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【2025/05/28 04:24 】 |
一つ松
幾代か経ぬる
吹く風の
声の清きは
年深みかも

NHKの番組で詠まれたこの歌は、「万葉集」の中の一つで市原王(いちはらのおおきみ)が詠んだ歌なのだそうだ。

「一本松はどれだけの時を経てきたのだろうか
こずえを吹く風が清らかで澄みきっているのは
深く歳月を重ねてきたからだろうか」

と言う意味らしい。

744年に詠まれた歌なのだけど、なんだかデジャブを感じている。

私は近隣にちょこちょこ出かけるのだが、長い年月を経て今もそこに十分な存在感と共に息づく巨木に出会うと、いつもこの詩とまったく同じ感覚を持つ。

kise-sakura_n5.JPG又兵衛桜と言うのがある。
後藤又兵衛と言う戦国武将の屋敷跡だったと伝わる場所に生えている桜である。
戦国なのでざっと400年は経っているのだろう。
後藤又兵衛と言う人物は、大阪夏の陣で戦死している。
しかし、生存説が残っており、彼は大阪の陣以降、ここ、奈良県宇陀郡で老後を送ったとされ、その彼の屋敷にこの桜が植わっていたと言い伝えられている。
有名になる前は田んぼの中に悠然とこの桜が立っていたそうだ。
400年の長きに渡り、ここの農民を見下ろしていた桜だったのだろう。
きっと目印にされていたのだろうと推測がつく。
今では公園になり多くの観光客がここへ押し寄せ、桜の傍まで寄ることは出来ない。
しかしその見事なしだれ枝を石垣の上から垂らし、花冷えを感じさせる風が吹き抜け枝を揺らす様を見上げることはできる。
地元のカメラマンが撮った四季折々のこの桜の写真が展示されていた。
花の咲く季節は人であふれるが、そうではない時期のこの桜は神々しいまでの存在感を見せ付けていた。

kise-sakura_n14.JPG同じ宇陀郡にあるこの仏隆寺の桜は更に古く、「千年桜」といわれている。
見に行くというより「出会いに来た」、そんな風に感じた桜だった。
見事な巨木に白に近い花を咲かせる。
花びらが参道の階段を埋めつくしてもなお、木々にはあふれんばかりの花をつけていた。
根元に大きな椿の木が寄生している。
その椿も含め、巨大な幹は雨でぬれたのか黒味を帯びた色をしていた。そのせいかもしれないが、花の白さが更に際立ち、傍まで行くとその大きさに思わず手を合わせてしまった。
千年もこの桜はここで立っている。
想像を遥かに超える。千年とはいかなるほどの長さなのだろう。
今から1000年前と言えば平安時代。
「源氏物語」が書かれた時代に近いのかもしれない。
そう考えると驚くほどの年月が経っている事が知れる。

最初に書いた歌は今から1264年前のものである。
当時にも樹齢の深い木々がもちろんあったのだろう。
しかしその感覚は、今も変わってはいない。

圧倒的な自然の力の前では、人は小さなものでとうてい太刀打ちなど出来ないものなのだと感じる。
清らかな声と表現するのは、この神々しさから感じる音なのだろうと推測される。
そしてその頃の日本は平城京から平安京へと移る激動の時代であった。
そんな中で、自然の偉大さを感じていた作者は、流れていく時代をどう捉えていたのだろうか。



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【2008/01/25 22:29 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(5) | トラックバック()
お札納めも終了2
kouzin1.jpg清荒神です。
台所の神様というか、「火」の神様なのでここの参拝客は非常に多いです。
でも、「年齢層が高い」参拝客でもあります。
「火」の神様は竈でしょ?
台所を牛耳ると言うのはその家の中を中心となって守る方なわけで、なんでしょうかこれ、いつまでもジジババが家を牛耳っていて若い夫婦には任せていないと言うことか、若い人が竈の神様を祀っていないかのどちらかって事でしょうね。

義母が元気な頃も、やたら張り切ってここに参拝に出かけて、必要以上の数のお札をたわって来たりして、毎年もめたことがありましたよ(苦笑)
「神様をそんなに貰ってきてどうするの」と言ってましたね~。
「だって、みんなにあげようとか思って」
神様など貰っても困るものです。
お祀りしていらっしゃるならともかく、いや、相手に「貰ってこようか?」と聞きもしないで買って来るというのは困るでしょう。
二重になることもしばしばで、相手さんも困り果ててらっしゃっていたわけで、その事でいつも私が謝っていました。
しかし義母の好意を無碍にも出来ず、「ありがとうございます」と言うしかなかったわけで・・・・。
そしてもう一つ、義母はたわって来るのですが古いお札を納めるという行為をしないことで、こんな(→●)状況になっていました。
ま、そんな思い出もありましたね~。

