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【2025/04/20 18:36 】 |
いつもの風景が輝くとき

生まれた場所が己と言う人間形成の土台になっているという事、考えた事ありませんか?
大阪と言う場所に住んだ事が、自分の趣味や考え方に大いに影響を及ぼし、今日に至っていると私は確信しているのですが、もちろん、育った家業(表具師)の影響もあるのはあるのですが、手を伸ばせばすぐに手が届く場所に、歴史が転がっており、美術品があふれており、自然もあふれている。

改めて考えると、凄く恵まれた場所に住んでいた事を感じます。
京都・奈良・兵庫・滋賀・和歌山。
歴史の舞台に何度も中心的存在となった地域で、美術品もあふれんばかりに存在している。
そんな場所に何処へ行くのも同じ時間で(約1時間弱)で行ける場所が大阪です。
もちろん、大阪もまた古い歴史に包まれた街です。

asyura.jpgどうしてこんなことを書いたかと言いますとね、東京で開催されていた「阿修羅展」
えっと、まだやってましたっけ?
長蛇の列で連日大反響だそうで、その影響か、仏像大ブームなんですってね。

「イケメン仏像・阿修羅」と呼ばれているそうで、以前にも書きましたが(阿修羅記事)去年から月2回ほど奈良に通っている所為か、こう、お馴染みな仏像がこんなにも影響力のある凄い仏像だったんだと、改めて知ったせいです。
きっと奈良にお住まいの方など、それ以上に同じような感情を抱いたのではないでしょうか。
そこにある「日常の光景」は本当は実に凄い事なのに、あまりにも日常すぎて、無いという事ばかりに違和感が先行しているって風に。


「初めて後ろまで観れるんです」と、東京での展示状況を聞いていたんですが・・・・、前にも書きましたが、阿修羅像、昔は普通に360度観れていましたよね?どなたか覚えてらっしゃらないでしょうか?しかも単独で中央の阿弥陀様の前面に展示されていたことがあったはず。
子供のころから度々通っていたので、それがいつの間にか壁側のショーウィンドーに飾られるようになって・・・。

今回、60年ぶりの巡業(苦笑)なのだそうで、奈良へのお戻りは秋が終わらないとダメなんだそうです。
この背景にはきっと興福寺復興事業も、あるんだろうなと・・・。

さて、阿修羅の表情を以前NHKが分析をしていましたが、これはこの阿修羅の成長を3つの顔に描いていると言われています。
反抗し、悩み、そして何かを覚悟する表情。
これが3つの阿修羅の表情です。
前面に見える阿修羅は両手を前で合わせ、何かを覚悟し、心の解放を求めるかのように少し眉を寄せて人々の前に立っています。
つらい経験から解脱を悟り、彼は今まさに一歩前に進もうとしているようでした。

仏でありながらこれほどまでに身近に感じるのはたぶん、こうした彼の表情が実にリアルだからでしょう。
同じような経験をした人が彼の前に立つと、引き寄せられるかのように思わず彼を真似て両手を合わせてしまう。
阿修羅と共に一歩前に進みたくなるのかもしれません。
彼は八部集ですが、共に仏の道を寄り添って歩んでくださる、観音様と同じにおいがします。

阿修羅が天平時代から現在まで存在できた大きな理由に、その製造方法が挙げられています。
乾漆造と言いまして、粘土で作った像に竹ひごの枠組みと、漆を塗った布を張り付け、その布が完全に乾いた時点で、中の粘土の像を割って外に出し、中を空洞にします。そこへ、漆と木の粉を混ぜたもので肉付けをしていく手法でして、漆が高価だったという理由で天平以降、あまり作品例がない製法です。
しかし、このような作り方をしておりますので、軽いんです。
ですから何度も火災にあった興福寺ですが、阿修羅像はその度にヒョイッと担いで脱出させられており難を逃れたようです。

ああ、だからでしょうか。
昨今、仏像の盗難事件が相次ぎましたが、ヒョイッと担いで持って帰られては一大事ですからね~。厳重な管理体制が引かれたのもうなずけます。

阿修羅ブームはこんなサイトを作ってしまったようです(笑)→クリック

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【2009/05/27 14:11 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(5) | トラックバック()
スタートレック

