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ご存じかも知りませんが、押井守さんの「攻殻機動隊」が実写映画化するのですってね。
記事→● スピルバーグ監督が一枚噛んでいるようですが、期待出来るのでしょうかね~。 こんな配役を見つけて笑ってしまいました(笑) セガールがぁ~!(爆) PR |
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両親の墓参りに土曜日に行きました。 まぁ、色々報告もあったし、お願い事もあったし・・・、いや、怒られたかったのかも知れませんね。 死んでもまだ心配ばかりかけている悪い娘です(苦笑) 両親の墓は奈良にあります。 近鉄電車に乗って奈良に向かうのですが、いつも漠然と感じていた事が唐突にクリアになりました。 生駒トンネルを抜けると奈良です。 生駒トンネルは黄泉へと続くトンネルだと感じたんですね。 黄泉というか太古へ繋がる道? まぁ、そんな感じです。 このトンネルと抜けると心が現世から軽く離れるのです。 以前、奈良に大陸的な風がながれるとこのブログで書きましたが(→●)そんな奈良は私にとって太古で黄泉で、つまり自分の原点だったのではないかと思ったんですよ。 心が辛い時、古いものの好きな自分はいつも無意識に奈良に行っているのです。 そこは父の故郷で、私自身も小さな頃から訪れている場所で、自分にとって優しい時間を共有出来た場所でもあったわけです。 決して雅では無いかも知れないけど、丸ごと自分を受け入れてくれるおおらかさが欲しくて行くんだろうなと思うようになりました。 とある番組でキンキキッズの堂本剛君が言っていたんですけど、 「奈良は空が広い」と。 なるほどと思いました。 大きな建物の多い奈良の建造物、そして平城京跡に見られる広大さ。 そこには京都にない文化的な建物の姿さえ遠くに見えてしまうほどの広さがあって、空を見上げると広いんです。 だからこそ、風が走っていくんです。 農家のまだ残る地域の中に立つ寺院。 遠くからでも見える五重塔。 空が広い。 本当に広く感じます。 なのにそこに確かな文化があって、秋に行くと黄金に輝く田畑から反射する光が神々しくも思えます。 いつまでも路傍に座って風と空を感じていたくなります。 愚かな自分でも大きく手を広げて迎えてくれるような・・・・。 奈良そのものが極楽浄土ではないかとさえ思える時もあるのです。 そして十分癒されて私は再び生駒トンネルを抜けて現世に戻ってくるのです。 見上げるとツバメがいつの間にか飛んでいました。 ツバメはその昔、渡り鳥とは知らなかった昔の人が、ツバメはあの世から来る使者だと信じられていたそうです。 渡り鳥なんだと分かっているのに、コッソリ、ツバメにお願いしている自分に苦笑しながら家路へと向かいました。 *奈良にお住まいの方へ 「黄泉」という表現を使った事お詫びします。私の中で「黄泉の国」というのは松尾さんがおっしゃるとおり「魂の帰る場所」という意味として理解していましたので、決して忌み嫌われる場所では無い事をご理解下さい。その場所は誰しも戻る故郷のような場所で、一生懸命生きて、そしてご褒美で戻れる、人として大事な故郷なのだという意味です。奈良の温かさがそんな風に私に感じさせてくれるのです。感謝しています。ありがとう御座います。 |
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いや~、懐かしかったです(笑) |
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山上憶良(やまのうえのおくら)
一度は聞かれた名前なのではないかと思えます。 万葉歌人でその名前が後世に残っておりますが、彼は大友家持の家庭教師で、県知事もしていて、同時に裁判官でもあった人でした。 遠く都を離れて福岡県にいた人ですが、とても感受性の豊かな人だったようで、彼の残した歌は、貧困に喘ぐ人々に同情しなんとかしようとしている姿とか、家族を思って残した歌などが多く残っています。 特に子煩悩だったようで、子供に対する歌も少なくはありません。 