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両親の墓参りに土曜日に行きました。 まぁ、色々報告もあったし、お願い事もあったし・・・、いや、怒られたかったのかも知れませんね。 死んでもまだ心配ばかりかけている悪い娘です(苦笑) 両親の墓は奈良にあります。 近鉄電車に乗って奈良に向かうのですが、いつも漠然と感じていた事が唐突にクリアになりました。 生駒トンネルを抜けると奈良です。 生駒トンネルは黄泉へと続くトンネルだと感じたんですね。 黄泉というか太古へ繋がる道? まぁ、そんな感じです。 このトンネルと抜けると心が現世から軽く離れるのです。 以前、奈良に大陸的な風がながれるとこのブログで書きましたが(→●)そんな奈良は私にとって太古で黄泉で、つまり自分の原点だったのではないかと思ったんですよ。 心が辛い時、古いものの好きな自分はいつも無意識に奈良に行っているのです。 そこは父の故郷で、私自身も小さな頃から訪れている場所で、自分にとって優しい時間を共有出来た場所でもあったわけです。 決して雅では無いかも知れないけど、丸ごと自分を受け入れてくれるおおらかさが欲しくて行くんだろうなと思うようになりました。 とある番組でキンキキッズの堂本剛君が言っていたんですけど、 「奈良は空が広い」と。 なるほどと思いました。 大きな建物の多い奈良の建造物、そして平城京跡に見られる広大さ。 そこには京都にない文化的な建物の姿さえ遠くに見えてしまうほどの広さがあって、空を見上げると広いんです。 だからこそ、風が走っていくんです。 農家のまだ残る地域の中に立つ寺院。 遠くからでも見える五重塔。 空が広い。 本当に広く感じます。 なのにそこに確かな文化があって、秋に行くと黄金に輝く田畑から反射する光が神々しくも思えます。 いつまでも路傍に座って風と空を感じていたくなります。 愚かな自分でも大きく手を広げて迎えてくれるような・・・・。 奈良そのものが極楽浄土ではないかとさえ思える時もあるのです。 そして十分癒されて私は再び生駒トンネルを抜けて現世に戻ってくるのです。 見上げるとツバメがいつの間にか飛んでいました。 ツバメはその昔、渡り鳥とは知らなかった昔の人が、ツバメはあの世から来る使者だと信じられていたそうです。 渡り鳥なんだと分かっているのに、コッソリ、ツバメにお願いしている自分に苦笑しながら家路へと向かいました。 *奈良にお住まいの方へ 「黄泉」という表現を使った事お詫びします。私の中で「黄泉の国」というのは松尾さんがおっしゃるとおり「魂の帰る場所」という意味として理解していましたので、決して忌み嫌われる場所では無い事をご理解下さい。その場所は誰しも戻る故郷のような場所で、一生懸命生きて、そしてご褒美で戻れる、人として大事な故郷なのだという意味です。奈良の温かさがそんな風に私に感じさせてくれるのです。感謝しています。ありがとう御座います。 |
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