始まりますね~。
いや、上映開始日が近づいてきたって事ですが。

初代スタートレッククルーの過去と言うか、成り立ちの話なんですね。
人気ドラマだった為に、このネタはハリウッド最期の切り札なのかと若干思ったりもしました(苦笑)
低迷が続きすぎていて、もはや日本の漫画やアニメまでも脚本を見出だし、先ごろでは「おくりびと」の事もあって、日本映画の製作費を援助してハリウッドを盛りたてようとしているようだと新聞にありました。

しかし、キャスティングは違っていても非常に気になる映画。
若いころ、よく見ていましたから~。<ドラマの方(邦題「宇宙大作戦」)

映画館でエンタープライズの大写しを見た時、ドキドキしましたよ(苦笑)
大きなスクリーンでエンタープライズを見れた!って。
それだけなんですが(苦笑)

 YouTubeがワイド版なもので、画面が乱れております事お許しください。

勝手に幅を変えて表示。どうしても気に入らなかったもので・・・。

注:これ以降は、お遊びですのでお気をつけて。
初代キャスティングのイメージを壊したくない方は見ない方が。

【2009/05/26 12:36 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(22) | トラックバック()
レッドクリフ2
「レッドクリフpart2」を観てきました。



いつもながらギリギリにしか観に行かない我が家です(苦笑)
盛り上がっているときに行くと観れない事が多いので、できる限り下火になってから行くと言うせこい我が家です(笑)

始まる前にジョン・ウー監督のメッセージが流れ、親愛なる日本の皆さまから始まり、不況で苦しんでいるでしょうが、希望を捨ててはいけません。どんなに逆境であろうと人は知恵と勇気で打破できるものですと言ったような内容でした。
確かに、絶対に勝てないだろうと思われた連合軍は赤壁において圧倒的な戦力を誇る曹操軍を打ち破った歴史がありました。
この話のメインはそこにあると思うのですが、私はずっと観ながら別の事を考えていました。

「戦争は人を憎むのではなく、『戦争』そのものを憎め」
と、よく言われていますが、その意味、なんだか初めて本当に理解できたような気がします。
この映画の内容は、正直ありふれたエピソードで使い古されたものではあったのですが、なんだか、きっと自分の精神状態が大いに関係してきたのだと思うのです。
各国が己の正義のために戦う『戦争』は、兵隊一人一人に悪はなく、『戦争』と言う舞台があって、互いの正義を貫いた結果、罪のない人の人生そのものを終わらせてしまうと言う事実の恐ろしさがあります。
だからこそ、終わった後のむなしさや罪の重さに苦しむわけですよね。

ただ、この映画の中で小喬が言っていた事ですが、なみなみと注がれたお茶が器からあふれ出すさまを曹操に見せつけ、
「あなたは欲を出しすぎた」と言ったんです。
上に立つ人間の「欲」が何万人、何百万人の尊い命を犠牲にしていくわけです。
曹操も最初は正義だったに違いありません。それが連勝で慢心し、欲を出しすぎ、大事な事を忘れて行かせる。

それは日本の戦国武将にも言える事で、武将を抱えることで恩賞にしていた領土が狭くなり、その恩賞を与えるために領土を広げようとして戦を起こす。
結果、もっと領土が欲しいと不満が広がりさらに領土を広げるために戦を繰り返していく。

もちろん、あのホトトギス三人衆は最初は本気で「平安」を望んでの天下統一だったのかもしれません。
しかし、人の欲と言うのは尽きることなく、信長は裏切りでこの世を去り、秀吉は日本の領土では手狭だと朝鮮出兵を行ってしまった結果、多くの人材を失ったわけです。この二人の基盤に乗っかった形になった家康は一見、一番「平安」を確立したかに見えましたが、彼は誰も信用する事が出来なかったという、さみしい最期を迎えました。
日本は家康によって250年あまりの戦のない時を得ましたが、その実像は一部の人間だけの反映に近かったでしょう。力がありそうな武将の財産をできるだけ使わせて私財を減らせていく方法は、地方に住む一般人をも苦しめていたのですから。

話はそれて行きましたが(汗)

結局、上に立つ人間の欲から生まれるとしか思えない『戦争』の悲惨さを、ずっと3時間近くあった上演時間中感じていました。

もっとキャラクターの凄さを感じて感想にすればよいのでしょうが(苦笑)
それはたぶん、多くの人が述べている事であって、あえて私が書くこともないだろうと思ってこんな内容にしてしまいました。

レッドクリフ2
いろんな意味で考えさせられる映画でした。
1024a.jpg

【2009/05/24 12:51 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
耳につくCM
一度聞くと、どうしてもリフレインしてしまうCMとして、以前ニュースで取り上げられてあったロッテのCM。