ここは山の上にあるのですが、参道は整備され沢山のお店や屋台がこの時期並びます。
参拝してから後はゆっくりとお店巡りをするのが楽しみの1つ(笑)
しかし、冒頭で書いたように参拝客の年齢が高いので、みなさん神社まで行くのが大変そうで。ゆっくりゆっくりと歩かれるのでそれに合わせていると時間がかかってしょうがない(苦笑)
そこで、少々この方々より若い私のような中年層の人間は人の波をかいくぐって追い抜かしながら小走りで登って行くわけです(笑)坂ですがそんな急な坂でもないのでトットと先を急ぎます。そして参拝をすませ後はゆっくりと降りていくのです。

清荒神はこの時期一方通行で、写真の正面は実は降りてはいけない道(苦笑)
本当は向かって右にある階段を更に登って元本堂の前から帰るようになっていますが、足のお悪いお年寄りなどは、ここまで登ってくるだけでも大変な道行きで、更に登って降りなければならないというのは過酷と言えば過酷。
これほどの参拝客が居るのだから、神社側としても出来たらスロープなどを考えて頂きたいなとも思ったりもします。
ああ、そうだ。
神社の傍まで車で来れるので、そこから来る人が多いのかも知れませんね~。
下から登ってくるのは私のように車を持たぬものとか、運転してくれる人が居ない方々かも。
100歳で天寿を全うした祖母がよく言ってましたっけ。
タクシーで駐車場まで行って貰って参拝をし、帰りはゆっくり降りてくるのだと。

「みんなゾロゾロ来よってからにぃ~」と苦々しく呟く60代の男性(苦笑)
「そりゃ、仕方がないだろう」とそれを聞いてコッソリ呟く娘(笑)

しかし、荒神信仰の信者の数は並ではありません(苦笑)
【2008/01/06 11:00 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
お札納めも終了1

uzi1.jpg我が家の氏神様
毎年来るのですが、真に毎年人が多い(笑)有名な神社ですからね~。古代信仰の形式を良く伝えている神様ですから、この背後に見えるお山そのものが「神」です。このお山に入ることは出来ますが、カメラなどは一切持ち込み禁止で、社務所に預けて登ると言う決まりがあります。そして、午後4時には閉山しますので、それまでに登って降りてくることも決まっています。
山の辺の道にありますし、万葉集でも有名な地域なので駅には「万葉集発祥の地」と言う文字がかかげてあったりもします(笑)

発祥の地ねぇ~、あれって短歌集でしょ?発祥とか関係あるのですか?
そう言えばBSNHKで万葉集の解説番組で1日一首を解説すると言う番組が始まりますね(笑)
万葉集をちゃんと勉強しようかと、遅まきながら考えています(笑)

uzi2.jpgお昼はここ「森正」

uzi3.jpg
ここのにゅうめんが大好きでして、ここで販売している柿の葉寿司もご飯が軟らかくて大好きです。奈良で有名な某柿の葉寿司店のそれは、ご飯が美味しくなくてあまり好きじゃないんですけどね~。
その後は恒例の屋台巡り(笑)屋台巡りは別腹(苦笑)



その後、時間もあることだし「安倍文殊院」に行ってみようと言う話になり、アバウトな親子ですので、山の方向を確認しただけで確かな位置も調べず歩き出しました(苦笑)
全く間違ってはいなかったのですが、右往左往で辿り着き、帰りも知らない道を「だいたいこっちだろう」と勝手に推測し駅まで帰って来るという・・・・、第三者が居たら絶対に嫌がるであろう道行きをしてきました(苦笑)

途中「土舞台」と言う場所に出たのですが、写真に収めるの忘れました(汗)
後で、ここは聖徳太子による、我が国最初の国立演劇研究所があった場所だそうで、「芸能発祥の地」として有名だと聞かされました。
やっばい、写真に写しておけば良かった(汗)

monjyu1.jpg文殊院と言えばこれ、金閣浮御堂。晴れていればもっと綺麗だったのかも知れません。
しかし、安倍文殊院という場所は本当に忽然と現れるのだと驚きました。民家が建ち並ぶ場所にもかかわらず、一歩中にはいるとこんなにも大きなお寺があるとはちょっとビックリさせられます。
丁度この日、ご本尊の公開がなされていまして、以前から一度は拝みたいと考えていた快慶作・文殊菩薩像を間近で拝ませて頂きました。
ここは日本三大文殊の1つでして、ここの文殊菩薩は日本最大級の文殊様。

monjyu2.jpgご本尊は仏様なので当然写真は禁止ですから、丁度ポスターがあったのでそれを撮してきました。獅子の背に乗る文殊様の美しいこと(笑)文殊菩薩は卯年生まれの守り本尊ですので、一緒に行った娘の守り本尊様です。
まぁ、金儲け主義的な雰囲気もあるお寺ですが、檀家さんを持たないお寺の事情もよく分かりますので、その辺りは目をつむって・・・(苦笑)