世の人の 貴び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も我は 何(なに)為(せ)むに わが中の 生まれ出(い)でたる 白玉の わが子 古日(ふるひ)は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は 敷妙(しきたへ)の 床の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども 共に戯(たはぶ)れ 夕星(ゆふつづ)の 夕(ゆうべ)になれば いざ寝よと 手を携(たづさ)はり父母(ちちはは)も 上は勿(な)下(さか)り 三枝(ささくさ)の 中に寝むと 愛(うつく)しく 其(し)が語らへば 何時(いつ)しかも 人と成り出でて 悪(あ)しけくも 善(よ)けくも見むと 大船(おほぶね)の 思ひ憑(たの)むに 思はぬに 横風(よこしまかぜ)の にふふかに 覆(おほ)ひ来(きた)れば 為(せ)む術(すべ)の 方便(たどき)を知らに 白妙(しろたへ)の 襷(たすき)を掛け まそ鏡 手に取り持ちて 天(あま)つ神 仰ぎ乞ひ祈(の)み 地(くに)つ神 伏して額(ぬか)つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり われ乞ひ祈(の)めど 須臾(しましく)も 快(よ)けくは無しに 漸漸(やくやく)に 容貌(かたち)くづほり 朝な朝な 言ふこと止み たまきはる 命絶えぬれ 立ち踊り 足 摩(す)り叫び 伏し仰ぎ 胸うち嘆き 手に持てる 吾(あ)が児(こ)飛ばしつ 世間(よのなか)の道 この歌を聴いた時、子供に先立たれた親の悲しみがヒシヒシと伝わってきて、思わず泣いてしまいました。 意味は、 「世間の人が貴び欲しがる七種の宝であろうと、私にとって何になろう。私たち夫婦の間に生まれてきた白玉のようなわが子古日は、明けの明星が輝く朝になっても、白い布を敷いた寝床を離れず、立っていても座っていても私たちにまとわりつき、宵の明星が出る夕方になると、さあ寝ようと手を取って、父さんも母さんもぼくの側から離れないで、三枝のようにぼくが真ん中に寝るよと、かわいらしくあの子が繰り返し言うので、早く一人前になって悪くも良くもその将来を見たいと、大船に乗ったつもりで頼りにしていたのに、思いもかけずすさまじい風が突然に襲ってきて、どうする方法も手段も分からず、白い布のたすきをかけ、まそ鏡を手に持ちかざして、天の神を仰いでは願い祈り、地の神に伏して額をつき、病気を治してくださるとしても治してくださらないとしても、すべては神の思し召し通りにと、立ち上がって狂ったように私は願い祈ったが、しばらくも快方に向かうことなく、だんだん元気がなくなり、日ごとに物も言わなくなり、命が絶えてしまった。飛び上がり地団駄を踏んで叫び嘆き、地に伏し天を仰いで、胸をたたいて嘆いたが、掌中にいつくしんだわが子を、横風に飛ばされて失ってしまった。これが世の中の道なのか。」 先立たれた事を幾ら悔やんでも、もう二度と腕の中には戻ってくれないぬくもり。 寂しくてどうか過去に戻ってもう一度と、何度繰り返す事か。 親が出来る事は子供の行く末を神に祈る事のみになってしまうわけです。 せめて迷わず、ちゃんと浄土に行けるよう、願う事しか出来なくなります。 若ければ道行き知らじ幣(まひ)はせむ黄泉(したへ)の使(つかひ)負ひて通らせ 「まだ幼いので、黄泉の国への道が分からないだろう。贈り物をするから黄泉の国の使よ、どうかわが子を背負って行ってやってください。」 布施(ふせ)置きてわれは乞ひ祈(の)むあざむかず直(ただ)に率(ゐ)去(ゆ)きて天路(あまぢ)知らしめ 「お布施を奉って、私はお願いしお祈りします。別の道に誘うことなく、まっすぐ連れて行って、天までの道を教えてやってください。」 祈ってもまだ祈り足りないから、出来るだけのお布施をするから、なんとしても浄土に連れて行ってやって欲しいと願う気持ちは壮絶です。 こんな事になるのならもっともっと甘やかせば良かったと、そんな後悔も偲ばれます。 死なれてしまっては、親などなんにも出来ないのだと、そんな声すら聞こえるようでした。 |
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もう、始まってひと月は経とうとしておりますが・・・(汗)
各地で色々やっているようですが、ここも凄いです(笑) 滋賀県・石山寺。→● ここは外せないのでしょうかね~。 京都府も負けずにこちら→● そしてこれを発動(笑)→● 何故かフランスではもの凄い本を制作しています。欠けている部分を世界中から集めて作ったという根性の入れよう。 →● 散策コースも提示 1のコース~。→● 2のコース~。→● 京都文化博物館では「源氏物語千年紀~恋、千年の時空を超えて~」が開催。 期間は4月26日~6月8日 詳しくはこちらで →● 皆様お楽しみ下さい。 |
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