私の世代だとどうしても・・・。

ワーオワーオワオー
ボバンババンボン ブンボバンバババ
ボバンババンボン ブンバボン

いつもおいらは泣かない
どこまでも 燃える命
ガッチリつかむぜ太陽
嵐はまた来る

唄えよケン
叫べよケン
太陽に届くまで
泳げよケン
ジャンプだケン
走れ狼少年ケン

の方を思い出してしまいます(苦笑)
【2009/05/19 20:36 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
四天王寺で授戒

5月4日

四天王寺で授戒灌頂を受けてきました。
四天王寺の説明を引用しますと、「授戒とは、仏弟子になることを誓い、心身のあ
やまちを防ぐための戒律を授かる儀式で、灌頂とは、授戒を受けた者が、頭に仏の法水を頂くことによって仏になるという密教の儀式であります」

早く言えば即身仏と言う事ですが、まぁ、死んでミイラになり永遠に仏に仕えると言うわけではなく、在家の仏弟子と言った事でしょうか。

僧になる時『得度』すると言いますが、この授戒を受けて僧侶の資格を得るんです。授戒と言えば思い出すのが鑑真和上ですが、聖徳太子の頃、仏教伝来とともに授戒も伝来しておりまして、聞くところによると当時は極秘に公開されないで為されていたそうです。密教系の匂いのする授戒儀式は怪しきことこの上ない作法でした(笑)

詳しく書くのははばかるので書きませんが、薄暗い場所で丸一日儀式と作法を執り
行います。食事も作法に則って頂くわけです。

四天王寺五智光院と言う場所で授戒を受けます。
この建物は大空襲にも見舞われなかった建物で、豊臣秀頼が寄進した建物です。
その為、重要文化財となっている御堂です。

なぜ授戒を受けたかと申しますと、実は戒名を頂けるんです。
ただし、三回以上受けないと○○院○○○○居士(大姉)と言うところまでは授か
らないのですが。

以前は泊まりがけの二日修行だったようですが、現在では日帰りとなっておりました。

主人と主人の妹夫妻と共に行ってまいりました。
毎年このGWにあるので、少なくとも3年は通うことになります。

戒名と言うのは死後、院号だけで4-50万は必要となります。
実にお高い。
自分の死んだ後始末にかかる費用くらい、自分で出したいですからね。
ちゃんと授戒して死んでいきたいかなと、主人と話しておりました。
実は主人の両親、私の両親共に、授戒をして戒名をすでに頂いていたため、慌てる
事なくすぐに白木の位牌に戒名を入れる事が出来たのですよ。
それでなくともパニックが起きそうなほど様々な準備の必要な葬儀。
これだけでも大分助かりました。

今回頂いた戒名は二文字。
来年行くと全部で4文字。
3年後にはそれに院号の3文字が付き、戒名が完成します。

受けにくる人はやはり60代以上の方がほとんどで、中には25年目と言う方もいらっしゃって、いったい幾つから授戒を受けているのだと驚いておりました。
私の年齢で始めて76歳と言う事だと、出来ない事はないけど、そこまで帰依しな
いかもと(苦笑)
しかし、母親に連れてこられたのか20代の女性も一人いらっしゃって、きっと、思
うところがあったのか、あるいは僧侶の娘さんなのかと色々考えてしまいました。


さて、在家の仏弟子とはなんぞやと思われる方が中にはおられるかもしれません。

例をあげると聖徳太子ですね。
聖徳太子と言う名前は戒名ですので、本当は厩戸皇子、あるいは豊聡耳(とよとみ
み、とよさとみみ)、上宮王(かみつみやおう)ともいわれますね。

得度したけど僧侶にはなっていない人の事です。

維摩経と言う経典があります。
これは維摩居士(居士とは在家の仏弟子の事)の事が書かれてある御経です。
聖徳太子はこの維摩居士の生き方にあこがれて、在家の仏弟子となったと言われて
います。

維摩居士の事についてはまだうまく消化できないので(苦笑)説明が出来ません。禅の極意に近い部分があって、なかなかどうして、私なんぞには理解しがたい部分が多く、簡単に書けません。

精進するのは一生かかりそうです(苦笑)

o-ten_hoka5.jpg

写真は本坊。ここに集まってから五智光院で潅頂を受けます。

 

【2009/05/09 18:47 】 | 戯れ言 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
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