもよく知られているのだそうです。
場所によっては1人で舞われる場合もあるそうですが、二人で舞われるのが正しいのだそうです。






nasori2.jpgまぁ、堂内で舞われる舞楽というのもなかなかおつなものでしたが、ただ、雅楽の楽器の音色というものは、今回の場合かなりの人数の楽士たちがおりましたもので(20人はいたような・・・)、堂内ではちょ~~~っとうるさいかも(苦笑)
なにせ、お経なら浪々と響くに持ってこいな訳ですが、雅楽の音楽では響きすぎて乱反射のように音が飛び交います(苦笑)
今度は外で見学したいです(笑)

ちなみに、堂内なので写真撮影は常識的にもダメですし、そうおっしゃっていましたが・・・、気にしないで写しまくりな爺様ばあさまおばさまおじさま方・・・(汗)
ほんと、行儀が悪いのは若者ではなくこの人達の方が多い事に良く遭遇し、悲しい気持ちになりました。

ran2.jpg四天王寺では1年に3回舞楽を見る事が出来ます。
この図で日にちが解りますので、参考にどうぞ。
よく分かるようにちょっとファイルが重いのでよろしくです~。
【2008/10/23 19:14 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
大阪城上田城友好城郭イベント2008年版


11日
ゲーム戦国BASARAかと思うような衣装に身を包み登場した真田幸村ミュージカル(OSK)の幸村様

o2008-1.jpg



上田からお越しの陣太鼓の幸村様

o2008-2.jpg

 


最後は大団円(笑)

o2008-3.jpg



12日
声だけ聞いているともっと若いと(失礼)思っていた「踊るシジフォス!1615」のエンディングテーマを手がける リピート山中さん。

o2008-4.jpg



大阪城鉄砲隊の演舞。鎧と鉄砲で己の体重越えするという重さを身に纏っての演舞でした。
今年も小さな子供が大泣きの一幕が(苦笑)

o2008-5.jpg



こうして大阪城は暮れていきました。

o2008-6.jpg



 

【2008/10/12 17:22 】 | 大阪コラム | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
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