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【2025/05/26 13:51 】 |
平城京跡

heijyou1.jpg今週の日光浴に行った場所はここ、平城京跡です。実は電車内からいつも見ていたのですが来たのは生まれて初めてです。いや~、日光浴なんて生やさしい物ではありませんでした(苦笑)どどーーんとだだっ広く、日陰が殆ど無い。ここはこの時期にこそ行けるけど、夏なんか地獄でしょう(苦笑)
鹿童子のキャラで妙な話題を振りまいている遷都1300年祭はここで行われます。いつだっけか、2010年でしたっけ。
heijyou2.jpg←復元中の大極殿正殿
heijyou3.jpg只今、大極殿正殿を復元中ですので、いつかこんな風な景色になるのでしょうかね~。しかしこれ、左半分なんですよね。完璧に復元しちゃうとこの倍以上の広さになってしまいます。平城京は二つの大極殿があるんですって。
ですのでこの模型は第1大極殿。第2大極殿はその横に遺構があり、一回り広いんですって。

heijyou4.jpgこんな感じです。ピンク色の部分が上図の第1大極殿。平城京は平安京や難波の宮と違って都市部から少し離れた場所にあり、奈良という土地柄、この遺構がそのまま公園になっています。だから広いの何のって・・・。テクテク歩いていると3-4時間はかかってしまいます。甲子園球場が30個分の広さですからね~。そもそも、この遺構が発掘されたのは1922年なんですが、大阪万博の頃、道路を造ろうとした時にあらたな発見があり、そのまま国道が引かれてしまってはこの遺構を分断することになってしまうと猛反対。そして道路は上図の右下部分でカーブすることになり遺構が守られたのだそうです。しかし、電車は既に通っていた(苦笑)
heijyou5.jpgですので、この近鉄電車は実は平城京の中を走っています(笑)「鹿男あをによし」で「め」と呼ばれる銅鏡を近鉄に投げ込むシーンがありましたが、線路の傍に囲いも無いので普通に投げ込めます(笑)平城京の中に二つの踏切があるんですよね~(笑)もし、この朱雀門の壁がぐるりと作られることになったらもっと面白い光景になるのだろうなと思われます(笑)
ここは文化庁と奈良県の管轄なのですが、いずれ管轄を離れるのだそうです。今は全てタダで見れますが、管轄を離れると有料になるかも知れませんとココの方がおっしゃっていました。
heijyou6.jpg平城京跡は世界文化遺産に登録されています。ですのでこのだだっ広い場所は保護されることになるでしょうが、やはり公園として成り立っていますので、破壊の危険性はあるのですよね。保護と維持の為にお金が必要でしょうから有料になる可能性は大きいでしょうね~。


アクセス

ここの最寄りの駅ですが、近鉄大和西大寺駅となります。確かに徒歩10分で平城京の中には入れますけど、入ってからが広すぎるので(苦笑)ここはレンタル自転車をお勧めします。
ここへ来るには北口から出なくてはダメなのですが、レンタル自転車は南口にあります。
詳しくはこちらで→●

さて、あたりまえな簡単な説明を(笑)

平城京
707年から710年に遷都され、一度、740年に都は恭仁京へ移されましたが、745年に再び平城京へと都が戻り、784年に長岡京に都が移されるまでここに存在していた都です。
その為に建物は何度も建て直されたりして、大極殿も二つになっているのでしょうかね~。
東大寺・西大寺は平城京にあったお寺で御座います。
京都・平安京で言えば東寺・西寺にあたります。
近くにある法華寺は、藤原不比等の屋敷跡に娘でもある光明皇后が菩提寺を建て、それが今に至っています。

実は西大寺も法華寺も行きたかったのですが、運動不足な上、更に最近外に思うように出られない所為で運動不足の二乗状態。サスガに週1の運動でイキなりブラブラと5時間以上も歩いていると疲れました(苦笑)
暖かかった所為もあるのですが、ここへ来る途中、駅で購入したお弁当をドサッと草むらでへばりながら完食(笑)
気持ちよかったですけどね(笑)なにせロケーションだけは凄く解放されていましたし(笑)