所でここは「大化の改新」時に左大臣を勤めていた安倍倉悌麻呂の氏寺として建立されたお寺と聞いたのですが、五ぼう星が・・・・。安倍晴明誕生の地と言う話になってます。
安倍晴明が何処で生まれたかは定かではありません。大阪の阿倍野にある「晴明神社」も彼の生誕地とされていますしね。
uzi4.jpg

とあるところでは、ここは「安倍」と言う名前のルーツとなっている場所で、安倍晴明はこの晴明堂にて天文学を行っていたという話があり、ここの傍にある古墳が彼のお墓だと言う話もあります。
お墓・・・、嵐山にもありますね~(苦笑)


uzi5.jpg



そしてお約束、葛の葉稲荷が存在していました。






こうして1日目のお宮参り(笑)は暮れていきました(チャンチャン)

【2008/01/05 19:30 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(5) | トラックバック()
沈鬱・・・。

kaiko.jpg


ここをご存じですか?
京都の神社で通称『蚕の社』と呼ばれる所です。
この特殊な三方鳥居は実は池の中にあったんです。
しかし、最近行くと池の水が無い!?
ビックリしましたね~・・・・。
丁度、近所の方がお参りにいらっしゃっていたので、聞いてみたんです。
「15年前でしたっけ・・・。この辺りで下水工事を行いましてね、水脈を切ってしまったようなんです。それ以来水が沸いてこなくなり、こんな風に枯れてしまいました。神社の前にあった池も枯れてしまい、今では埋め立てられて駐車場になっています」
ですって・・・。
無茶苦茶ショックでした・・・・。
15年前か・・・。そう言えば私が京都にたいして危機感を感じた時期でしたっけ・・・。
なんだか古い建物をドンドン壊して近代化を推し進めていた府長だったか市長だったかが居て、急速に京都らしさが消えていった時期でした。
おかげで観光客が半数以下まで落ち込んだそうです。

こんな所にまで影響があったとは・・・。

秦氏も墓場の影で泣いていることでしょう・・・。

【2007/11/11 17:49 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
雨、だったんですよ。
土曜日、雨だったんです。
旦那に留守を頼み、出かけることが出来たのですが、昼から上がるという話は何処へやら・・・・。
京都は朝から雨が降ったり止んだり・・・・。
まぁ、嫌いじゃないので良いんですが、『狩野永徳』を見に行ったのですが、あそこでは初体験の40分待ちをしてしまいました(笑)
雨の中、外で並んでいるのはなんともね~。
暇だったので、京都国立博物館の側面の窓に装飾されているものについて娘と談義。
「鷲かな?鷹かな?」
「なんでもないレプリカなんじゃない?」
唐草模様にも見えるけど、鳥にも見えるデコラを見ながらそんな会話。
近づくにつれ・・・・。
「ETにも見える・・・・」
「ガチャピン??」
もう、どうでもよくなっていました(苦笑)
行かれたら、右側面にある窓の装飾もご覧になって下さい(笑)

中にはいると規制がされていたせいか、そんなに混雑感は無かったのですが、皆さん「洛中洛外図」に夢中(笑)
あれはね~、近くで見てもはっきり言って見づらいです。
遠方から全体図を見ながら見たい部分を単眼鏡などで詳細を見るのが一番面白いです。
正直、狩野永徳の洛中洛外図は他のものより面白くないです。
これは足利将軍(または織田信長)が上杉謙信に渡す為に描かせたもので、足利将軍の屋敷の大きさがデフォルメされていてむかつきます(苦笑)

洛中洛外図は沢山制作されていたようで、何点か今に残っておりますが、レプリカなら見れます。
上杉本(上記の作品)京都市生涯学習総合センター(京都アスニー) 中京区丸太町七本松西入
上杉本京の道資料館 下京区西洞院塩小路下る
歴博甲本(国立歴史民俗博物館蔵が所蔵)京都府京都文化博物館 中京区三条通高倉
高津本(高津古文化会館が所蔵)阪急烏丸駅大丸連絡地下道

で、メインの唐獅子図の辺りになると人がまばらで(苦笑)
上記の絵を見るのに精根尽きたのでしょうか、皆さん、チラリと見ただけで出口付近にあるおみやげ物売り場に直行されていました(苦笑)
この絵は宮内庁が所蔵していて滅多に外には出ませんので、チラリとだけでなく、しっかりと見て帰って下さい(笑)

kekkon.jpgその後、高台寺に行くのにバスに乗り四条までやってくると、なんと、八坂神社で結婚式に遭遇しました。
雨の道行き、雅ですね~(笑)
観光客の方々が私同様カメラでパシャパシャと(笑)

【2007/10/29 10:08 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
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