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【2008/03/22 18:01 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
忘れていた龍安寺
以前に「後で書く」と書きながら、書き忘れていた龍安寺のこと(苦笑)
まぁ、どうでもいいでしょうが、一応書いておこうかと。

ryu1.jpg大雲山龍安寺
世界遺産になっているお寺ですね。
最初ここは後徳大寺左大臣実能(さねよし)の別荘だったようで、その後、細川勝元に譲られた所だそうです。お寺とは言い難く、現在の方丈がある場所には、当時、書院があったそうですよ。その後「応仁の乱」にて焼失。長享2年(1488)、勝元の子・政元が再興したのですが、寛政9年(1797)の火災により方丈・仏殿・開山堂などを焼失。現在の方丈は、その時西源院(境内にある塔頭)の方丈を移築したものです。現在の石庭は明応8年(1499)の再興の際に作られたとも言われるが、詳細は不明です。
ryu2.jpgこの石庭ですが、ご覧の通りまるで木々が無く、石だけが点在している庭です。簡素の極み、禅の象徴、茶の心と言われている庭です。相阿弥が造ったと江戸期の書物では書かれている庭ですが、「虎の子渡し」と呼ばれているこの庭は、全国にある禅寺の庭の手本となったお庭です。実はこの庭に、何故木々がないのかは、禅の心の為だった訳じゃなく、勝元が単に毎朝男山八幡宮(現在の京都八幡市にある石清水八幡宮)を拝みたいために、邪魔な木々は植えないでくれと頼んだらしいのです(苦笑)真相なんてそんなもんですよね。でも、ここからまっすぐ南にある男山を眺めることが出来たなんて、凄いですよね。

ryu3.jpgしかし、「皆川淇園」という江戸中期から後期にかけての文学者によると、塀の外の老松が生い茂ってしまっていて、もう男山なんか見えないよ~って書いた書物がありました(笑)最初の思惑はどうあれ、この庭は世界で一番日本の庭として有名な庭。パンフレットには「象(かたち)、集合、離散、遠近、起伏、禅的、哲学的、見る人の思想、信条によって多岐に解されている」と書いてありました。一緒に行った娘など「普通に石にしか見えない」だそうです(苦笑)そんなものです(笑)
ryu4.jpgこれをみて人生のなんたるかを思い描く人は、それなりの苦労を体験した人か、せっぱ詰まって何かに答えを見いだしたい人でしょう。もはや、こじつけと言っても良いかもしれないですよね~、石の解釈。ああ、そうだ。後は自称哲学者って人でしょうか(言い過ぎ?)そしてもう一つ有名なのがこの水戸光圀寄進のつくばいレプリカ(笑)本物は非公開。でも、時折公開されることがあるのですよ。私が見たのは2005年の春でしたかね、その後の情報は気をつけて見ていなかったので不確かです。蔵六庵(お茶室に窓が6個あるというので、こう呼ばれている)というお茶室は庫裏の右奥に存在しております。本物はレプリカより心持ち小さく、「吾れ唯、足りるを知る」と言う文字の刻みも本物の方がくっきりとしていたように思われます。

で、上記の写真も2005年の写真です。ここに来たのは純粋に(?)石庭を愛でる為でもなく、レプリカを見に来たのでもなく・・・。
ryu5.jpg我が家のヲタロード(苦笑)戦国武将巡りの一環でやって来ました(笑)正直、下鴨からここへ行くといのは東西を横断することですし、時間も時間(拝観時間ギリギリ)だったので「行くだけ行って、無理だったら諦めよう」と言う事でバス停に向かったんです。所がバス停に着いた途端「龍安寺行き」のバスが到着し、すんなりとここまでやって来れたというワケ。で、目的はこの写真です。ここは龍安寺塔頭「大珠院」。拝観不可な塔頭です。ですので鏡容池から眺めるしか無いのですが、普段は木々に隠れて見えない場所も・・・。
ryu6.jpg冬枯れと共に中が見える状態に・・・。この場所は知る人ぞ知る、真田幸村の供養碑(腕塚とも言われる)と彼の側室のお墓がある場所。この写真がそれと言うのではありません。これはどう見ても観音像の背中(笑)この離れ小島が大珠院の墓地になっているようです。江戸期にあった名所図にも「幸村の墓」として紹介されている場所でもあります。こんな所を見に龍安寺まで来る客は私たちぐらいなもので(苦笑)その他の方は純粋に「石庭のなんたるか」を真剣に考えている人たちばかりであります(笑)まぁ、もし龍安寺に行かれる機会があるのなら、こんな所にこんなものがあるのだと言うことを覚えていて下さい(笑)
【2008/03/17 19:38 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
満願~
kegon1.jpg昨日、かねてより予約を入れていた西国三十三番観音霊場満願寺、華厳寺まで行ってきました。旦那が勝手に工事を始めてしまったのでちょっと解約しようかと思ったのですが、真ん中の娘が留守番をしてくれると言うので出かけました。
(幸い、その日は工事の人が来なかったようなのですが・・・)
散華の事があって(→●)3月中に廻りたいと決心していましたし(笑)
バスで岐阜まで日帰りです。そして無事に満願(全てのお寺を巡り終えた)が出来ました~。

で、その帰りのことです。
JTBでずっとお参りをしていると、お参りした場所場所で数珠玉を渡しているようで、それを満願すれば数珠に仕立てて貰えるという話があるようです。
ちょうど満願寺が終わったのでこのツアーはその数珠を仕立ててくれるという大阪天王寺、一心寺の傍にあるお店に立ち寄るという日程になっていました。
そこでは集めた散華の台紙もおかれていて、散華を全て貼って貰え、額に仕立ててくれると言うのですよ。勿論、軸も表装をしてくれます。
が、入ってみてビックリです。
残り僅かで参拝した方が貰えなくなるかも知れない散華。
なんとここで全て揃っているんです!それも結構な枚数で。
三十三ヶ寺全ての散華。
娘が怒りだしましてね~。お店を出た後で、
「なんだ!あそこは!!お寺では残り少なくなっているんだから、お寺に渡せよ!どうして独り占めしているんだ!!」って・・・。
「あんな所で貰うのなら、私は無くてもいい!」
まだ、満願になっていない娘が激怒して帰っていきましたよ。

確かに・・・。
あんな所で手軽に揃えて台紙に貼って、はい、終わりなんて、なんて霊験の無い・・・。
地道に廻ってこそ価値がある気がしますよね~。
商売上手というかなんというか・・・。

当然、我が家はそこでは仕立てて貰うこともなく、JRで当てた台紙があるのでそれを持って、実家にお願いすることにしました。
なにせ実家は表具師ですし(笑)
【2008/03/07 11:41 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(4) | トラックバック()
おひな様
hiina.jpgおひな様ですね。この写真は昨日行った下鴨神社におかれていたおひな様。懐かしいです(笑)この人形は多分30年代のもの。私が子供の頃に飾り付けされていた同じタイプの雛飾り。
横に置かれている冠が本来の冠です。


今日は多分この下鴨で流し雛の行事が行われているはず。
糺の森の整備もおおかた終え、下鴨神社には御手洗川のせせらぎに近づける場所が増えていました。
simogamo.jpg以前から、「結婚式に良く出会う」と書いていましたが、この日もおひな様よろしく結婚式が執り行われていました。
ただ印象的なのは、お嫁さんの華やかな笑顔とは対象に、お婿さんのつまらなさそうな顔が・・・(苦笑)
もっと笑顔で、ほら~(笑)
お疲れなのかも知れませんが、この様な公の場所で婚儀を行うのですから、笑顔でいないと噂されていましてよ?(苦笑)

下鴨に行ったのはお礼参りの為。
娘の学生マンションをこの日で引き渡ししましたので、入学当初に「これからこちらの住人になりますので、娘をよろしくお願いします」と拝みに来ていました。
無事に卒業が出来るようになり、引っ越しも完了しましたのでお礼参りにと思った次第です。

simogamo1.jpg下鴨神社が出来たのはなんと紀元前2世紀(弥生時代中期頃)に神社の瑞垣を脩造されたという記録が残っているので、それ以前に出来たとされています。平安に入って、京都の守り神、皇室の氏神として栄えたそうです。
その為に、普段はひっそりとしているこの下鴨神社、結婚式は結構多く、ここの年中行事も王朝絵巻そのもの。
1月の「けまり始め」2月の「節分、弓神事」3月「ひな流し」5月の「やぶさめ」「葵祭」と、数え上げたらきりがない程多くの雅な行事がここで執り行われます。

simogamo2.jpg本日行われている「流し雛」はここ、御手洗川に流されます。
通称、御手洗社(井上社)の前には「みたらしの池」があり、そこから流れるせせらぎが御手洗川と呼ばれています。
みたらしの池から沸き上がる水の気泡。これを人形に形取ったのが「みたらし団子」。
みたらし団子の発祥の地でもあるのです。
「葵祭」で斎宮が御祓をするのもこの池。
また、夏越しの神事ではここに足を入れても良いとされる行事ですので、参拝客が靴を脱いで素足で水の中に入ります(笑)

この時期は尾形光琳が「紅白梅図屏風」の手本としたと伝わる梅が咲き始めます。
simogamo3.jpgこれがそうなのですが・・・。

わかりにくいですね・・・(汗)そりばし(輪橋)の左側の木でして・・・。

simogamo4.jpgアップがこれ。

通称「光琳の梅」と呼ばれているものです。

その後、訳あって(笑)龍安寺に向かったのですが、その話はまた後ほど。


【2008/03/03 13:20 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
観音霊場
やっと行けました。
先週の予定だったのですが、あの大雪でしょ?
今回もやばそうだったのですが、行ってダメだったら帰ろうというつもりで向かいました。
幸い良いお天気で~(笑)

kiyo1.jpg25番札所、播州・清水寺です。
三田の方の山にあるのですよ。
兵庫県の丹波地方にありますので行く途中には丹波焼きの窯元が沢山あって風情がある場所です。
創建は627年だそうで、推古天皇の勅願により建立されたとのことです。ここは殆どが火災や天災により消失しており、この仁王門は平成4年に再建されたものだそうです。
その他の宇堂も大正年間に再建されたものだったり、昭和後期に建立されたものだったりします。しかし、歴史あるお寺ですので、再建は早いようですね~。

kiyo2.jpg

雪深い場所柄、やはりまだ雪がこの様に残っており、晴天だったから良かったものの、ここに来るまでの山道は積雪になると通行が難しいのだろうなと思われます。




kiyo3.jpg昭和59年に再建された不動堂の中には藪内佐斗志の十二神将が存在します。
たいてい武将姿で頭上に動物を掲げる像が一般的ですが、彼が創る神将は動物そのもので造形されている、格好いいし可愛い像です(笑)見ていて飽きません(笑)
ここの創建は平清盛の義母、「池の禅尼」によるものです。あの源頼朝兄弟の命乞いをしたかたですね~。その結果、源平合戦が始まったのですが・・・・。
kiyo4.jpgこの井戸はここのお寺の名前の由来になったもの。「おかげの井戸」と呼ばれているものです。
その昔、この辺りはかなりの水不足の地だったそうで、開祖・法道上人が水神に祈りここに水が湧き出たと言う場所。そして感謝の意を表して「清水寺」と名付けられたそうです。


kiyo5.jpg神仏一体なのでしょうか、古いお寺には未だにこうして神社が境内に存在します。もっとも神社にせよお寺にせよ分けられたことには不満があるようですけどね(笑)
明治政権は神道を国の信仰にすべく廃仏毀釈を行ったという、私としては許し難い行為をしたわけですが、こうして如何にも日本的な「ごちゃまぜ信仰」の姿を見るとホッとします(笑)
この稲荷社ですが、実はダキニ天を祀っています。ダキニ天そのものを祀っている稲荷社を見たのは私は初めてでした。
kiyo6.jpgおまけの一枚(笑)
この自動車はこのお寺の車。なんと前のバンパーの所にシャベルがくっついています(笑)コレがないとここまで来れないほど雪深いのでしょうか、はたまた除雪車の変わりに改造したのか。しかし、この車で移動するたびに雪をかき分けることが出来るのは便利だけど、街まで行くのはどうなのでしょうか(苦笑)
「相野駅」からここまでバス(神姫バス)なのですが、平日で1日2本。土日が3本しか走っていません。
相野駅→清水寺
平日・・・10:24  12:54
土日・・・9:30  10:24  12:54
清水寺→相野駅
平日・・・12:05  14:25
土日・・・11:10  12:05  14:25

片道570円ですが入山料が要りますので行きはプラス300円
行きだけバスの運賃箱に870円を投入します。バスの運転手は行きの人数を確認しておりますので、例えば9時台のバスで来られた方は11時のバスに乗ってお帰りになることを前提でその場でお客さんを待ってくれています。
しかし、乗り遅れた方がおられたら、次のバスの運転手に報告。自分が乗せてきたお客さんプラス乗り遅れたお客さんを合計して山を下山します。
取り残しの無いようにと言う配慮ですね~。

そんなわけで家から片道1時間半ですので、意外に早く大阪に戻ってこれるわけで、帰りは大阪天満宮をめざしました。
古本市があったもので(苦笑)
kiyo7.jpgそのわけはこれ(笑)
梅の季節ですから天満宮は何処でも賑わっています(笑)
一冊だけ掘り出し物を見つけて、ここで「すべらんうどん」を食べて帰りました(笑)色んな種類があるのですが私はその中の「ときうどん」を食べてみました。見た目白みその餅入りうどんなのですが、実はこれ練りごまを出しで伸ばしたと言ううどん汁。これにラー油を入れて食べるもの。初めての味でしたけど美味しかったですよ~。
どうして「ごま?」と聞きますと「ごまを出汁で伸ばすと言う事で『ごまかす』と(笑)時をごまかす、時を忘れるほど美味しいと言う意味ですね~(笑)」と言われました(笑)サスガ『繁盛亭』が傍にあるだけはある(笑)
kiyo8.jpg


この「唐文」と呼ばれる梅は樹齢250年。本殿に置かれていた盆梅です。白梅の方は樹齢100年でした。見事な梅ですね~。





kiyo9.jpg

大阪には古い洋館風建物がいくつか残っています。これは天満宮の傍にあるアートギャラリー。






kiyo10.jpg

その前にある猫の置物(笑)ちょっと気になりましたが入らずに通過(苦笑)







kiyo11.jpgそして天神橋に。
なんだか大阪じゃないような風景が目の前に広がっていました。休みだからでしょうね~。やはりここはオフィス街。仕事のない日は道路が広いです~。


kiyo12.jpg大阪の絶景夕日だと噂される中の島の夕日、ちょっと太陽の位置がここからでは悪いのですが・・・。
大阪は川の多い町ですので他の都会とは少し様相が違う気がします。だからか、私はこうしたビル群の景色も大好きなんですよ。

kiyo14.jpgそして帰り道でもある京橋に行って、お勧め創作ダイニング「卯乃家」で夕食を取って帰りました。

余談ですが、「卯乃家」のHP→●

【2008/02/17 10:11 】 | 他府県コラム | 有り難いご意見(2) | トラックバック()
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